パネルクイズ アタック25
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特別企画
- 1975年7月27日(第17回)放送分の藤田まこと、石坂浩二、桂三枝(現在:6代目桂文枝)、高岡健二(現在:高岡建治)を迎えたゲスト特集で、石坂が優勝している。このときのバックセットは観客席ではなく解答者の席の色に沿ったスパンコールだった。また出演者は全員が初代のタイトルロゴを書いた丸いワッペンをつけていた。
- 1976年1月4日と1月11日は2週に渡っての正月タレント大会で、1週目は俳優大会で真理アンヌ・牧美智子・川口厚・大橋壮太。2週目は上方漫才師大会で横山やすし・西川きよし、海原千里・海原万里、内海桂子・内海好江、京唄子・鳳啓助[64]。
- 1977年3月6日放送分の番組100回記念大会を迎えキダ・タロー、浜村淳、松岡きっこ、黒澤久雄。優勝は浜村淳[65]。
- 1977年11月20日の放送分は花のフランスゲスト大会。当時のフランス大使・エールフランスのキャビンアテンダント・岡田真澄ら出演[65]。
- 1979年2月11日放送分は200回記念大会はマンガ家大会。モンキー・パンチ、里中満智子、鈴木義司、針すなお。鈴木義司が優勝。海外行き問題は「ディズニー」で正解[66]。
- 1981年2月8日放送分は300回記念大会激突!草野球チーム大会は初のチーム対抗戦。優勝は兵庫県の殿様クラブ。海外行き問題は木田勇で正解[66]。
- 1982年6月20日に新劇新人大会で、俳優座・民藝・青年座・関芸が対決[66]。
- 1983年2月6日は400回記念全国大会で、4週にわたり各地区の代表を選出、5週目は頂上対決で東京都の塾講師が優勝[66]。
- 1985年1月20日に500回記念女子大生クイズの女王選出大会で、4週にわたり、各地区予選を行い、5週目は頂上対決で、京都府の同志社女子大学の学生が優勝[67]。
- 1985年4月7日は10周年記念大会「10歳児と人気アニメ声優」を開催した。大山のぶ代・古川登志夫・三輪勝恵・古谷徹が10歳児とそれぞれペアを組んで出場し、古谷と神奈川県の小学生が優勝[43]。
- 毎年、8月に「小学生親子ペア大会」(2013年から)、9月の敬老の日の前日[注 53]に60歳以上対象の「熟年大会」が行われる[注 54]。
- 過去には1994年まで「中学生大会」、1996年まで「小学生大会」、2011年まで「高校生大会」、1997年から2011年まで「高校生VS高校の先生大会」が開催されていた。なお、高校生大会は2016年、中学生大会は2023年に復活している。
- 当番組は基本的に一般視聴者が参加する番組だが、2005年から2007年には9月第1週にタレントやお笑い芸人の2人1組、計4組が解答者として出場する「芸能人大会」が開催された。なお、上記の「アナウンサー大会」同様、出題場面が途中でダイジェストの扱いとして放送されることがある。芸能人大会はこの時期以外に2006年3月5日(第1547回)放送分でも開催されている。
- その最新回は、2017年3月26日放送分であるが、詳しくは後述。
- 過去には、数年に一度、過去5年以内(またはそれ以上)に出場者で優勝したとしても海外旅行を逃した人、最後で逆転されて優勝を逃した人、解答できずに終わった人、解答するも正解できずに終わった人、あるいは正答できてパネルを獲得するも最後は数枚しかとれなかったまたは1枚も残らなかったという残念な結果に終わった人たちのための、いわばリベンジ大会である「夢をもう一度大会」があった。優勝できなくとも、獲得パネル1枚だけで喜ぶ人あり、海外旅行獲得リベンジ達成の人ありなど、夢を再び与えるという趣旨も持っている。
