京都 名称

京都

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/23 09:25 UTC 版)

名称

「京都」の語の由来

東アジアでは古来、歴史的に「天子様の住む都」「首都」を意味する普通名詞として京(きょう)、京師(けいし)が多く使用されていた。西晋時代に世宗である「師」の文字を避けて京都(けいと)というようになり、以後は京、京師、京都などの呼び名が用いられた。

日本でも飛鳥京恭仁京などが「京都」とも呼ばれた。平安京を指して日本の文献で「京都」の語が固有名詞として使われる初出(学術的に存在が確認されている最古の文献)は、永延2年(988年)の『尾張国郡司百姓等解』であるが、これ以後あまり用いられることはなく、平安時代末期に固有名詞として定着し、鎌倉時代初頭にかけてその使用の頻度が増す[4]。なお平安京は造都当時は「北京」とも呼ばれた。(なおこう呼ぶ場合、奈良の平城京のことを対比的に「南京」と呼んでおり、以後長らく奈良の代名詞としては「南都」が多用された。)

つまり、造都当時は平安京の普段の呼び方が定まっていなかったのである。平安京を「京都」と呼ぶことが定着したのは平安時代後期からで、「京」や「京師」という呼び名も併用されていた。その後、次第に「京の都」(きょうのみやこ)、「京」(きょう)、「京都」(きょうと)などが平安京を指すための固有名詞のようになり定着していった。

なお、「京」の異体字俗字[5])である「亰」の字は、 日本でも「京」と同様に古くから用いられ、正倉院蔵の『雑集』には聖武天皇の筆による「平城亰」の用字が見える。大阪では、生國魂神社の北門近くに天保15年冬10月の建立の「右亰道」の石碑がある。京都での用例としては、京都大学東南アジア研究センター[注 1]の煉瓦造りの壁面に「亰都織物會社」の石板が嵌めこまれている。

「長安」「洛陽」「洛」という呼び方

かつて京都に存在し、日本一の高さを誇っていた方広寺大仏(京の大仏)のスケッチ[6]。方広寺大仏は洛陽大仏・洛東大仏とも称されていた。

平安京(京都)は、古く詩文において中国王朝の都に因み洛陽長安などとも呼ばれた。一説に、平安京を東西に分割し、西側(右京)を「長安」、東側(左京)を「洛陽」と呼んだという。これらの呼び名が定着した時期は明らかになっていない。また、命名の記録もなく、これら「長安」「洛陽」が正式名称であったとは考えられず、文学上の雅称であったとの指摘がある[7]。「長安城」という呼び方は平安中期で一旦姿を消し、再び現れるのは鎌倉末期以降、『拾芥抄』において洞院公賢が「東京号洛陽城、西京号長安城」と付記して以降のことである。ところが、右京すなわち「長安」側は湿地帯が多かったことなどから程なく廃れ、市街地は実質的に左京すなわち「洛陽」だけとなった。このため、「洛陽」とはすなわち京都を指す言葉になり、その一字を採って「洛」だけでも京都を意味することになったとされる。「本朝文粋」に収められた源順(911 - 983)が書いた漢詩に平安京を指して「洛城」と呼ぶ例が見られる。これをもってして「洛」の一字をもって京都を表す慣習は早くから成立していたと考えられる。一説に、平安初期の文学に現れる洛陽、長安はそれぞれ左京、右京を指しているとは考えられず、ともに都全体を指していると考えられるところから、長安とも洛陽とも呼んでいたものが、のちに「洛陽」のみが使われるようになったと考えられるという[8]。京域内を「洛中」と呼び、京域縁辺を「洛外」、京都以外から京都へ行くことを上洛と呼んだ。特殊な例ではあるが「下洛」という呼びかたも平家物語に見られる。これは山法師が京中を侵すことを指した。

