字義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 06:40 UTC 版)
名前の「天照国照」「火明」からわかるように太陽光や熱の神格化である。また、『古事記伝』では「ホアカリ」は「穂赤熟」で、稲穂が熟して赤らむ意味としており、天皇に繋る他の神と同様、稲に関係のある名前でもあり、太陽神・農業神として信仰されている。このようなことから天穂日命の系譜、つまり天津神系の出雲神を源流としていることが伺える。 「天照」の名があるが「天照大神」とは別の神である。元伊勢の籠神社では、主祭神を「天照国照彦火明命」とし、相殿神に「天照大神」としてそれぞれ別の神としている。
※この「字義」の解説は、「天火明命」の解説の一部です。
「字義」を含む「天火明命」の記事については、「天火明命」の概要を参照ください。
字義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 09:06 UTC 版)
「朝」は草原に日が昇る様を表す。日の出とともに臣下が天子に拝謁し執政していたことから、天子の政務そのものを指すようになった。 「廷」は大きな壇上に人が立つ様を表し、これが臣下が天子に拝謁する別格の場所という意味になった。「广」は建物を意味し、従って「庭」は造営された「廷」という意味になる。
※この「字義」の解説は、「朝廷」の解説の一部です。
「字義」を含む「朝廷」の記事については、「朝廷」の概要を参照ください。
字義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 08:32 UTC 版)
チュルク諸語の「クリルタイ」という言葉とその変種は、「部族の集まり」と訳された。これは部族国家で行われるもので、実際にすべての遊牧文化において行われている。ハンガリーの遊牧民もこのような会議を開いていたことが、東ローマ帝国やアラブの文献に記載されている。これらの会議では、重要な決定がなされ、特に部族の指導者は、軍事的な決定や戦略を議論するための会議を開くことが多かった。 各国の言語での「クリルタイ」ハンガリー語kurultáj アゼルバイジャン語qurultay ウイグル語قۇرۇلتاي ウズベク語kurultoy カザフ語құрылтай キルギス語курултай サハ語курултаай タタール語курултай 朝鮮語쿠릴타이 トルクメン語gurultaý トルコ語kurultay ノガイ語куралтай バシキール語ҡоролтай フィンランド語kurultai モンゴル語ᠬᠤᠷᠠᠯᠲᠠᠢ хуралдай
※この「字義」の解説は、「大クリルタイ」の解説の一部です。
「字義」を含む「大クリルタイ」の記事については、「大クリルタイ」の概要を参照ください。
字義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 03:52 UTC 版)
漢字「餌」は、本来は餅の一種、あるいは一般化して、食べ物全般を意味する。この意味は熟語「食餌」「薬餌」などに現れている。
※この「字義」の解説は、「餌」の解説の一部です。
「字義」を含む「餌」の記事については、「餌」の概要を参照ください。
字義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 15:30 UTC 版)
中国古典において「賦」という言葉が初めて見えるのは周代であり、詩の朗誦のように提示することを意味していた。本来「賦」は「敷」に通じ、広く敷きのべる・頒布する意味がある。文学上の字義としては、広く行き渡らせる意味から転じて、声を大にして人々に聞かせる意、すなわち朗詠や詩作を意味することとなった。このような用法は早くは『春秋左氏伝』に見えている。韻文の形式としての賦は、事物を並べる意と口誦する意を兼ねて成立したものと言える。またこれと別に、『詩経』の六義の1つとして直接的に思ったことを叙述することを表す用法もある。 「賦」字の解釈をめぐっては、古来2つの文脈があった。1つには『周礼』の鄭玄注に「賦之言鋪、直鋪陳今之政教善悪(賦の言は鋪なり、直だ今の政教の善悪を鋪陳す)」と言い、賦を鋪(=敷く・並べる)、つまり言葉を並べるものと定義する。また一方班固は『漢書』芸文志において、「不歌而誦謂之賦(歌わずして誦す、之れを賦と謂ふ)」と定義する。
※この「字義」の解説は、「賦」の解説の一部です。