- 1989年1月15日は『700回記念大会第1弾』「4強激突!プロ野球大会」ではセ・パ両リーグからそれぞれ2チームの選手とそのチームのファンであるタレントが2人一組で出場していた。参加チームは近鉄(阿波野秀幸とマッハ文朱)チーム・西武(笘篠誠治と松崎しげる)チーム・中日(小松辰雄と鈴木ヒロミツ)チーム・巨人(勝呂博憲と前田武彦)チームで、各リーグとも1・2位のチームが参加した(なお2位チームは1989年にリーグ優勝している)。優勝は巨人チームで、最後の旅行獲得問題でも「大阪球場(難波球場)」を正解しパリ旅行まで獲得している。さらにトップ賞となったチームを応援していた観客1人にもパリ旅行がプレゼントされた。なおこの回は「平成」初の回だった。
- 1989年1月22日(700回記念大会第2弾)、1990年4月8日(15周年記念大会第2弾)、1991年1月20日(800回記念大会)の3度、各大学のクイズ研究会やサークル25人が1チームとなって4大学対抗で戦う「大学対抗!100人の大サバイバル」を実施。各大学の解答者はチームカラーの番号の付いたゼッケンとチームカラーの帽子を身に着けており、番号順に代表者1名が解答席に着いてクイズに答える。正解で他の3チームが脱落となり、帽子を脱いで次の解答者に交代、お手付きや誤答で不正解チームのみ脱落となり、帽子を脱いで次の代表者に交代するという特別ルールで実施。アタックチャンスも通常の残りパネル5枚に加え、残りパネル10枚でも行われ、計2回実施された。最終的に25人全て脱落した大学は失格となり[注 55]、残っているチームでパネル獲得枚数の多いチームが海外旅行の挑戦権獲得。そのため、700回記念大会では、通常のルールでは不可能なパネル6枚で勝利するという事態が起きた[注 56]。また、失格になっても獲得パネル1枚につき賞金1万円が贈られ、旅行クイズで正解すると、勝利時に残っていた解答者の人数分だけ獲得となる。
- 1990年4月1日は15周年記念大会第1弾「大阪花博コンパニオン大会」[68]。
- 1995年2月5日の1000回記念では、過去のパーフェクト達成者のうち4人による対戦を行った。
- 1995年3月12日 - 26日(第1005回 - 第1007回)、過去5年以内の出場者の参加も交えての「20周年記念グランドチャンピオン大会」を3週にわたり開催、まず全国各地で筆記予選を行い、ネット局の代表1人(テレビ朝日からは2人)が選ばれ、それらを東日本・西日本別に予選大会を行い[注 57]、それぞれ獲得パネルの多かった2名が選出。テレビ朝日代表の東大生が勝利し、グランドチャンピオンとなった[注 58]。
- 1997年1月5日と1998年1月11日には大学対抗クイズ研マドンナペア大会を開催。1998年は予選を行っていた。
- 2000年3月には4週にわたって25周年記念大会を開催。1週目は、番組が開始された年の1975年に出場した「25年前の出場者大会」を、2週目は、出場者が全員25歳である「25歳大会」を、3週目は「25にちなんだ人大会」を、4週目「系列局女子アナペア大会」を行った。2001年4月にも3週にわたって27周年記念大会を開催した[注 59]。1週目「27にちなんだ人大会」、2週目「ペア大会」、3週目「系列局女子アナペア大会」を行った。
- 2004年4月4日 - 18日には番組開始30周年[注 60]記念大会と銘打って、3週間に渡る「史上最強のクイズ王決定戦」を開催した。参加基準やルールは「20周年記念大会」と同じだが、ファイナルのみ賞金がパネル1枚につき4万円となった。
- 2005年3月20日、1500回を迎えやくみつる・高田万由子・森内俊之・丸山和也の4人の著名人によるゲスト大会が行われた。結果は、森内がパネル18枚で優勝。なお、クイズを趣味とする森内は、過去にもプロ棋士としての仕事の合間を縫って1995年4月23日(第1011回)に一般参加者として予選会を勝ち抜いて出場したことがあり、その際はパネル1枚に終わっている。
- 2005年8月7日(第1520回)放送分は、「浴衣大会」を開催。一般出場者4人と、児玉・沢木が浴衣を着て登場した。
