在日本大韓民国民団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 06:11 UTC 版)
在日本大韓民国民団 | |
---|---|
| |
各種表記 | |
ハングル: | 재일본대한민국민단 |
漢字: | 在日本大韓民國民團 |
発音: | チェイルボンテハンミングンミンダン |
日本語読み: | ざいにっぽんだいかんみんこくみんだん |
英語: | Korean Residents Union in Japan |
旧・在日本大韓民国居留民団(ざいにっぽん-だいかんみんこく-きょりゅう-みんだん)。略称は「民団」(MINDAN、민단)。
概要
日本国内の250を超える拠点で活動を行っている[2]。主な活動内容は、在日韓国人の相互親睦、韓国文化の紹介等の広報宣伝、日本での地位向上(日本での参政権要望、教科書内容の是正要求等)など。
会員は約30万人で、日本などに帰化して韓国籍を離れた者も会員になることができる[3]。韓国籍パスポートの申請、韓国の戸籍処理などの依頼を代行している。また、韓国政府から年間80億ウォンの支援を受けている[4]。傘下に金融機関(商銀信用組合を参照)や教育機関を多く保有している[5]。
冷戦時代は反共主義を党是とする自民党、公明党、民社党との関わりが深かった。現在では自民党、公明党、日本維新の会、社民党、日本共産党とも友好関係を築いている[6]。
歴史
創設期
第二次世界大戦終戦直後の1945年に東京で設立された在日本朝鮮人連盟より、共産主義者からの脱却・自立を図り、1946年10月3日に在日本朝鮮居留民団(ざいにほんちょうせんきょりゅうみんだん / 재일본조선거류민단)として分離・発足した。1948年9月には韓国政府から在日同胞の公認団体として認定されている。
初代団長は大正天皇と皇太子襲撃を計画して大逆罪有罪となった朴烈で、大正天皇の恩赦により死刑を免れた。初代副団長は有吉明公使暗殺事件の実行犯の1人であった李康勲、初代事務総長は同じく同事件の実行犯の1人の元心昌で、3名は共に終戦まで服役していたという経歴の者であった。
設立の経緯から朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)系の在日本朝鮮人総連合会(総連・朝鮮総連)とは互いに反目する関係と言われているが、朝鮮総連と共同事業を行うこともあり[7]、2006年5月には一時的に「歴史的和解」の共同声明を公に発表することもあった[8](ただし、共同声明は1ヶ月余りで白紙撤回された)。
民族主義者であった本国の李承晩大統領は、建国後も帰国せず日本に居留している在日韓国人を快く思わず、1948年10月の訪日の際も、歓迎のために日本全国から日比谷野外音楽堂に集まった朴烈団長を始めとする3000人の在日韓国人とは「暗殺の恐れがある」として会見しなかった[9]。朝鮮戦争時には韓国側に644名の「義勇兵」を送っている[10]。義勇兵は韓国で工作員としての訓練を受けて日本に密入国し、北朝鮮が行なっていた帰国事業を妨害する目的で、新潟日赤センター爆破未遂事件を起こしている[11][12]。
その後、民団は在外国民登録や旅券発給などの業務を委託され、韓国の公認団体となったが、同時に韓国政府からの干渉も受けるようになった。
軍政時代
1961年の5・16軍事クーデターと同日に民団中央団長選挙が行われ、権逸が当選した。権逸団長は、「反権(反権逸)は反朴(反朴正煕)だ。そして反朴は反国家だ」として、軍事政権をいち早く支持した。また、日韓基本条約の締結にも賛成した(後に権逸は、朴大統領の顧問として韓国の国会議員となる)。
その後、在日社会でも、軍政に反対する気運が高まり、1971年の団長選挙では、民主派のユ・ソクチュンと本国が支持する李禧元の一騎討ちとなった。当初、ユ・ソクチュンが優勢であったが、韓国中央情報部(KCIA)出身の金在権駐日公使が介入し、李禧元が勝利を収めた。選挙後に粛清が行われ、ユ候補の支持者は民団から除名された。