「洛陽」という呼び方は現在でも私立洛陽総合高等学校といった固有名詞に残る。

「洛」のほうに関しては、現在でも京都に行くあるいは来ること、すなわち京都入りを「入洛」ということがある[9]。 また今日の「洛南」「洛北」「洛西」「洛東」などといった表現はいずれも、京の外側の南・北・西・東を指す表現にすぎないが、これらの表現も京のことを「洛」の字で指すことで成立している。


注釈

  1. ^ 明治20年(1887年)に設立許可を受けた京都織物会社は南京繻子などの生産で知られたが、昭和41年(1966年)ごろに、京都大学東南アジア研究センターへ土地建物を譲渡して解散した。
  2. ^ いわゆる「北に玄武、東に青龍、南に朱雀、西に白虎」を備えた「四神相応の霊地」のことをいうが、このことは遷都を記した「日本後紀」が断簡しか残らないために事実であったかは不明。四神相応の話は平家物語が今のところ初出。 四神を具体的に船岡山、鴨川などに充てる説の初出は1984年刊行の「京都大事典」。

出典

  1. ^ Kyōto (Japan), ブリタニカ百科事典, (2009), http://www.britannica.com/EBchecked/topic/326030/Kyoto 
  2. ^ Kyōto (prefecture, Japan), ブリタニカ百科事典, (2009), http://www.britannica.com/EBchecked/topic/326029/Kyoto 
  3. ^ エンカルタ:Kyōto, マイクロソフト, (2009), http://encarta.msn.com/encyclopedia_761566962/Ky%C5%8Dto.html 
  4. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 26 京都府』 上巻、角川書店、1982年、34頁。ISBN 4-040-01261-5 なお、同書によれば『尾張国郡司百姓等解』での用例は「旧例に非ず、国雑色人并に部内人民等夫馬を差し負い、京都・朝妻両所に雑物を運送せしむるを裁断せられんことを請う」。
  5. ^ 小池和夫『異体字の世界 旧字・俗字・略字の漢字百科』河出書房新社、2007年、22頁。ISBN 978-4-309-40857-6 
  6. ^ ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー『ケンペルと徳川綱吉 ドイツ人医師と将軍との交流』中央公論社 1994年 p.95
  7. ^ 加藤繁生「「京都検定」を検定する(二)平安京の「洛陽」と「長安」」『史迹と美術』第868巻、史迹美術同攷会、265-271頁、2016年9月28日。ISSN 0386-9393 
  8. ^ 五島邦治 著「洛中」、古代学協会・古代学研究所 編『平安時代史事典』 下巻、角川書店、1994年、2678-2679頁。ISBN 4040317009 
  9. ^ 京都御所”. 環境省. 2021年8月10日閲覧。
  10. ^ a b c 横井清、網野善彦(編)、2003、「都の相貌、人間模様」、『都市と職能民の活動』、中央公論新社〈日本の中世〉 ISBN 4124902158 p.196-205.
  11. ^ 遠州の小京都
  12. ^ NHK「ぶらタモリ」2015年1月6日放送
  13. ^ 伏見・桃山は江戸時代のタウンページで使われ定着した名称 歴史研究グループが発表”. 伏見経済新聞. 2021年8月20日閲覧。
  14. ^ 政治の中心 京都に移る 幕末維新の群像(1)
  15. ^ a b 明治21年、織田完之訂『混同秘策』の寅賓居士(織田完之)による序近代デジタルライブラリー
  16. ^ 大正6年、東京市史稿 第4冊 第4篇近代デジタルライブラリー
  17. ^ 市制#1898年(明治31年)の三大都市特例廃止(「市制中追加法律」(明治31年法律第20号))
  18. ^ a b c ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 132.
  19. ^ a b c d ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 134.
  20. ^ 重要文化財建造物の総合防災対策検討会 「重要文化財建造物及びその周辺地域の総合防災対策のあり方」 (1-2 重要文化財建造物の周辺地域の防災対策の現状と課題) 平成21年4月
  21. ^ [1]
  22. ^ a b c d 津川康雄(1993)「京都の観光要素」、立命館地理学 第五号 17-29






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