- 2005年9月4日(第1524回)放送分は、芸能人ペア大会で、赤は高田万由子と篠沢秀夫、緑は大林素子とパンチ佐藤、白は京子・スペクターとデーブ・スペクター、青は光浦靖子とモンキッキーで、優勝は青の光浦靖子とモンキッキーで14枚獲得。
- 2006年9月3日(第1572回)放送分は、芸能人ペア大会で、赤は林家木久蔵(現在:林家木久扇)と三遊亭好楽、緑は山口もえと魚住りえ、白はジャガー横田と木下博勝、青は博多華丸・大吉。優勝は緑の山口もえと魚住りえ。この回では児玉と華丸による「アタックチャンス!」のコラボも行われた。
- 2007年9月2日(第1621回)放送分はお笑い芸人大会で、赤はアンガールズ、緑はカンニング竹山・ダンディ坂野、白はハリセンボン、青はブラックマヨネーズで、結果は赤のアンガールズが9枚で優勝。
- 2010年2月14日(第1740回)と4月4日(第1746回)放送分は、2001年以来となるペア大会を行った。
- 2011年5月16日に児玉が77歳で死去。5月22日は通常の放送を休止し『さようなら児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜』と題した追悼特別番組[注 61]が放送された。5月19日に収録が行われ、スタジオには児玉の遺影や趣味であった切り絵の作品[注 62]、応援席には過去の放送時の写真が展示された。追悼番組では番組のこれまでの歴史のほか、児玉の俳優としての活動、数々の名語録などを映像で振り返った(一部映像は通常の放送素材とは別に児玉の司会ぶりの様子のみを収録した映像も使用)[注 63]。VTRゲストには、最初の芸能人大会に出演した石坂と、大河ドラマ『龍馬伝』で児玉と共演した福山雅治が登場し、故人との想い出を語った。
- 2012年8月12日放送分では、2010年4月4日放送分以来861日ぶりのペア大会を行ったが、親子4組によるものだった。さらに、9月2日放送分では夫婦ペア大会を行った。以降、予選会でも夫婦ペア大会分も恒常的に募集[注 64]ようになり、3か月 - 4か月に1度位の頻度で夫婦ペア大会を行うようになっている。
- 2015年7月19日放送分では、放送回数が2000回を迎えることを記念して『番組対抗芸能人大会』が行われ、朝日放送制作の全国ネット番組[注 65]から『新婚さんいらっしゃい!』の桂文枝と山瀬まみ、『朝だ!生です旅サラダ』の神田正輝と向井亜紀、『ペットの王国 ワンだランド』の関根勤と篠田麻里子、『熱闘甲子園』の古田敦也と『スーパーベースボール』(朝日放送制作分)の矢野燿大が出場[69]。芸能人大会は2007年9月2日放送分以来約8年ぶり。さらに文枝は前述した、番組開始初期のゲスト大会以来40年ぶりの出場となった。優勝は古田・矢野チーム[注 66]。
- 2017年3月26日放送分に芸能人大会を放送。出場者はラサール石井、大島さと子、松尾貴史、八田亜矢子。優勝はラサール石井。なお、この回は2020年4月26日に再放送された。
- 2020年4月5日放送分より放送開始45周年を記念して、様々な特別企画を実施[13]。
- 4月5日は、放送開始年生まれで45歳になる出場者4名による「45周年大会」が行われた。
- 4月26日 - 5月31日は、過去の放送回から厳選してアンコール放送する「45周年名勝負選」を放送した[注 67]。番組冒頭では特別映像が入り、パネルの取り方のルール説明の後、本編に入る[注 68]。
- 4月26日 - 5月17日放送分は加藤が番組冒頭にパネルボードをバックに登場し、5月24日 - 6月14日放送分は谷原がオープニング・エンディングにリモートで登場した。また、期間中の視聴者電話参加プレゼントについて、5月17日までは休止していたが、5月24日以降は特別企画として、番組史にまつわるクイズを実施した。また4月26日 - 6月14日の特別企画期間中、現行のスタッフ表示(再編集版製作にかかわったスタッフとして)を番組最後の提供読み前に画面下にまとめて表示する手法がとられた。
