道
★1a.どの道を行くか選ぶ。
『巨人の星』(梶原一騎/川崎のぼる)「不死鳥」 小学5年生の2月。星飛雄馬は毎朝10キロのランニングを日課としていた。ある日、いつもの道が工事中で通れず、右に近道、左に遠回りの道があった。飛雄馬が近道を走って行くと、父・一徹が立ちはだかり、飛雄馬を殴りとばし、蹴った。父は叫んだ。「なぜ遠回りを選ばん! 辛い苦しい遠回りを選んでこそ、成長がある。人生においても、行く手に障害のある時は、つねに遠回りを選べ!」。
『ソクラテスの思い出』(クセノフォン)第2巻 青年期に達したヘラクレスが静かな場所へ出かけ、「美徳」と「悪徳」の2つの道のどちらを歩もうかと迷って座りこむ。「悪徳」の婦人が現れ、私を友として愉しく楽な道を行こうと誘う。「美徳」の婦人が来て、労苦を重ねて偉大な功績を残す秀れた人物となるように説く。ヘラクレスは、美徳の道を選ぶ。
『文武二道万石通』(朋誠堂喜三二) 源頼朝の治世、文とも武ともつかぬぬらくら武士たちを箱根の湯へ送り、畠山重忠の計略でさまざまに試して、文か武か、どちらかの道を学ぶように導く。「茶・花・俳諧は文だ。碁・将棋・釣りは武にこじつけよう」などと重忠は考える。
『無門関』(慧開)31「趙州勘婆」 僧が老婆に「五台山への道はどれか」と尋ねると、老婆はただ「真っ直ぐ行け」と答える。僧が数歩行くのを見て、老婆は「やはり同じように行く」と言う。趙州和尚が翌日同じように道を聞くと、老婆もまた同じように答える。趙州は「あの婆を見破った」と弟子たちに言う。
★1b.どの海路を行くか選ぶ。
『オデュッセイア』第12巻 海峡の片方に6つ首の怪物スキュレがひそみ、他方には海水を日に3度飲み込む渦巻きカリュブディスがあって、どちらの進路をとっても犠牲は避けられない。魔女キルケの教えに従い、オデュッセウスの船はスキュレ寄りに進む。6人の乗組員が喰われるが、船全体が渦に沈むことは免れた。
『笑ゥせぇるすまん』(藤子不二雄A)「駅までの道」 42歳のサラリーマン寄道清二は、毎日決まった道を歩いて通勤していた。ある朝、喪黒福造が「工事中 迂回して下さい」の立看板を置き、寄道清二は初めて横道へ足を踏み入れる。すると林の中に和風旅館があり、美女が彼を奥へ導いた。寄道清二の妻が夫を捜しに行くと、横道は崖崩れで通行禁止になっていた。喪黒福造は「横道へそれた彼の人生が、その後どう変わったか、私にもわかりません。ホーッホッホッホ」と笑う。
★1d.道の真ん中を通る。
『命の水』(グリム)KHM97 お姫様が、魔法から解放してくれた恩人の王子(3人兄弟の末子)を(*→〔水〕4b)、花婿として迎えるために、御殿の前に黄金(こがね)造りの道をこしらえる。王子の2人の兄が、「自分が花婿になろう」と思って出かけるが、黄金の上を馬で通るのはもったいないと遠慮して、長男は道の右端を、次男は左端を通る。末子の王子は、お姫様のことをひたすら考えていたため、黄金など目に入らず、道の真ん中を歩いて行く。お姫様は「あなたこそ、この王国のお殿様」と言って、王子を迎える。
『失われた時を求めて』(プルースト)第1篇「スワン家のほうへ」 幼年時代に「私」が過ごした田舎町コンブレーには、反対方向にのびる2つの散歩道があった。1つはブルジョアのスワン家の方へ、もう1つは大貴族ゲルマントの邸宅の方へ通ずる道だった。「私」と家族が、同じ日の同じ散歩で2つの道の両方へ出かけることはなく、そのため「私」の頭の中では、スワン家の方とゲルマントの方は遠くかけ離れ、相互に関わりのない異質なものであった→〔結婚〕4a。
『古事記』中巻 大毘古命が高志国へ赴く途中、腰裳を着た少女が山代の幣羅坂に立って、御眞木入日子(崇神天皇)の危険を知らせる歌をうたい、たちまち消え失せた〔*『日本書紀』巻5崇神天皇10年9月27日に類話〕。
『南総里見八犬伝』第9輯巻之6第102回 蟇田素藤が、里見義成の嫡男・義通を捕らえ、反乱を起こす。上総の諏訪神社の神主たちが、安房の里見義成に変事を知らせるべく、道を急ぐ。犬を抱いた11~12歳の女児が現れ、「義通の災厄は天命で免れ難いが、命には別状ない」と告げて、走り去る。
『日本書紀』巻14雄略天皇7年是歳 田狭臣の子弟君らが、新羅を討てとの命令を受けて百済へ行く。国つ神が老女になって道に現れる。弟君が目的地まで遠いか近いか尋ねると、老女は「もう1日歩いて到着する」と答える。弟君は「道が遠い」と思い、新羅を討たずに帰る。
『妖怪談義』(柳田国男)「妖怪名彙(ヒヲカセ)」 三河(愛知県)の北設楽郡には、「火を貸せ」という路の怪が出る場処がある。昔、鬼久左という大力の男が夜路を行くと、先へ行くおかっぱの女童が振り返って、「火を貸せ」と言った。鬼久左は煙管を揮(ふる)って女童を打ち据えようとして、かえって自分が気絶してしまった。女童は淵の神の子であったろうという。
★4.道ばたで何かを見ても、手を出さずに通り過ぎるべきである。
『火の化け物』(沖縄の民話) ある人が、夜、隣村から家に帰る道中で、岩が燃えているのに出会い、「これはちょうど幸いだ」と、たばこの火をつけ一服した。ところがその人は、家に帰り着くと、急に倒れて死んでしまった。化け物に精を取られたのである。だから、「道ばたにあるものは、見て通り過ぎるものだ」との言い伝えがある。
『ゴボン・シーア』(イギリスの昔話) ゴボン・シーアが息子ジャックと一緒に、遠方の仕事場へ出かけようとする。ゴボン・シーアはジャックに「お前、この長い道を何とか縮められんか?」と言う。ジャックは困って妻に相談し、賢い妻は「面白いお話をすれば、道のりが縮まるじゃないの」と教える。ジャックが父に面白い話を聞かせていると、いつのまにか目的地に着いて、たしかに道は縮まったのだった。
『和漢三才図会』巻第66・大日本国「常陸」 親鸞が一向専修の法を拡めていた時、弁円という僧がこれを妬み、殺害しようと思って往来の街(ちまた)に待ち伏せした。しかし、数回、路が異なって、2人は会うことがなかった〔*弁円は親鸞に直接対面すべく寺へ赴いたが、親鸞の仏のごとき容貌を見て、弁円は廻心懺悔し親鸞の弟子となった〕。
*道をふさぐ壁→〔壁〕4a・4b。
*道に迷う→〔迷路〕。
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