梶原一騎とは? わかりやすく解説

かじわら‐いっき〔かぢはら‐〕【梶原一騎】

読み方:かじわらいっき

19361987漫画原作者東京生まれ本名高森朝樹(あさき)。高森朝雄(あさお)の名義使用。「巨人の星」「タイガーマスク」「あしたのジョー」など、スポーツ格闘技に材をとった作品中心に多く漫画原作を手がけた。他の作品に「愛と誠」「空手バカ一代」「柔道一直線」など。


梶原一騎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/27 06:43 UTC 版)

梶原 一騎(かじわら いっき、1936年9月4日 - 1987年1月21日)は、日本漫画原作者小説家映画プロデューサー。本名は高森 朝樹(たかもり あさき)。高森 朝雄(たかもり あさお)の筆名も使用した。格闘技やスポーツを題材に、男の闘う姿を豪快に、ときには繊細に描き出し、話題作を次々と生み出した。自身の型破りで豪快な生き方や数々のスキャンダルでも話題を呼んだ。身長180cm、体重85kg。空手五段、柔道二段(1983年7月28日の自己申告)[2]


  1. ^ a b 日本文藝協会『文藝年鑑 昭和63年版』文藝春秋、1988年、326頁。 
  2. ^ 「保釈された梶原一騎が初めて告白! 『いま梶原一騎が池上季実子の"痴態写真"について語った』」『週刊平凡』1983年9月1日号、平凡出版、4–9頁。 
  3. ^ ただし、線の細い大人しい優等生然としたインテリではなく、権力的なものに上から押さえつけられるのを根っから嫌う反骨精神旺盛なインテリジェンスであった。
  4. ^ 高森日佐志『蝮の裔の我は身なれば』 飯倉書房、1996年、p.65、p.371。高森日佐志『昭和兄弟模様』 東邦出版、2010年、p.371
  5. ^ 斎藤, p. 71.
  6. ^ 植地毅、勝畑聰「スーパー劇画王烈伝〜梶原一騎らぷそでぃ」『マンガ地獄変』水声社1996年、p.17。
  7. ^ 斎藤.
  8. ^ 高森日佐志『昭和兄弟模様』78頁
  9. ^ 高森日佐志『昭和兄弟模様』6-7頁
  10. ^ a b 高森日佐志『昭和兄弟模様』67頁
  11. ^ 高森日佐志『昭和兄弟模様』8頁
  12. ^ 高森日佐志『昭和兄弟模様』15-16頁
  13. ^ 高森日佐志『昭和兄弟模様』92頁
  14. ^ 高森日佐志『昭和兄弟模様』104頁
  15. ^ 山田玲司絶望に効く薬 敗者復活編」第32錠・高森篤子/前編より 光文社「FLASH」2010年12月21日号、p.97
  16. ^ 梶原の漫画原作は小説形式だった(梶原一騎『劇画一代』毎日新聞社1979年、p.163。清水京武「川崎のぼるインタビュー 描かれなかった後編はどんな物語だったのか!?」『こんなマンガがあったのか! 名作マンガの知られざる続編・外伝』メディアファクトリー1999年、p.48)。
  17. ^ a b c d 蕪木, pp. 102–103.
  18. ^ a b c 大塚, pp. 13-15、132-133.
  19. ^ a b c d e 地獄変, pp. 23-25、69-77.
  20. ^ a b 地獄変, pp. 23–25.
  21. ^ 高取, pp. 234–244.
  22. ^ 大塚, pp. 13–15.
  23. ^ 高森日佐志『昭和兄弟模様』324頁
  24. ^ 高森日佐志『昭和兄弟模様』324-325頁
  25. ^ 第7回 「マガジンの軍神」梶原一騎
  26. ^ 斎藤, p. 419.
  27. ^ 斎藤, p. 381.
  28. ^ 竹内オサム『戦後マンガ50年史』筑摩書房1995年、p.172
  29. ^ イガグリくん - マンガ図書館Z(外部リンク)
  30. ^ 米沢嘉博『戦後野球マンガ史 手塚治虫のいない風景』平凡社新書2002年、p.35。
  31. ^ 西村繁男『まんが編集術』白夜書房1999年、p.329。