- 6月7日・6月14日は、番組放送45年の歴史を振り返る特別総集編を放送した(総集編はこれが初)。第1週(6月7日)は1989年1月放送の700回記念特集(上述)、ゲストクイズ(浦川・谷原時代)のアタックチャンス25連発、海外旅行獲得クイズの名解答(パネル獲得21枚以上、10枚 - 20枚、9枚以下の順に紹介)などを放送。続く第2週(6月14日)は2005年、2006年、2007年、2015年の芸能人大会を特集して放送した。
- 2021年1月10日には「45周年記念!芸能人1時間スペシャル」と題し、番組開始以来初となる1時間スペシャルとして、12:55 - 13:55の枠で放送した。当日のゲスト解答者として、川島如恵留(Travis Japan)、大久保佳代子(タレント)、鷲見玲奈(フリーアナウンサー)、勝俣州和(タレント)、後上翔太(純烈)、ミルクボーイ(漫才コンビ、内海崇・駒場孝)の6組が参戦、まず予選(3問先取、誤答は1回休み)を実施し、本戦に出場する4名を決定[70]。本戦(着席順、括弧内は解答席の色)では鷲見(赤)、後上(緑)、川島(白)、大久保(青)の4人による試合となった。優勝したのは純烈・後上だったが、ハワイ旅行を賭けたクイズは不正解だった(正解は『八坂神社』だったが、後上は『八幡神社』と答えてしまい、挑戦失敗)。
- 2021年8月22日は『新婚さんいらっしゃい!』とのコラボ企画を両番組で実施、『新婚さん~』に谷原、本番組に桂文枝と山瀬まみがそれぞれゲスト出演[71][72]。この日の放送は『新婚さん』出場経験のある夫婦4組による大会で、赤・緑の席は同日に、白・青の席は過去に『新婚さん』にそれぞれ出場した夫婦であった。優勝は赤の席で、宮古島旅行を賭けたクイズも正解した。この日は谷原と文枝による「アタックチャンス」ポーズも披露された[71][73]。
- 2021年9月26日(地上波での最終回)は、「史上最強のチャンピオン大会」として30分前拡大して放送され、まず東西各ブロックの予選(4問先取、2問誤答で失格・退場)を行い、決勝に進む4名(東西各2名)を決定。また決勝は通常の対戦を行った。その結果、赤の解答者が優勝し(獲得枚数12枚)、インペリアルスイートでの宮古島旅行を賭けたクイズにも正解し、有終の美を飾った(正解は『秦の始皇帝』)。エンディングでは、谷原が「皆様、『パネルクイズ アタック25』、46年間本当にありがとうございました。クイズを愛する皆さんの熱い思いというのは永遠です。皆さんこれからもクイズを愛し続けてください」と挨拶し、視聴者に感謝した。最後は、谷原・加藤・優勝者が「アタックチャンス!」のポーズを決めたところで、スタジオ内のキャノン砲から大量の紙吹雪が発射され、画面下部に「46年ありがとうございました」というテロップを表示して番組は終了。46年半・2280回の歴史にひとまず幕を閉じた。
- 2022年3月27日(『Next』としての初回)は、BSJapanext開局記念11時間生放送内において、以前にトップ賞を獲得したことがある(うち2名はパーフェクト達成者)レジェンド解答者を招いての番組史上初の生放送となった。白の解答者(パーフェクト達成者)がパネルを18枚獲得して優勝し、日本国内クルーズ船旅行を賭けたクイズにも『渋沢栄一』で正解した[31][32][33]。
