バグダード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/12 07:35 UTC 版)
産業
バグダードは、イラクの経済・交通・文化の中心であり、イラク工業の大半が集中する。伝統的工業としてじゅうたんや絹織物、また綿製品・皮革製品・たばこ・アラック酒などがあり、セメントや鉄道修理、食品加工、繊維などの近代工業もさかんである[3][6]。また石油化学工業なども盛んであるが、イラン・イラク戦争や湾岸戦争など度重なる戦争で多くの施設が破壊されたこともあり、現在修復作業がさかんに行われている。
交通
バグダード国際空港からヨルダンのアンマンやアラブ首長国連邦のドバイなどに定期便が就航している。また近隣国の主要都市からは不定期長距離バスやチャータータクシーで行くことができる。
イラクの鉄道は、オスマン帝国時代末期にさかのぼるが、鉄道網の大部分は第一次世界大戦中にメソポタミアを占領したイギリス軍によって建設されたものである[27]。市内にはイラク国内最大となるイラク鉄道のバグダード・セントラル駅があり、バグダード・セントラル駅からは、バスラやモスル、キルクークなどイラク国内の主要都市と結ばれるだけでなく、シリアやトルコなどへも延伸しており、さらにヨーロッパ大陸に通じる[3]。バグダード鉄道の一部である首都バグダードと第二の都市バスラを結ぶ重要路線には2013年時点で時速64kmの老朽化した2つの車両しかなかったが、2014年に中華人民共和国から時速160kmでエアコンなどを完備した近代的な青島四方機車車輛製の高速車両が導入された[28](バグダード=バスラ高速鉄道路線)。
汽船がティグリス川を航行し、バスラとのあいだを結んでいる。なお、バグダードの交通網を改善するため19世紀に実施された調査では、ユーフラテス川の汽船航行は不可能であることが判明している[6]。
幹線道路は、イラク国内各地のみならずヨルダン、シリア、イラン、クウェートなどと結ばれており、現代においてもバグダードは水陸交通の要衝となっている。
観光
歴史的建造物
モンゴルとティムールの侵攻による破壊や煉瓦という風化しやすい素材が建築用材として用いられることが多かったことが原因で、現存する遺構の数は決して多くない。アッバース朝時代の建築としては、以下の数棟がのこるのみである[29]。
ムスタンスィリーヤ学院は1234年に建てられた煉瓦造のマドラサで、しばしば「世界最古の大学」と称される。名称は創設者の第36代カリフムスタンスィルに由来する。この学院が収蔵していた30万冊におよぶ図書は、1258年、フレグの率いるモンゴル軍によってティグリス川に投げこまれ、そのため川はインクで黒く染まったといわれている[30][注釈 21]。中庭には泉水をともない、複数のイーワーンが外部と中庭をつないでいる[11]。建物は現在、博物館として利用されており、イラク中央銀行の発行するイラク・ディナール紙幣の図柄にもなっている。
アッバース宮殿は1230年ころマドラサとして建設された建物で、ミダーン地区に所在する。博物館に改装されて利用されていた[29]が、2003年、強盗団によってアッバース朝時代の家具・調度品・書籍のほとんどが略奪された[31]。
12世紀に建設されたバーブ・アルワスターニは、バグダードに現存する唯一の城壁門であり、円形都市建設時の「ホラーサーン門」に相当する。現在は戦争博物館になっている[9][32]。
スーク・アル=ガーズル寺院のミナレット(尖塔)は市内で最も古い建造物で10世紀初頭の作といわれる。なお、スーク・アル=ガーズルとは「糸市場」の意であり、現在は古い街並みを見下ろす位置にあるが、かつてはカリフのモスクの尖塔であった。この尖塔の下位部分はいまだ土に埋もれたままである[33]。
シッタ・ズバイダの墓塔は1179年ころから1225年ころまでの時期に建設されたもので、八角形の基台のうえにムカルナス装飾をともなった三角錐の形状の塔をのせた墓である。
アッバース朝滅亡以後のものとしては、モスク、マドラサ、墓廟より成るマルジャーニーヤ建築群やハーン(隊商宿)として用いられたハーン・マルジャーンがあり、ともに14世紀中葉の遺構である[29]。イラク観光省の修復を経て料亭としても用いられたハーン・マルジャーンは、アミン・アルジャーンによって建設されたイラク唯一の屋根付きハーンである。2階建てでユニークな設計プラン・採光法を採用している[29][30]。