  32. ^ 串間努『少年ブーム 昭和レトロの流行もの』晶文社、2003年、p.101。
  33. ^ 米沢嘉博「現代マンガは手塚の呪縛を逃れ得るか」『手塚治虫マンガ論』河出書房新社2007年、p.165。
  34. ^ 夏目房之介『手塚治虫の冒険 戦後マンガの神々』筑摩書房1995年、pp.100-101。
  35. ^ 大塚英志「梶原一騎 未完のビルドゥングスロマン」『教養としての<まんが・アニメ>』講談社現代新書2001年、pp.43-44。
  36. ^ いしかわじゅん『漫画の時間』晶文社1995年、p.95。
  37. ^ 夏目房之介「おおげさマンガは面白い」『毎日新聞』1994年2月2日号(『マンガの力 成熟する戦後マンガ』晶文社1999年に所収)
  38. ^ 大泉実成『消えたマンガ家』太田出版1996年、pp.150-151
  39. ^ 例外はちばてつや、ふくしま政美などごく一部のみだったという。
  40. ^ 五十嵐惠邦「ジョー&飛雄馬: 闘争の時代のヒーロー達」『文化/批評』第1巻、国際日本学研究会、2009年、1-31頁、hdl:11094/75742 
  41. ^ 石子順造『戦後マンガ史ノート』紀伊國屋書店1980年、p.147。
  42. ^ 加納則章「熱血マンガ 馬鹿の時代!!」『別冊宝島288 70年代マンガ大百科』宝島社1996年
  43. ^ 銀座に繰り出しても、周りの人達の態度が小説家を迎える態度では無いと本人は感じていた。
  44. ^ 安藤健二『封印作品の謎2』太田出版2006年、p.60。
  45. ^ 夏目房之介は「そろそろまとまった梶原一騎の再評価がでてきていいと思う」と記していた(「日本的大衆娯楽性の正統派 梶原一騎をもういちど」、『消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか双葉社1991年、のち新潮文庫1994年に所収)。
  46. ^ 加納則章「「馬鹿」の美しさを広めた梶原一騎」『別冊宝島288 70年代マンガ大百科』宝島社1996年、p.38。
  47. ^ 「あしたのジョー」伝説 〜梶原一騎・ちばてつや 男の闘い〜
  48. ^ スターの秘蔵映像を紹介する番組で「日本が誇るアニメ界の三大巨匠」として手塚治虫藤子・F・不二雄とともに紹介された。
  49. ^ 巨人の星』〈1997年9月22日放送〉『あしたのジョー』〈2001年8月6日放送〉『空手バカ一代』〈2002年8月8日放送〉
  50. ^ 創刊40周年、発行部数410万部で日本一となった『週刊少年マガジン』のメモリアルが紹介されている。
  51. ^ ゲストがアテレコを務める「ナキメンタリー3分間劇場」のコーナーで紹介。『タイガーマスク』(1999年5月20日放送)『夕やけ番長』(1999年6月3日放送)
  52. ^ 視聴率は通常よりも高い17.6%であった。
  53. ^ 「団塊世代に贈る(11)~『あしたのジョー』の時代」
  54. ^ a b c d 「梶原一騎氏に伝えた実戦談」、54頁。
  55. ^ a b c 「梶原一騎氏に伝えた実戦談」、55頁。
  56. ^ 木村修・編『格闘漫画で強くなる!』1997年・アスペクト刊
  57. ^ 高木著『わが師大山倍達~1200万人への道』
  58. ^ 高森篤子『スタートは四畳半、卓袱台一つ』
  59. ^ 「コージィ城倉スペシャルインタビュー 読みやすさの原点に立ち返る。それが『おれはキャプテン』(現在はリンク切れ)(同アーカイブ
  60. ^ 『吉田豪の巨匠ハンター』、2020年4月5日発行、吉田豪、毎日新聞出版、P78~79。
  61. ^ a b c 梶原が暴行事件によって逮捕され連載中止。
  62. ^ ルパン三世 ルパンVS複製人間”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月5日閲覧。





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