- 2022年12月18日・12月25日・12月31日の「年間チャンピオン大会ファイナルラウンド」(12月18日敗者復活戦、12月25日ファイナルラウンド1回戦、12月31日ファイナルラウンド最終決戦)に加え、2023年1月1日・1月2日(前述の12月31日の年間チャンピオン大会を含め3日間連続放送)にも新春特番が編成され[74]、2日目の1月1日は新春芸能人ゲスト大会(13:25 - 14:55に拡大 出場者:宮川一朗太・村上佳菜子、JOY・キャシー中島、福澤朗・磯貝初奈、バービー・本田望結の各チーム2人づつ4組8人)[注 69]、3日目の1月2日には13:25 - 15:55に拡大し、大学のクイズ研究会大会(出場校:東京大学、京都大学、早稲田大学、お茶の水女子大学 各チーム4人1組)を舞台に、番組47年の歴史で史上初の「アタックチェンジ」で、通常25枚の所を最初は36枚からスタートし、徐々にパネル枚数が増え、最終的に100枚へと進化するからくりが付いた「パネルクイズアタック100」という特番が行われた。
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- 8月20日:小学生の親子ペア大会
- 8月27日:中学生大会(地上波の放送を含めると30年ぶりに実施)
- 9月3日:高校生大会
- 9月10日:学校の先生大会
注釈
- ^ a b c d 2018年3月25日(当番組の2017年度最終放送日)までは、4月1日の認定放送持株会社移行に伴う商号変更並びに分社化前のため、朝日放送(ABC、現・朝日放送グループホールディングス)[4][5][6][7]。
- ^ 字幕の色は地上波では谷原の声が黄色、加藤の声が水色、それ以外は白色で表記。BS(再放送で実施)では全て白で表示
- ^ 地上デジタル放送では開始当初より実施。
- ^ 一部では「パネルクイズ」と呼ばれることもある。
- ^ ほかの例では、現在も特番で放送されているテレビ朝日系列の「クイズタイムショック」シリーズや、今後特番として放送する予定があるTBS系列の「日立 世界・ふしぎ発見!」、特番で放送されていたCBCの「天才クイズ」(東海3県のほか、レギュラー放送時代の一部の回は長野県の信越放送(SBC)でも放送していた)がある。
- ^ この枠は、1963年10月に水曜12:15 - 12:40枠の『グロリアホームクイズ 歌って当ててハイ何点』(毎日放送制作)開始に伴い、『ガイド』として設置された物。その後後継番組『ダイビングクイズ』(毎日放送制作)の変遷(ダイビングクイズ#放送時間を参照)に伴い、『ガイド』『CMロータリー』『ファミリータイム』と改題しながら継続し、当番組の開始時は13:40に移動していたが、1975年10月より13:45 - 14:55に歌謡番組『せんみつのJOYJOYスタジオ』を設置するため、14:55 - 15:00に移動した。
- ^ ごく一部のみ。
- ^ テーマ曲がステレオに変更された後も、山下の「アタック!」コールは引き続き使用。ただし、曲最後のコールタイミングについては、アレンジ前より半拍早くなっている。
- ^ 1979年1月14日放送分。ビデオリサーチ調べ、関西地区・世帯・リアルタイム。
- ^ 1980年1月27日放送分。ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。
- ^ UHTはUHF局であったため、スポンサーセールスや受信可能範囲等の都合から一部のNET系列番組(毎日放送制作を含む)を先発VHF局であるRCCの編成に残していた。
- ^ 前番組「お昼にあいましょう」の金曜日を朝日放送が担当した名残り。1970年から水曜日を含め全曜日TBS製作に移管。
- ^ 基本的に日曜20時台の番組の番宣。
- ^ 2021年9月でレギュラー放送を終了することが決まっているが、当番組と違って、終了後も特別番組として不定期で放送することがフジテレビから発表されている。
- ^ その日の「アタックチャンス」でレターボックス放送に移行したことを意識した問題が出題された。