聖地・宗教施設
カージマイン・モスクは、バグダードの都心から北へ約8キロメートル、カージミーヤの地に建てられたイスラーム教シーア派の聖地である。金色をした銅板のドームと美しい彩釉タイルの門で知られ、シーア派第7代イマームのムーサー・カーズィム(位765年-799年)および第9代イマームのムハンマド・タキー(位818年-835年)が埋葬されているところから、「カーズィム廟」の名もある。霊廟の起源は古いが、現在のかたちに整備されたのは17世紀以降であり、19世紀にガージャール朝ペルシアのシャーによる大改修がおこなわれた[30]。ドームは2つあり、これが2人のイマームを象徴している[30]。カージマイン・モスクの周辺には住宅が広がっている[6][注釈 22]。
一方、スンニ派信者の多い地区にはアブ・ハニファ・モスクなどのスンニ派モスクがある。
博物館
「歴史的建造物」の節で示したように、バクダードでは歴史的建造物の多くは博物館に改装されている。
イラク王国成立時の1926年に創設されたイラク国立博物館は世界有数の考古学的博物館である。先史時代からメソポタミア文明、アッバース朝イスラーム帝国、および、イスラーム諸王朝の貴重な文化遺産・遺物が文明史ごとに28のギャラリーに分けて分類展示されている。しかし、2003年のイラク戦争の混乱に乗じて約1万5000点の収蔵品が密売目的で略奪されてしまい、これは世界的な話題となった。その後、数千点が返還されたものの、今なお数千点が行方不明のままである。この博物館には、古代史や各文明にかかわる諸言語の出版物を備えた考古学図書館も附設されている。
上記のほかには、自然史博物館、民俗博物館、国立近代美術館などがある[29]。
バグダード動物園
イラク戦争においてはバグダード動物園も米軍の攻撃対象とされた。バグダード陥落後、貧窮した一部の市民によって動物園は襲撃を受け、多くの動物が殺され、食べられたという[34]。残された動物も不衛生なまま放置されていたが、南アフリカ共和国出身の自然保護活動家ローレンス・アンソニーが中心となって動物救済と動物園復興がなされた[34]。
その他
他の観光資源としては、イラク随一の繁華街であるラッ=シード通り、また、市内各地の大モスクの周囲にひろがる古いスーク(市場)の街並みがある。バグダードは中近東において、とりわけ書店の数の多い都市であり、露天商も少なくない[30]。
バグダードには、横幅50メートルにおよぶ『自由のモニュメント』(ジャワード・セリーム作)や「アラブの盾」を造形した巨大なドーム『無名戦士の墓』(ハーリド・アッ=ラッハール作)、2つに割れた桃のかたちをした「殉教者の墓」(アルシャヒード・モニュメント、イスマーイール・ファッターハ・アッ=トゥルクとサーマーン・アスアド・カマールの合作)などの巨大な記念物がある。その他、著名な彫刻として『アリババと40人の盗賊』『シャイアールとシェラザード』はともにムハンマド・ガニーの作品で街頭に所在し、ハーリド・アッ=ラッハールの作品『前進』『アル・マンスールの像』はいずれもイラク国立博物館横にある[30]。
注釈
- ^ 中世ヨーロッパでは長いあいだバグダードは王都バビロンと同一であると誤認されていたが、イスラーム以前のバグダードは定期市がひらかれる一集落にすぎなかった。
- ^ 「羊の家」をあらわすアラム語が語源であるという異説もあって、一定しない。
- ^ 初代のサッファーフは、いわゆる「アッバース革命」の成功によりクーファで即位した。サッファーフは、クーファから北方のハーシミーヤ、さらにはバグダード西方のアンバールに都を遷した。第2代カリフのマンスールはサッファーフの兄にあたり、いったんはハーシミーヤに復都したものの、その地は、マラリアを媒介する蚊が多く、また、多数のシーア派住民が住むクーファに近く政情不安が懸念されたので新都の建設が求められた。
- ^ 円城都市にはメディア王国の首都エクバタナ(現在のハマダーン)やサーサーン朝の都市グール(現在のフィールザーバード)など古代オリエント以来の伝統がある
- ^ アラブ大遠征以降、軍団内でのアラビア半島出身者のアラブ人兵士の重要性が減じ、かわってホラーサーン地方出身者の軍人やその他の側近軍団、9世紀以降はトルコ系の奴隷軍人(マムルーク)が軍の主力をになうようになった。
