いたずき〔いたづき〕【▽労き/▽病】
いたつき【▽労き/▽病】
読み方:いたつき
⇒いたずき
びょう【病】
読み方:びょう
[音]ビョウ(ビャウ)(呉) ヘイ(漢) [訓]やむ やまい いたつき
〈ビョウ〉
1 やむ。やまい。「病気・病原・病弱・病状・病人/疫病(えきびょう・やくびょう)・臆病(おくびょう)・看病・急病・仮病(けびょう)・持病・傷病・大病・闘病・難病・熱病・万病・罹病(りびょう)」
〈ヘイ〉
へい【病】
読み方:へい
⇒びょう
やまい〔やまひ〕【病】
病気
(病 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 04:36 UTC 版)
—世界保健機関憲章
注釈
- ^ 「本人あるいは周囲が」としたのは、精神疾患や軽症の疾患の中には、本人は生活上の不都合を感じないが、周囲の人が生活上支障をきたすために治療の必要性を感じる場合があるからである。これは病気と類似概念の混同である。 精神疾患、病気#病気と「疾患」・「疾病」も参照のこと。
- ^ 一般の人々は、医師からの説明を聞いて、それを自分の考えとして採用することもある。また逆に医師の側も、患者から報告を聞いて、はじめて何かを「疾患」と認識し、そうした断片的情報が学会などで徐々に集約されて、あらためて大規模統計がとられる場合もある。マスコミで医師が語る内容も人々の病気観に影響を与える。
- ^ 遺伝的背景と生活習慣が原因となる本態性高血圧症は高血圧の80 〜 90%であって、残りの10 〜 20%は高血圧の基礎疾患が明らかな二次性高血圧症である。二次性高血圧症では基礎疾患の早期発見・早期治療が重要である[4]。
- ^ 不眠のなかには、実は本当の原因として、周期性四肢運動障害、むずむず脚症候群、概日リズム睡眠障害、うつ病などが隠れている場合があるから、鑑別診断が重要である[5]。
出典
- ^ a b c 吉松和哉; 小泉典章; 川野雅資『精神看護学I』(6版)ヌーヴェルヒロカワ、2010年、71頁。ISBN 978-4-86174-064-0。
- ^ “The Anthropologies of Illness and Sickness”. Annual Review of Anthropology (1982年10月). doi:10.1146/annurev.an.11.100182.001353. 2009年12月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 岡本裕「はじめに~第1章」『9割の病気は自分で治せる』中経出版、2009年、1-46頁。
- ^ 『今日の治療指針2011年版』医学書院、2011年、339頁。
- ^ 『今日の診断指針第6版』医学書院、2010年、339頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 岡本裕「第3章」『9割の病気は自分で治せる』中経出版、2009年、121-138頁。
病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:25 UTC 版)
エサルハドンが健康に優れず、頻繁に病に臥せっていたこと、特に晩年にはそれが悪化したことは、当時の医師や祓魔師たちが残した書簡によって現代の歴史学者にも認識されている。しかし、エサルハドンが患っていた病が具体的に何であるのかを特定する試みはさほど多くなされてはいない。 同時代の文書が伝えるエサルハドンの症状は主に発熱、衰弱、食欲不振、関節の硬化(Articular stiffness)、眼球の異常、皮膚の発疹・水疱、寒気、耳の痛みなどである。これらの症状は一度にいくつも現れたものと見られる。 エサルハドンの病気が慢性的なものであったこと、および発作性のものであり、安定期には比較的症状が(少なくとも外国への遠征を行える程度には)落ち着いていたことが数々の手紙から理解できる。従って彼の病気は伝染病の類ではなかったと考えられている。即位した前681年までにはこうした発作の症状はエサルハドンを苦しめており、少なくとも最初に症状が現れたのは35歳よりは若い頃であると見られる。加齢と共に症状は悪化し、前672年の複数の書簡はこの時エサルハドンが死の淵を彷徨ったことを示している。一時的な回復の後エジプト遠征に出た彼は、その途上再び発作に襲われ前669年に死去することになる。 当時の医師・祓魔師たちが施した治療は解熱作用のあるローションの塗布と湿布、皮膚の発疹を抑える軟膏、休養と食事療法、そして祓魔術等の呪術的処置であった。しかし、これらの処置はエサルハドンの病気を完治させることはなかった。エサルハドンは医師たちに治療法を見つけるように繰り返し催促していたことがわかっている。 古代の医師・祓魔師たちが現代の医学的見地から見て記録するべきことを漏らさず記録しているかどうかを確認する術はなく、また記録された症状が同一の病のものであることも保障されないため、最終的にはエサルハドンの病気が何であったのか確実に特定することは不可能である。 一つの見解はエサルハドンが慢性的なリウマチに苦しんでいたというものであり、初期の研究者はこの診断を下していた。一方、フィンランドの学者シモ・パルポラ (英語版)は、記録されている症状のいくつかが合致しないことからエサルハドンの病気はリウマチではないとし、考えられる候補として膠原病の一種である全身性エリテマトーデスを挙げた。この見解はある程度受け入れられているが、シモ・パルポラ自身も「他の解釈が不可能だと主張はしない(I do not contend that other interpretations are not possible)」と語る通り、あくまで一つの仮説である。