- ^ 一部系列局でも深夜時代の『リア突WEST』を番組販売による遅れネットで放送していた。なお、系列キー局のテレビ朝日の場合は深夜時代の『リア突WEST』を2度単発放送しただけだったため、全国ネット化に合わせネットを開始した(このため、テレビ朝日公式サイトや首都圏の各種テレビ情報誌・新聞番組表に掲載された同局の2021年10月3日分の番組表には新番組であることを示す「新」マークが付与されていた)。
- ^ BSJapanext自体の放送開始日。
- ^ 当初『- Next』で発表し、一度『- NEXT』と変更したものの、放送開始時には『- Next』に落ち着いた。
- ^ 沢木は児玉の司会時代に担当していたので、谷原-沢木のコンビは初。
- ^ 2013年から存在する「ジャパネットアプリ」を開局に合わせてアップデートしたアプリ。
- ^ ネットチェンジ前の『東リクイズ・イエス・ノー』(毎日放送制作)の時代から換算すると37年間。
- ^ 2012年の番組リニューアル(後述)による公式サイトリニューアルまで。
- ^ クイズ解答とパネル取りができる携帯ゲーム。
- ^ これにより、加藤は児玉・浦川・谷原の歴代司会者全ての出題者を担当したことになる。
- ^ この場合、字幕放送においては不正解のブザーと同様に「(不正解の音)」と表示される。
- ^ 変更前の曲はオリジナルだが、変更後の曲は元々は、同局で放送されていた『クロスワードクイズ・Theエイリアン』→『三角ゲーム・ピタゴラス』で使用されていたもの。
- ^ 司会者によって、言い方が若干異なる。
- ^ 朝日放送:秋山利謙ゼネラルプロデューサーによれば、『アタックチャンスは、放送枠が25分から30分に拡大となった時、その5分増えた分を穴埋めするために当時の番組スタッフが考え出したものだった』と語っている[57]。
- ^ 1987年7月5日(指定したのは当時立命館大学の学生であった長戸勇人)、1994年2月27日、2013年10月6日放送分、2023年7月16日。なお、いずれも1問目は13番からスタートしている。
- ^ 字幕放送では単に「(鐘の音)」で表記。
- ^ この時、番組内では史上初と言われたが、先述の1回があるため誤りである。
- ^ 長期戦となった場合は、途中カットされる部分はダイジェスト形式で編集した上で放送する。
- ^ お立ちの解答者がいる状態で誰もボタンを押さなかった問題をテロップとダイジェスト映像を流す処理で時間を詰めて放送時間内に収める措置を採った。
- ^ 地上波時代は近畿地方近辺からの出場者の場合、この中に交通費も含まれるが、遠方からの出場者で朝日放送までの交通費が5000円を超えた場合、交通費も朝日放送側から別途支払われた。BS版は逆に関東地方近辺からの出場者の場合、この中に交通費も含まれるが、遠方からの出場者でBSJapanextまでの個通費が5000円を超えた場合、交通費もBSJapanext側から別途支払われる。
- ^ 放送上は残った他の色のパネルのうちの1枚にトップ賞獲得者の様子が映し出される。ただし、パーフェクトの場合は映らない。2015年4月5日からは画面右側に表示される仕様に変更された。このため、パーフェクトであっても映し出された。
- ^ このために映像を撮っている場合もある。
- ^ ただし、日本にある都市の場合のみ。
- ^ 時報を模したカウントダウンの音が流れる。
- ^ ファイルにあるABCロゴは現行ロゴでなく、3代目(1989年 - 2007年)のものを使用している。
- ^ 末期では旅行獲得プレート。
- ^ 児玉司会時代、1995年までは司会席の背景にエッフェル塔・凱旋門を中心としたパリの写真が使用されていた。
- ^ 2008年4月からのスペイン・パリ旅行の時にも流された。
- ^ 2001年のみJALパックAVA、2002年から2004年まではANAハローツアー、2005年4月から2009年3月までは近畿日本ツーリスト、2009年4月からはPTS提供。
- ^ ただし、エンディングのVTRクイズ前に出る旅行先紹介VTRは出題がなくなってからも登場。