1973年、除名された活動家は民主化勢力から成る韓民統(後の韓統連)を結成し、当時日本で活動していた金大中を議長に推戴することが予定されたが、結成1週間前の8月8日に金大中事件が発生した。
粛軍クーデター後も、民団は軍政政権を支持した。
民主化時代
本国の民主化後、金大中大統領は、過去の経緯に拘らず、民団を在日韓国人社会の代表として受け入れたが、よりラジカルな盧武鉉大統領はそうではなかった。2003年6月の訪日時、盧武鉉は、筑紫哲也司会のTBSテレビの特別番組に出演し、「在日として日本の地域社会に貢献していきたい」と述べた在日の高校生に対し「現地の文化や体制に適応してその社会に寄与することは非常に重要なこと」と述べた[13]。また、同年、民団と敵対してきた元韓民統の活動家に対して本国との自由な往来を許可した。
1997年のアジア通貨危機時には本国を支援せず、逆に援助金を要請したり、2000年ごろには民団で6億5000万円の手形詐欺事件が起こったが、徹底的な解明は行われなかったなどと批判されている[14]。また、2006年8月の韓国政府による監査で明らかになった政府補助金をめぐる虚偽報告問題に際しても、民団の問題点として組織運営の閉鎖性、本国への依存深化、過度な政治志向、葛藤の調整力の乏しさ、文化的貧困などが指摘されている[15][16]。
現在
1994年4月 在日本大韓民国居留民団の名称から「居留」の2文字を外し特別永住者と永住許可を利用し韓国国籍のままでの日本国内永住を目的として正式名称を在日本大韓民国民団に変更した。2003年6月に脱北者支援民団センターを設立し、一時金支給や住居、就職支援を開始した[17]。しかし、朝鮮総連傘下の朝鮮学校教員であった河丙鈺が2006年に民団の団長に選出され[18]、5.17事態(脱北者支援民団センター廃止、朝鮮総連シンパの韓国墓参中止を条件に民団と朝鮮総連の友好共同宣言を5月17日に急遽発表した事件[19])を中心とする不祥事で数ヵ月で辞任に追い込まれた。この事で朝鮮戦争や在日朝鮮人の帰還事業時のように在日同士による暴力をともなう抗争は行われていない。
2009年2月、在日外国人管理の精度を高めた外国人在留管理制度法案が審議されると、在日韓国人への配慮を欠くものとなっているとして、呂健二副団長をはじめとする代表団を公明党法務部会に派遣して、抗議を行った[20]。
2009年8月30日投票の衆議院選挙を外国人参政権付与に向けての天王山と位置付けており、民団に外国人参政権付与を約束している民主党候補者を全力で支援した[21][22][23][24][25]。これと同時にパチンコ産業の保護を民主党に陳情した(詳細は後述)。
2012年2月、団長選挙が行われ、呉公太副団長が当選した。併せて、議長には金漢翊元大阪府本部団長、監察委員長には韓在銀副団長が選ばれた。
本部や各支部ではハングル講座を開講しているが、日本における韓流ブームの結果、受講希望者が増えたこともある。なお、この講座は在日韓国・朝鮮人でなくても受講できる。
韓国政府より資金援助を受けているが、日本で活動している民団の資金運営を、韓国政府が完全に把握するのは難しく、民団関係者が組織の資金を私有化することも可能であるとの指摘がある。運営の透明性確保のため、韓国政府は民団に対して、日本の法人に登録するように要求している[4]。
加入資格について
韓国国籍者のみとする国籍条項は撤廃し朝鮮半島にルーツを持つ人であれば歓迎するようになったため、日本国籍者や中国から来た朝鮮族も参加している[1]。
- ^ a b “韓国民団が提言「慰安婦像は撤去すべき」「安倍首相が元慰安婦に謝罪するのもいい」”. Business Journal. (2017年6月5日) 2017年6月7日閲覧。
- ^ “■民団の組織”. 在日本大韓民国国民団. 2023年3月10日閲覧。
- ^ ただし、家族のうち一名が加入していると家族全員が家族会員と数えられるため、実質的な会員数は不明
