ビート・ジェネレーション 歴史

ビート・ジェネレーション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/12 22:05 UTC 版)

歴史

1959年のカリフォルニア州ヴェニスのビートニクたち。左からMichi Monteef, Sammy McCord, Patti McCrory, Shaunna Lea and, in rear, Jan Vandaveer。"[2]

ビート・カルチャーの主な思想は、標準的な物語の価値の拒否、スピリチュアル世界の探究、西洋と東洋の宗教の融合、経済的物質主義の拒否、人間の条件(人間という存在の根本条件、誕生・成長・死・感情・希求・葛藤など)の明示的な描写、サイケデリック・ドラッグを使用した精神実験、性の解放と探究、などである[3][4]。これらの要素は、1960年代に、より大きなカウンターカルチャー運動であるヒッピー文化に取り込まれていった。

また、以降のロックやポップミュージシャンにも広く影響を及ぼした(ビートルズボブ・ディランドアーズなど)。後の文学界ではケン・キージートマス・ピンチョン、トム・ロビンスなど、サイバーパンクスラム詩、ポスト・ビート詩人たちに影響を与えた。

ビート・ジェネレーションの作家を特徴付ける要素は以下のようなものがある。

性の解放と自由恋愛

当時のアメリカやキリスト教の伝統的のような厳格な性の規範に反幕し、男女とも自由恋愛を標榜した[5][6]。また、ゲイバイセクシャルにもオープンであった。

ドラッグの使用

新たな精神状態の開拓と創造性の向上という知的な目的のため[7]マリファナアンフェタミンモルヒネメスカリンアヤワスカ、そしてLSDなど様々なドラッグやアルコールを使用した[8]。ドラッグの合法化も主張した。

ロマン主義

パーシー・ビッシュ・シェリーウィリアム・ブレイクジョン・キーツなどのロマン派詩人から影響を受けていた[9][10][11]

シュルレアリスム

アントナン・アルトーアンドレ・ブルトンギヨーム・アポリネールアルチュール・ランボーシャルル・ボードレールなどのシュルレアリスム詩人から影響を受けていた[12][13]。夢幻的なイメージや解離したイメージのランダムな並置などのスタイルが見られる。

モダニズム

ガートルード・スタインマルセル・プルーストアーネスト・ヘミングウェイシャルル・ボードレールなどのモダニズム作家から影響を受けていた[14]

アメリカの古典

ヘンリー・デイヴィッド・ソローラルフ・ワルド・エマーソンハーマン・メルヴィルウォルト・ホイットマンエドガー・アラン・ポーエミリー・ディキンソンジャック・ブラックから影響を受けていた[15]

ジャズ

文学スタイルはジャズの即興性やインスピレーションから影響を受けていた。

反戦

第二次世界大戦の経験から、軍隊や産業・政治システムの歯車になることへの反対が強調されている作品も多い。

東洋の宗教・哲学

仏教の無常の概念とアメリカの自由主義を融合させる試みを行った[16]

ビート・ジェネレーションという語は、1948年前後に「ニューヨークのアンダーグラウンド社会で生きる非遵法者の若者たち」を総称する語として生まれた。1952年にニューヨーク・タイムズ誌に掲載された、小説家のジョン・クレロン・ホルムズ 英語版エッセイ『これがビート・ジェネレーションだ』(This is the Beat Generation)と、彼の小説『ゴー』(Go)が、この語が一般のメディアに出た最初で、この言葉を思いついたのはジャック・ケルアックだといわれる[17][18]

ジャック・ケルアックは、ビーティフィック・ソウルや、幸せをあなたに(beatific)と言った考え方を提唱した。一方でケルアック自身は保守的なカトリックの家庭出身であり、ヒッピーが大嫌いで反共産主義、反ユダヤであり、ベトナム戦争にも賛成の立場だった[19][注釈 1]

ビートニク

ビート・ジェネレーションとスプートニクを合わせて、ビートニク (Beatnik) という呼称がサンフランシスコ・クロニクル1958年4月2日版にてHerb Caenによって造語された。これは、ビート・ジェネレーションのメンバーのことを指すが、ビート・ジェネレーション文学運動が開拓した当時の社会通俗に反抗する思想や行動様式が徐々に大衆文化に浸透してゆき、ライフスタイルやファッション化した側面がある。ビートニクのステレオタイプは、規範的な服装や行動を嫌い、反体制的・反商業主義的な議論を好み、ドラッグや性に開放的で、ボンゴを打ち鳴らしダンスするといったものである。このライフスタイルがさらに大衆化したものがヒッピーである。