- ^ 舟橋はのちに上流と下流にも1つずつつくられた。これは、河中に杭を立てて舟をつなぎあわせ、その上に板を敷いてつくられていた。
- ^ 「マディーナ・アッ=サラーム(平安の都)」はマンスールによる命名。天国を意味する「ダール・アッ=サラーム(平安の館)」が意識されたものといわれるが、実際には従来よりの呼称バグダードが多用された。なお、中国では宋代以降「白達」と表記され、イタリア語ではバルダッコ(Baldacco)の名で知られた。
- ^ 『千夜一夜物語』は単にお伽噺のみならず、史実にもとづいた物語を数多く含んでいるとみられている。しかし、後世換骨奪胎してつくられた話やハールーンに仮託された話も多く、その場合はハールーンを主人公とし、バグダードを舞台としておりながらも実際の細部の地理などについては不正確なことも多い。
- ^ 好色な場面はハールーンが登場人物となることが多いところからバグダード起源の説話が多く、悪漢の登場する説話はカイロ起源のものが多いと考えられている。
- ^ イスラーム商人の活動領域はきわめて広大であり、北はロシアやスカンジナビア半島、南はインド洋やアフリカ大陸東岸、東は南シナ海沿岸、西は大西洋沿岸にすらおよんでいた。前嶋(1955)p.86
- ^ サンスクリットの動物寓話『パンチャタントラ』は、マンスールの書記に抜擢されたイブン・アルムカッファーによってペルシア語訳から『カリーラとディムナ』としてアラビア語に訳された。13世紀にはそのヘブライ語訳からラテン語、さらに独仏英の諸語に、アラビア語からは直接ギリシア語・スペイン語に訳された。
- ^ 「創造されたコーラン」説を唱え、アッバース朝下の諸民族の特徴を描写した文でも知られる、9世紀アラブの文人ジャーヒズもバグダードで活躍した人物である。
- ^ 詩人でもあったマアムーンは翻訳者に訳した本と同じ重さの黄金をあたえたという。
- ^ アッバース朝の22代カリフ、ムスタクフィー(944年 - 946年)はアフマドをアミール・アルウマラー(最高のアミール職)に任じてムイッズ・アッダウラ(王権を強化する者)という称号をあたえるとともに、軍事・行政および財政に関する全権限をアフマドに移譲した。
- ^ こののち、「スルタン」はスンナ派イスラーム国家の君主号として定着して広く用いられる。
- ^ ニザーミーヤ学院は、バグダードのみならずニーシャープールやイスファハーン、レイにも建てられた。この学院がイスラーム世界のマドラサ教育の先がけとなった。
- ^ ハーシム家のイラク王国は、サウード家のサウジアラビアとは対立した。
- ^ 1988年に停戦が実現し、1990年イラン側の和平条件を全面的に受け入れることを表明した。
- ^ しかし、「大量破壊兵器」なるものが存在しなかったことはアメリカ合衆国連邦議会によってのちに証明された。
- ^ 「月平均降雨日数」とは、日降水量0.25mm以上の月平均日数を指している。
- ^ フレグの七男テグデルはムスタンスィリーヤ学院への寄進をおこなっている。
- ^ 正統カリフ時代第4代カリフのアリー(預言者ムハンマドの従弟で女婿、シーア派の初代イマーム)は、現バグダード市南部のカルフにあったモスクで暗殺されたと伝承される。バグダードの南160キロメートルのナジャフにはアリーの墓廟があり、ナジャフとバグダードのおよそ中間に位置するカルバラーもシーア派の聖地となっている。
- ^ アジアカップウィナーズカップ1999-2000準優勝ティーム。決勝戦では日本の清水エスパルスに敗れた。
出典
- ^ 『データブック・オブ・ザ・ワールド 2009年版』p.50
- ^ “Cambridge Dictionary - Baghdad”. 2023年11月3日閲覧。
- ^ a b c d 『日本大百科全書』(2004)原隆一執筆分
- ^ Hoornweg, Daniel; Pope, Kevin (January 2014). “Population predictions of the 101 largest cities in the 21st century”. Global Cities Institute (Working Paper No. 4) .