- ^ a b “民団が日本法人化の検討に着手 懸念の声も”. 朝鮮日報. (2014年12月21日) 2014年12月21日閲覧。
- ^ “民団紹介”. 在日本大韓民国民団. 2021年2月22日閲覧。
- ^ “民団「光復節」記念式 田村副委員長が祝辞”. 日本共産党. 2023年9月17日閲覧。
- ^ “民団と総連、合同でブライダル会(02.11.27)”. 民団新聞. 在日本大韓民国民団 (2002年11月27日). 2010年5月26日閲覧。
- ^ “「同胞社会団結のため協力」・・・民団・朝鮮総連が会談”. 中央日報 (2006年5月17日). 2010年5月26日閲覧。
- ^ 金賛汀. 在日義勇兵帰還せず 朝鮮戦争秘史. 岩波書店. pp. p21
- ^ “民団の沿革と歴史”. 在日本大韓民国民団京都支部. 2010年5月26日閲覧。
- ^ 金賛汀. 在日義勇兵帰還せず 朝鮮戦争秘史. 岩波書店. pp. p235
- ^ “闇の部隊「北送阻止隊」 (2009/9/26 放送)”. TBS. (2009年9月26日) 2010年5月25日閲覧。
- ^ 『韓国・盧武鉉大統領 本音で直接対話』、東京放送、2003年。
- ^ <在日社会>◆在日商工人列伝◆パチンコ業界の最大手・韓昌祐 マルハン会長, 東洋経済日報, 2004/04/23.
- ^ 「<在日社会>政府補助金めぐる民団虚偽報告問題 <離任辞>羅鍾一・駐日本国大韓民国特命全権大使」, 東洋経済日報, 2007/03/16.
- ^ <在日社会>在日韓国民団・虚偽報告問題を討議, 東洋経済日報, 2007/02/02.
- ^ 民団ホームページ 脱北者支援民団センター
- ^ 櫻井よしこ (2006年7月8日). “「『民団』団長就任後に続く異常事態発生の不可解 河丙鈺氏はいったい何者か?」”. 週刊ダイヤモンド. 櫻井よしこ. 2010年5月25日閲覧。
- ^ https://yoshiko-sakurai.jp/2006/06/01/490
- ^ 2009.2.18 民団新聞
- ^ “在日民団「外国人参政権に賛成の候補を支援」”. 東亜日報. 2021年4月30日閲覧。
- ^ “民団、民主・公明支援へ 次期衆院選 選挙権付与めざす”. 朝日新聞. (2008年12月12日) 2008年12月12日閲覧。
- ^ “総選挙へ根回し着々民主、公明とも「付与」強調”. 民団新聞. (2008年11月27日) 2009年8月28日閲覧。
- ^ “<全国団長会議>参政権賛同候補を徹底支援”. 民団新聞. (2009年4月29日) 2009年8月28日閲覧。
- ^ “「参政権」獲得へ 私たちはこう動く”. 民団新聞. (2009年8月15日) 2009年8月28日閲覧。
- ^ “地方参政権アピール全国リレー 青年会、全国6都市でがっちり手応え”. 民団新聞. (1999年4月28日) 2010年3月15日閲覧。
- ^ 2004年6月30日民団新聞
- ^ 2004年7月14日民団新聞
- ^ 2007年5月16日付 民団新聞
- ^ “参政権小委 各地でシンポ開催”. 民団新聞. (2007年11月28日) 2010年3月15日閲覧。
- ^ 民団中央団長が創価学会原田会長を表敬訪問、地方参政権など意見交換
- ^ <参政権>「成立へ邁進の時」 神奈川で集会 - 民団新聞 2008年3月26日
- ^ 民団、民主・公明支援へ 次期衆院選 選挙権付与めざす2008年12月12日 朝日新聞
- ^ 民団大阪:2009-11-02「民主党大阪府連 衆・参国会議員との祝賀懇親会」を盛大に開催 [1]
- ^ 韓国挺身隊問題対策協議会常任代表ユン・ミヒャン (2007年8月29日). “<民論団論>目をそらすな「慰安婦」問題 米下院決議案採択の意味と課題 国際世論の日本政府指弾続く”. 民団新聞 (在日本大韓民国民団) 2010年2月25日閲覧。