- ^ 2011年5月15日放送分から一部旅行先が変更。
- ^ クイーン・エリザベスとクイーン・ヴィクトリア
- ^ この月までに、予定されていたテレビ朝日系列24社がすべて開局したことを記念しての企画。
- ^ ただし不定期にゲストクイズが行われることもある。また、通常のビジュアルクイズとして出題されることもある。
- ^ 映画問題のみ毎週出題される。
- ^ 1度だけ都道府県別ランキングで第47位を当てる問題が出題された。
- ^ 2012年4月から2013年3月までは、オープニングクイズ、熟語問題、アナグラム問題、ランキング問題、映画問題で誤答やスルーが発生した場合に、パネル5枚が埋まるまで出題されていた。ただし、3問以内に5枚埋まらなかった場合は、読み上げ問題に移っていた。
- ^ 4人で音楽問題を迎えた場合、たとえ収録・出題されても答えが出なかった場合、放送時間の都合で実際の放送に入らないケースがある。
- ^ 2001年までは9月15日と重なる週の日曜日。
- ^ 60歳以上であっても、通常のレギュラー放送で出場した人は複数いる。
- ^ 但し、ゲーム終了時点で残ったパネルの分の賞金は獲得できた。
- ^ 厳密に言うと、勝利チームはパリ・ニース旅行(放送当時)の挑戦権を獲得しただけであり、失格にはなったが18枚獲得した大学がトップ賞として、トロフィーと通常回の優勝時に贈られる賞品が贈られる。そして他の3チームは、通常回で贈られる参加賞が贈られた。
- ^ 形式は3問先取の早押しクイズで4人勝ち抜き→従来のパネルクイズ。
- ^ 賞金は枚数に関係なく50万円。
- ^ 実際は満26年。
- ^ 正式には満29年であり、30年目突入。
- ^ ネットスポンサーはすべてPT扱いとなり、一部企業はACジャパンの公共広告CMに差し替えとなった。
- ^ 同特別番組では2004年2月『徹子の部屋』に児玉が出演した際に切り絵の腕前を披露する場面も紹介された。
- ^ 肖像権の関係上、ほとんどの解答者や観客にはぼかし処理がされた他、かつての冠スポンサーだった日興証券・日興投信に関して司会者席下部の「提供 日興証券・日興投信」の文字は、放送時のスポンサーと異なることからぼかし処理で消されていた。ただし、1989年の「700回記念プロ野球大会」の部分を再生した「アタックチャンス」の箇所など、解答席の場面での両サイドの日興証券・日興投信の看板や東リのロゴは、処理されずにそのまま放送されていた。
- ^ なお、夫婦ペア大会の予選を通過するためには夫婦とも筆記予選を通過しなければならないという最低限のハードルが課せられており、夫婦のうち一方のみが筆記予選を通過した場合は一般参加者が筆記予選を通過した扱いとなるとのことである。[要出典]
- ^ 基本的に当番組と同じ週末日中に放送の番組を選出。ちなみに『熱闘甲子園』はテレビ朝日との共同制作。
- ^ 地中海クルーズを賭けたクイズの正解は『不思議の国のアリス』だったが、古田・矢野チームはそれを答えられず、挑戦失敗。
- ^ 2020年4月~5月の間、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言に伴い収録を休止していたため。
- ^ 本編は当時のまま放送するが、テロップの一部に別テロップを被せるもしくはボカシ処理をしている。また、当時のスタッフロールもそのまま流れる(2018年3月までは分社化前の為、制作局名は「ABC」となっている)が、その後に現在のスタッフ並びに現行の「制作著作 ABC TV」までを一挙に表示する。
- ^ ルールが一部変更され、アタックチャンスを除く全問題が正解が出るまで何度でも解答可・誤答によるお立ちなしとなる。
- ^ 但し例外として、1986年のチャンピオン大会では、25枚パーフェクトを達成してチャンピオンとなった特典として、特別に更に1人分増やして3人分のパリ旅行が贈られた(チャンピオンは正解し獲得に成功)。