- ^ a b c d e f 末尾(1975)p.468
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『ブリタニカ国際大百科事典』(1974)pp.158-159「バグダード」(糸賀昌昭訳)
- ^ a b c d e f g h i 佐藤(1988)pp.437-438
- ^ a b スチュアート(1973)pp.79-81
- ^ a b c d 杉田(2006)pp.12-15「アラビアン・ナイトの時代」
- ^ a b c 余部福三. “アッバース朝期のバグダードの民衆運動” (PDF). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月17日閲覧。
- ^ a b 藤本康雄・田端修・樋口文彦「中近東・アジアの古都市・建築平面構成と尺度」 (PDF) (大阪藝術大学研究紀要「藝術 24」)[リンク切れ]
- ^ a b c 前嶋(1978)p.18
- ^ a b c 岩淵(1993)pp.34-37
- ^ 岩村(1975)pp.244-246
- ^ 杉田(2006)pp.18-19「ハールーン・アッラシード」
- ^ a b 嶋田(1970)pp.230-233
- ^ a b 『日本大百科全書』(2004)森本公誠執筆分
- ^ 佐藤(1978)
- ^ “松岡正剛の千夜千冊”. 松岡正剛の千夜千冊 (2002年11月13日). 2022年3月17日閲覧。
- ^ 岩淵(1993)pp.38-39
- ^ Marr, Phebe; “The Modern History of Iraq”, page 172
- ^ 「米軍最後の部隊がイラク撤退完了、約9年にわたる戦争終結」『Reuters』、2011年12月19日。2022年3月17日閲覧。
- ^ 岩淵(1993)pp.28-29
- ^ “イラク首都にごく珍しい雪、過去100年で2回目”. AFP (2020年2月11日). 2020年2月13日閲覧。
- ^ “World Weather Information Service - Baghdad”. World Meteorological Organization. 2013年6月20日閲覧。
- ^ “Baghdad Climate Guide to the Average Weather & Temperatures, with Graphs Elucidating Sunshine and Rainfall Data & Information about Wind Speeds & Humidity:”. Climate & Temperature. 2012年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月25日閲覧。
- ^ フォーダー(1979)pp.342-343
- ^ “イラク鉄道に中国製の新型高速列車”. WIRED (2014年3月24日). 2018年8月29日閲覧。
- ^ a b c d e 杉村(1988)p.438
- ^ a b c d e f “阿部政雄「バグダードとメソポタミア」” (PDF). 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月17日閲覧。
- ^ 『文化財発掘出土情報』2003年7月号
- ^ “ASTERで撮影した世界の都市”. 2003年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月17日閲覧。
- ^ 『朝日旅の百科』(1981)pp.1608-1614
- ^ a b アンソニー&スペンス(2007)
- ^ “Leaders Highlight Successes of Baghdad Operation - DefendAmerica News Article”. Defendamerica.mil. 2008年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月27日閲覧。
- ^ “DefenseLink News Article: Soldier Helps to Form Democracy in Baghdad”. Defenselink.mil. 2010年4月27日閲覧。
- ^ “DefendAmerica News - Article”. Defendamerica.mil. 2008年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月27日閲覧。
- ^ “Zafaraniya Residents Get Water Project Update - DefendAmerica News Article”. Defendamerica.mil. 2008年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月27日閲覧。
- ^ Frank, Thomas (2006年3月26日). “Basics of democracy in Iraq include frustration”. USA Today 2010年4月26日閲覧。
- ^ “Democracy from scratch”. csmonitor.com (2003年12月5日). 2010年4月27日閲覧。
- ^ “Iron Horse Brigade aids Iraqi boy’s recovery”. Central texas news (2004年11月26日). 2004年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月17日閲覧。
- ^ “米少年とイラク交響楽団共演 バグダッド”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2010年5月23日). オリジナルの2013年7月2日時点におけるアーカイブ。 2011年1月19日閲覧。
- ^ “Five women confront a new Iraq”. THE CHRISTIAN SCIENCE MONITOR (2003年7月16日). 2003年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月17日閲覧。
- ^ “戦後初の「イラク映画祭」、政府高官らが出席 - イラク”. AFP通信. (2006年7月3日). オリジナルの2013年5月24日時点におけるアーカイブ。 2011年1月19日閲覧。
- ^ “In Baghdad, Art Thrives As War Hovers”. Commondreams.org (2003年1月2日). 2010年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月27日閲覧。
- ^ “Twinning the Cities”. City of Beirut. 2008年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年1月13日閲覧。
- ^ Iraqi capital of Baghdad twinned with North Yemen counterpart of Sanaa [Yemen news items 1989:Twinning]
固有名詞の分類
- バグダードのページへのリンク