- ^ 民団埼玉、歴史年表の「従軍慰安婦」の「従軍」削除問題で抗議 7月10日、埼玉県平和資料館 統一日報 2009年7月10日
- ^ 韓国語で「ハルモニ」と呼ぶ。
- ^ “安倍首相に「慰安婦」決議文 婦人会代表団”. 民団新聞 (在日本大韓民国民団). (2007年5月8日) 2010年2月25日閲覧。
- ^ “【釜山・慰安婦像設置】民団トップが撤去求める 「私たち在日同胞の切実な思い」”. 産経新聞社. (2017年1月12日) 2017年1月12日閲覧。
- ^ mindan [2]
- ^ “「つくる会教科書」阻止取り組み本格化”. 民団新聞. (2005年7月6日) 2010年4月14日閲覧。
- ^ “「歴史歪曲教科書」阻止へ緊急集会”. 民団新聞. (2009年11月18日) 2010年4月14日閲覧。
- ^ “<Special Wide>韓日友好の熱気凍らせない(04.7.14)”. 民団新聞. (2004年7月14日) 2010年4月14日閲覧。
- ^ a b 山田宏「外国人参政権が国民生活を壊す/山田宏(杉並区長)」『Voice』2010年3月号、PHP研究所、2010年2月12日、2011年2月13日閲覧。
- ^ a b c “交わらぬ歴史認識 内政干渉、安全保障に危機感”. 産経新聞. (2010年4月9日) 2010年4月14日閲覧。
- ^ <民団栃木>「つくる会」採択 大田原市の新市長表敬[3]
- ^ "日本政府、民団に制裁措置" Archived 2010年4月24日, at the Wayback Machine., 朝鮮日報 2006/06/27
- ^ 2008年4月11日グリーンベルト
- ^ “今日の歴史(1月7日)”. 聯合ニュース. (2009年1月7日) 2010年5月25日閲覧。
- ^ “「日本に対馬返還要求すべき」賛成50.6%”. 中央日報. (2008年7月27日). オリジナルの2014年3月4日時点におけるアーカイブ。 2010年5月25日閲覧。
- ^ “【対馬が危ない!】日本に帰化韓国人男性 海自施設で不可解行動”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2009年6月9日). オリジナルの2009年6月10日時点におけるアーカイブ。 2010年5月25日閲覧。
- ^ “【対馬が危ない!】陸自や公共事業にも触手 演習日程など情報収集(1/2)”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2009年6月9日). オリジナルの2009年6月11日時点におけるアーカイブ。 2010年5月31日閲覧。
- ^ “【対馬が危ない!】陸自や公共事業にも触手 演習日程など情報収集(2/2)”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2009年6月9日). オリジナルの2009年6月11日時点におけるアーカイブ。 2010年5月31日閲覧。
- ^ 日韓交流碑「削除」騒動 民団「右翼に屈した」と激怒(2007年6月22日付けJ-CASTニュース)
- ^ 民団内部で「歴史的和解」の後遺症 | Chosun Online | 朝鮮日報
- ^ 民団新団長「朝総連との“和解”は誤り」 | Chosun Online | 朝鮮日報
- ^ 朝鮮総連周辺、右翼団体が機動隊員と小競り合い
- ^ “在日韓国人、ミサイル発射で在日朝鮮人への糾弾行動先鋭化…「同等に見られては困る」”. ビジネスジャーナル. 2021年4月30日閲覧。
- ^ ■地方本部リスト
- 1 在日本大韓民国民団とは
- 2 在日本大韓民国民団の概要
- 3 主な活動
- 4 主張
- 5 中央本部
- 6 脚注
在日本大韓民国民団と同じ種類の言葉
組織に関連する言葉 | 国際緊急援助隊 国際連合軍事監視団 在日本大韓民国民団 在日本朝鮮人総連合会 在郷軍人会 |
- 在日本大韓民国民団のページへのリンク