- ^ 年度により異なる。
- ^ 視聴者には10問ずつ、前半と後半に分けて出題。
- ^ ここまで前編、後編は決勝。
- ^ 勝ち抜け順に赤・緑・白の席と座る。
- ^ このサバイバルステージにあたる箇所までが前編、後編は決勝。
- ^ 8番に赤、12番に青、14番に緑、18番に白。
- ^ 13番のコールは通常通り、浦川が行った。
- ^ A・B・Cグループ勝者がそれぞれ赤・緑・白の席。
- ^ 日本一周クルーズの旅を賭けたVTRクイズの前に説明あり。
- ^ 1992年の時は北海道テレビ放送が優勝、1996年では名古屋テレビ放送が優勝した。
- ^ CM明けのアタックチャンスは別撮りで従来どおり児玉単独で行う。
- ^ この年は1チーム2局ずつ・計8局の対抗戦。
- ^ 開催月を3月にずらして開催。
- ^ 2020年5月10日に再放送された。
- ^ ただし予選の応募受付を各局で行っていた1990年代までの宛先はテレビ朝日だった。
- ^ かつて[いつ?]は、同じ筆記形式でも、問題文のない解答欄のみの用紙に、カセットテープ再生による読み上げ問題の解答を記入する方式だった。1問の制限時間はおよそ10秒で、全20問。問題の読み上げは、本選の出題者が担当していた。その後は全30問(制限時間8分)の筆記形式。
- ^ 地上波末期まではフィーチャーフォン(通称「ガラケー」)でも募集されていた。現在はインターネットブラウザー経由およびスマートフォンのアプリで募集されている。
- ^ そのときのスポンサーの一社であるジャパネットたかたはテレビショッピングを中止し、同社のスポットとACジャパンの公共広告に差し替えた。
- ^ 2012年7月はザックJAPAN、2013年1月はなでしこJAPAN。
- ^ 他に『100万円クイズハンター』のゲームも発売された。
- ^ ただし、実際の予選はディレクター以上のスタッフが仕切るのに対し、このソフトではADが予選を仕切るようになっている。
- ^ のちに倒産、現存せず。
- ^ 付録として、テレビ番組での本戦への応募ハガキが同封されている(2003年の再販版は無し)。
- ^ ゲームオーバーになった場合でも、コンティニューして何度でも再挑戦が可能。稀に、前述の通り書類選考の時点で落選するケースもある(その際には予選会の通知ではなく「近所のスーパーの特売のチラシ」や「通信販売の商品の広告」といった関係の無いものが届き、即ゲームオーバーとなる)。
- ^ 因みにオープニングでは、2002年当時の出演者募集のCMをポリゴンで再現した映像が流れる。
- ^ 言っていない台詞は聞くことができず、全部集めるのには時間がかかる。
- ^ 東洋リノリユーム・小林製薬の二社提供であったため。
- ^ 1992年3月15日から6月28日までは、損失補填問題に伴い一時降板。
- ^ ABC男性アナウンサーによる提供読みも入る。当初は「提供」を表示していたが、後に表示しなくなった。
- ^ 1984年9月30日までは時差ネット(先行ネット)、10月7日からは同時ネット[89]。
- ^ 1993年12月31日までの略称は「T34」。
- ^ 日本テレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット局である福井放送(FBC)での放送実績はなかった。
- ^ 放送再開後も一貫して遅れ放送であったため、携帯サイトやスマートホンサイトでのクイズには参加できなかった。
出典
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- ^ 『北國新聞』1986年9月25日付朝刊テレビ欄
- ^ 『北國新聞』1987年10月3日付朝刊テレビ欄
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