「字義」を含む「賦」の記事については、「賦」の概要を参照ください。
字義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 10:05 UTC 版)
「首」はかしら(頭)くび、こうべ、かみ(上位:首座)、かなめ(要)、かしら(魁帥)、おさ(長)などの意。「都」はみやこ、天子の宮城のある首府をあらわす。周代の行政上の区画では君主の宗廟のある場所を都(ト・ツ)といい、無い場所を邑(イウ)と呼んだ。「都」は寄せ合わせ残らず集める意。曹丕文「頃撰二遺文、一都爲二一集」。「京」はみやこ(帝都)切り立った高い場所、丘、高い、多い、くじら(鯨=京)などの意。「京師」は天子の居ますみやこ、京は大、師は衆、大衆のおる所の意、春秋成十三「公如京師」。「京都」は晋の時代、景王の諱を避けて京師を京都としたことによる、魏志文帝紀「任城王薨於京都」。清代に編纂された佩文韻府にはみやこを首に例える用例「首都」「首府」の採録はなく、熟語「首善之區」の元となった首善を採録する。これは漢書・儒林傳序の「故教化之行也,建首善自京師始」に由来する。英語Capitalの語源はラテン語kaputであり印欧語の「頭」あるいは「ウシの頭」をあらわす。ヒエログリフにおける牛の頭はフェニキア語や古代ギリシア語、ラテン語の文字に転用されアルファベット筆頭の「A」を表現する。またCapitalは「資本」とも翻訳される。メトロポリスはギリシャ語で「母都市」の意(mḗtēr「母」+pólis「都市」)。 日本では一般的に京、洛と呼ばれ、古代から明治までの律令においては「皇都」、明治期から戦前にかけては「帝都」、戦後は「首都」と呼称することが多い。「帝都」の字句は幕末期の文書:船中八策に登場している。
※この「字義」の解説は、「首都」の解説の一部です。
「字義」を含む「首都」の記事については、「首都」の概要を参照ください。
字義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 18:30 UTC 版)
中国では、殷代以来、霊長類をあらわす文字がみられた。殷代には、甲骨文字のなかに霊長類を示すと考えられるものがあった。周代には、『爾雅』に5種類の霊長類があげられており、玃父、猩猩、狒狒、猚、猱猨であった。最初の3つは想像上の山怪と考えられるが、猚はキンシコウ、猱猨はテナガザルだった可能性がある。周代には、ほかに猴、狙、獨、狨、果然(猓然)、禺(𤟹)といった表現があった。猴はマカクをあらわしていたと考えられる。また、狨はキンシコウを、果然(猓然)はリーフモンキーをあらわしていた可能性がある。周末から漢代に成立した『礼記』では、獶という文字が用いられていた。これはマカクを指していたと考えられる。4世紀の屈原は、『楚辞』で猨狖という言葉を用いた。猨は前述の猱猨と同義であり、狖とともにテナガザルを指していたと考えられる。のちに、猨の音をあらわす爰(yüan)の部分が同音の袁に置き換えられ、猿の字となったが、これもテナガザルを指していたと考えられる。 猨(猿、テナガザル)と猴(マカク)の区別は、周代には厳然とあり、14世紀までは維持された。しかし、それ以降、テナガザルの分布が南に退くにつれて、両者は混同されていった。野生テナガザルのいない日本でも、両文字は区別されていなかった。現在の中国語では、上で述べたもののうち、猩はオランウータン、ゴリラ、チンパンジーを、猿はテナガザル(長臂猿)を、狒はヒヒを、狨はマーモセットをあらわすために用いられている。また、猴は、全般的に類人猿でない霊長類(英語のmonkeyに相当する分類群)をあらわすために用いられている。日本語では、霊長類一般を指す際にもっぱら猿を用いる。 また「申」という字には元々サルの意味はなかったが十二支が動物と結びつけて考えられるようになり、申年はサルの年とされるようになった。子(ね)から数えて申は干支の9番目に数えられる。 日本語ではサルを「えて(得手)」「えて公」「えて吉」と呼ぶことがある。これは「さる」が「去る(失う)」に通じるため忌み言葉として避け、替わりに「手に入れる」という意味の「得手」を当てたのがはじまりとされる。
※この「字義」の解説は、「サル」の解説の一部です。
「字義」を含む「サル」の記事については、「サル」の概要を参照ください。
「字義」の例文・使い方・用例・文例
字義と同じ種類の言葉
- >> 「字義」を含む用語の索引
- 字義のページへのリンク