  • 1914年 - ウィリアム・バロウズ生誕。
  • 1922年 - ジャック・ケルアック生誕。
  • 1926年 - アレン・ギンズバーグ生誕。
  • 1944年 - デヴィッド・カーメラー死亡事件の被疑者ルシアン・カーの共通の知人であったギンズバーグ、バロウズ、ケルアックがニューヨークで出会う。バロウズとケルアックはこの事件を題材に『そしてカバたちはタンクで茹で死に英語版』を共著し、1945年に完成するが未発刊。この作品はバロウズの死後にアンソロジーの一編として発刊された。ケルアックはこの事件の重要証人として拘留中にエディー・パーカーと結婚。バロウズもまたジョーン・ボルマーと同棲を始め、そこにケルアック夫妻が転がり込んできて、アパートの一室での奇妙な共同生活が始まるが、それはすぐに崩壊する。ケルアックは数ヶ月でエディー・パーカーとの結婚生活が破綻し、バロウズもまたハーバート・ハンケの影響でモルヒネ常習者になった。ケルアックはギンズバーグの家に転がり込んだ。
  • 1945年 - ギンズバーグが既に放校処分になっていたケルアックを部屋にかくまった件と寄宿舎の窓に過激な言葉を書き付けた件で、コロンビア大学を放校処分になる(のちに復学)。
  • 1946年 - バロウズがボルマーと彼女の娘とともに、テキサス州のニューウェーベリーに転居する。ニール・キャサディ、ケルアックと出会う。ケルアック、『町と街(The Town & The City)』を書く。ケルアックの父が死去。
  • 1947年 - ギンズバーグ、ケルアック、キャサディ、コロラド州デンバーでともに一夏を過ごす。キャサディ、キャロライン・ロビンソンと出会う。ギンズバーグとキャサディがギンズバーグ家を訪問。バロウズ、二ヶ月ニューヨークダカールセネガル)を旅行。ケルアック、サンフランシスコを小旅行。バロウズとボルマーの間に第一子が誕生。
  • 1948年 - バロウズがケンタッキー州レキシントンのアメリカ合衆国麻薬患者更生センターに一時的に入所する。ジョン・クレロン・ホルムズ、ケルアック、ギンズバーグに出会う。ギンズバーグ、コロンビア大を卒業。臨時の仕事としてウィリアム・ブレイクヴィジョン[要曖昧さ回避]に関する書籍の研究に着手する。ケルアック、キャサディと旅行。
  • 1949年 - ケルアック、キャサディ、ルゥアン・キャサディ、アル・ヒンクルがルイジアナ州にバロウズを訪ねる。バロウズ、麻薬と拳銃の不法所持で逮捕され、メキシコシティに移送。のちに定住し、メキシコシティ大学で学び始める。ギンズバーグ、ハンケによって盗品が部屋に蓄えられていたこと/それを隠蔽しようとしたことで逮捕され、ニューヨーク州立精神病院に8ヶ月入院させられる。ここでカール・ソロモンに出会う。出所後、ニュージャージー州で父親と同居し、そこでウィリアム・カーロス・ウィリアムズと出会う。
  • 1950年 - バロウズ、『ジャンキー』(Junkie)に着手。原稿をたびたびギンズバーグに送る。ケルアック、『町と街』(The Town & The City)が出版され、作家デビュー。ジョーン・ハーバティと結婚するが半年で破局。デンヴァーで傷心旅行ののち、キャサディとともにメキシコ・シティにバロウズを訪ねる。キャサディ、ケルアックとバロウズの影響を受け、『ジョーン・アンダーソンへの手紙』(Joan Anderson Letter)を書く。完成するが未発刊。
  • 1951年 - ギンズバーグ、ケルアック、ニューヨークでグレゴリー・コーソに出会う。ケルアック、『路上』(On The Road)を書く。バロウズ、過失による発砲でボルマーを殺害。ケルアック、仏教に興味を持ち始める。
  • 1952年 - ケルアック、『コーディの幻想』(Visions Of Cody)を完成し、キャサディ、ロビンソンとサンフランシスコで共同生活を始める。ジャン・ケルアック生誕。メキシコ・シティにバロウズを訪ね、ともに一夏を過ごし、ケルアックは『ドクター・サックス』(Dr.SAX)、バロウズは『おかま』(Queer)を書く。バロウズはメキシコ政府から「危険外国人滞留者」と通告を受け、メキシコを離れ、放浪の旅に出る。
  • 1953年 - バロウズ、中央アメリカ・南アメリカを旅行。旅先でギンズバーグと往復書簡を交わす。『ジャンキー』(Junkie)が出版され、作家デビュー。作家の肩書きを得て初めての作品『ルーズベルト就任顛末記』[20]Roosevelt After Inaugration)を書く。ケルアック、ニューヨークで『マギー・キャシティ』(Maggie Cassidy)、『地下街の人びと』(The Subterraneans)を書く。ギンズバーグ、ケルアック、バロウズ、短期間ニューヨークで共同生活。ギンズバーグとバロウズ、アイリーン・リーとアラン・アンセンの協力を得て、旅行の際の往復書簡『麻薬書簡』(The Yage Letters)を編纂する。バロウズ、モロッコタンジールに移住。麻薬中毒患者の記録『裸のランチ』(Naked Lunch)を書き始める。ゲイリー・スナイダーカリフォルニア大学バークレー校に入学する。
  • 1969年 - ジャック・ケルアック死去。
  • 1997年 - アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズ死去。
  • 2001年 - グレゴリー・コーソ死去。