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病(やまい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 16:31 UTC 版)
「デトロイト・メタル・シティ」の記事における「病(やまい)」の解説
DMCメンバー全員で社長を慰安旅行に招待した際、和田は感謝の手紙、西田は大人の玩具のプレゼント、そして根岸は北原元気を呼んで女性としての幸せを掴んでもらおうとしたが、全て気に入られず、社長がキレる寸前の状態に陥ってしまう。それを回避するため、北原が社長をストーキングしてきたという状況を即興で作り上げ、彼を豚代わりにその場で生み出した曲。
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病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:37 UTC 版)
スコットはゼルダの強烈な性格を自分の作品に徹底的に利用したが、夫婦間の衝突の大半は、彼の執筆中にゼルダが覚える退屈と孤独感に端を発したものであった。彼女はスコットの創作活動の重要性には興味を示さなかったため、仕事をしていると邪魔に入ることもしばしばだった。二人はますます幸せから遠ざり、スコットはアルコール依存症になり、ゼルダは情緒不安定が進み、行動も常軌を逸したものになった。どちらも創作に向かって励むことはなくなった。 ゼルダは誰にもよらない自分自身の才能を磨きたいという強い思いを持っていた。そこにはおそらく夫の名声や作家として成功への反発があった。27歳のゼルダは、かつて勉強していたバレエにとりつかれたようになる。子供のころは踊りが上手いと褒められており、友人たちの評価もまちまちだったとはいえ、ダンスには人並みの才能があるようだった。しかしプロのダンサーになりたいという妻の願いに対してスコットは時間の無駄だと考え、まったく非協力的だった。 ダンサーになるにはやり直す時期があまりにも遅かったとはいえ、ゼルダは毎日とりつかれたように、厳しすぎるほどの練習を自らに課した。それは長さにして一日8時間にも及び、その後の肉体的、精神的な衰弱につながったとされる。1929年9月にはナポリのサン・カルロ・オペラ団の学校に誘われたが、それは彼女の望みからすればあまりにささやかな成功であり、結局は断っている。社会はまだフィッツジェラルド夫妻が人も羨む暮らしを送っていると信じていたが、友人たちから見た二人のパーティーは洗練されたものからどこか破滅的なものになっていき、どちらとつきあった人間も不愉快な思いをするようになっていた。 1930年4月、ゼルダは精神的な発作を起こし、フランスのサナトリウムに入院した。この地でヨーロッパで最先端の精神科医の一人に観察と診察、治療を1ヶ月にわたって受けた結果、統合失調症と診断された。始めはパリ郊外の病院へ通ったが、その後スイスのモントルーへ移った。病院では主に胃腸の症状の治療をしていたが、精神的な問題が大きいため結果としてレマン湖のそばにあるプランジャンの施設に移ることになった。1931年9月に退院し、ゼルダの父が臨終の床にあったアラバマ州モンゴメリーに夫婦で戻った。家族を失う悲しみに暮れるなか、スコットはハリウッドへ発つことを告げた。彼女の父親はスコットが不在のときに亡くなり、ゼルダの健康はまたしても悪化した。1932年9月には、精神病院での生活に戻った。
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病
病
「病」の例文・使い方・用例・文例
- 飢饉に病気はつきものだ
- 彼が病気だということを考慮しましたか
- その店は病院の向かいだ
- 病気のふりをする
- 病気で彼女の視力が冒され始めている
- 母が病気だったので上司は私に2,3日余計に休むことを認めてくれた
- 彼女は母親の病気にひどく苦しんでいる
- 彼は病気の妻のことがとても気がかりだ
- 心配のあまり病気になる
- 彼女の様子を見れば病気だったことがわかる
- 病院は駅からおおよそ5マイルです
- その新薬のおかげで病気の広がるのが抑えられた
- この病気は緊急に医者の治療を要する
- その病院には使えるベッドが20しかない
- 病気になる
- 彼女は目下病院で治療を受けている
- 新しい病院ができて私たちはおおいに恩恵を受けた
- ひどい臆病者
- 病気は不衛生な環境で生じる
病と同じ種類の言葉
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