注釈

  1. ^ 作家ジョン・スタインベックや、元野球選手ジャッキー・ロビンソンらもベトナム戦争賛成の立場だった

出典

  1. ^ Defining generations: Where Millennials end and Generation Z begins - Pew Research Center (January 17, 2019)
  2. ^ Los Angeles Times, August 27, 1959
  3. ^ The Beat Generation – Literature Periods & Movements.
  4. ^ Charters, Ann (2001). Beat Down to Your Soul: What was the Beat Generation?. Penguin Books. ISBN 0141001518 
  5. ^ Morgan, Bill (2011). The Type Writer Is Holy: The Complete, Uncensored History of the Beat Generation. Berkeley, CA: Counterpoint 
  6. ^ Prothero, Stephen (1991). “On the Holy Road: The Beat Movement as Spiritual Protest”. The Harvard Theological Review 84 (2): 205–222. doi:10.1017/S0017816000008166. 
  7. ^ Allen Ginsberg, The Essential Ginsberg, Penguin UK, 2015.
  8. ^ Lundberg, John (2011年10月16日). “The Great Drug-Induced Poems”. Huffington Post. 2017年9月12日閲覧。
  9. ^ McClure, Michael. Scratching the Beat Surface.
  10. ^ "Throughout these interviews [in Spontaneous Mind] Ginsberg returns to his high praise of William Blake and Walt Whitman. Ginsberg obviously loves Blake the visionary and Whitman the democratic sensualist, and indeed Ginsberg's own literary personality can be construed as a union of these forces." Edmund White, Arts and letters (2004), p. 104, ISBN 1-57344-195-3, 978-1-57344-195-7.
  11. ^ "Ginsberg's intense relationship to Blake can be traced to a seemingly mystical experience he had during the summer of 1948." ibid, p. 104.
  12. ^ According to William Lawlor: "André Breton, the founder of surrealism and Joans's 〔ママ〕 mentor and friend, famously called Joans the 'only Afro-American surrealist' (qtd. by James Miller in _Dictionary of Literary Biography_ 16: 268)", p. 159, Beat culture: lifestyles, icons, and impact, ABC-CLIO, 2005, ISBN 1-85109-400-8, 978-1-85109-400-4. Ted Joans said, "The late André Breton the founder of surrealism said that I was the only Afro-American surrealist and welcomed me to the exclusive surrealist group in Paris", p. 102, For Malcolm: poems on the life and the death of Malcolm X, Dudley Randall and Margaret G. Burroughs, eds, Broadside Press, Detroit, 1967. There is some question about how familiar Breton was with Afro-American literature: "If it is true that the late André Breton, a founder of the surrealist movement, considered Ted Joans the only Afro-American surrealist, he apparently had not read Kaufman; at any rate, Breton had much to learn about Afro-American poetry." Bernard W. Bell, "The Debt to Black Music", Black World/Negro Digest March 1973, p. 86.
  13. ^ Allen Ginsberg commented: "His interest in techniques of surreal composition notoriously antedates mine and surpasses my practice ... I authoritatively declare Lamantia an American original, soothsayer even as Poe, genius in the language of Whitman, native companion and teacher to myself." Allen Ginsberg, Bill Morgan, Deliberate Prose: Selected Essays 1952–1995, p. 442, "Philip Lamantia, Lamantia As Forerunner", HarperCollins, 2001, ISBN 9780060930813.
  14. ^ "In 'Author's Introduction,' which is included in Lonesome Traveler (1960), Kerouac ... goes on to mention Jack London, William Saroyan, and Ernest Hemingway as early influences and mentions Thomas Wolfe as a subsequent influence." William Lawlor, Beat culture: lifestyles, icons, and impact, 2005, ISBN 1-85109-400-8, 978-1-85109-400-4 p. 153. "And if one considers The Legend of Dulouz, one must acknowledge the influence of Marcel Proust. Like Proust, Kerouac makes his powerful memory the source of much of his writing and again like Proust, Kerouac envisions his life's literary output as one great book." Lawlor, p. 154.
  15. ^ Ted Morgan, Literary Outlaw (1988), p.36-37 of trade paper edition, "When Billy [William Burroughs] was thirteen, he came across a book that would have an enormous impact on his life and work. Written by someone calling himself Jack Black, You Can't Win was the memoirs of a professional thief and drug addict."
  16. ^ Beat Buddhism and American freedom.”. thefreelibrary.com. Johns Hopkins University Press. 2019年5月11日閲覧。
  17. ^ Jack Kerouac, Poetry Foundation.
  18. ^ Kerouac, Jack (September 15, 2016). The Unknown Kerouac: Rare, Unpublished & Newly Translated Writings. New York: The Library of America. ISBN 978-159853-498-6. https://www.loa.org/books/516-the-unknown-kerouac-rare-unpublished-newly-translated-writings 2022年4月6日閲覧。 
  19. ^ フェイリャー・オブ・ジャック・ケルアック 2022年4月8日閲覧
  20. ^ 山形浩雄訳『現代詩手帳』1997年11月。pp10-26





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