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てづか-おさむ ―をさむ 【手塚治虫】



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手塚治虫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/07 13:44 UTC 版)

手塚 治虫(てづか おさむ、本名:手塚 治1928年昭和3年)11月3日 - 1989年平成元年)2月9日)は、日本漫画家アニメーター医学博士戦後日本においてストーリー漫画の手法を確立、現代にまでにつながる日本の漫画表現の基礎を作った。

大阪府豊能郡豊中町(現在の豊中市)に出生、5歳から兵庫県宝塚に育つ。旧制中学大戦期を過ごし、大阪帝国大学附属医学専門部[1]在学中の1946年1月1日4コマ漫画『マアチャンの日記帳』(『少国民新聞』連載)で漫画家としてデビュー。1947年酒井七馬原案の描き下ろし単行本新宝島』がベストセラーとなり、大阪に赤本ブームを引き起こす。1950年より漫画雑誌に登場、『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』といったヒット作を次々と手がけた。

1963年、自作をもとに日本初となるテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』を制作、現代につながる日本のテレビアニメ制作に多大な影響を及ぼした。1960年代後半より一時低迷するも、『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『ブッダ』などにより復活。また『陽だまりの樹』『アドルフに告ぐ』など青年漫画においても傑作を生み出す。デビューから1989年の死去まで第一線で作品を発表し続け、存命中から「漫画の神様」と評された。

長男に手塚眞、長女に手塚るみ子、次女に手塚千以子がいる。また、姪に声優の松山薫


  1. ^ a b 大阪帝国大学附属医学専門部は、手塚が在学中の1947年10月に大阪帝国大学が大阪大学へ改称されたことに伴い大阪大学附属医学専門部と改称した。
  2. ^ 桜井、22p
  3. ^ 手塚 (1997)、17-19p
  4. ^ 桜井、34-38p
  5. ^ 実妹である宇都美奈子は治虫没後のインタビューで、父親について決して強権的ではなく家庭サービスにも熱心であったと述べている(『手塚治虫完全解体新書』所収)。治虫自身の受け止め方とは別だが、他の家族からの見方として考慮に入れる必要はある。
  6. ^ 桜井、34p
  7. ^ 桜井、37p
  8. ^ 手塚 (1997)、10-12p
  9. ^ 桜井、40p
  10. ^ 桜井、24-28p
  11. ^ 夏目、70-71p
  12. ^ 桜井、31p
  13. ^ 手塚 (1999)、20p
  14. ^ 『北杜夫マンボウぱじゃま対談 男性かいぼう編』p.20(集英社、1978年)
  15. ^ 手塚 (1997)、6-9p
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  17. ^ 手塚 (1999)、29p
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  20. ^ 手塚 (1997)、20p
  21. ^ 手塚 (1997)、20-22p
  22. ^ 手塚 (1997)、13p
  23. ^ ただし、上記の石原実は手塚没後のインタビューで「手塚がいじめっ子を自宅に呼んで漫画で懐柔・籠絡した」とされる点に疑問を呈している。石原によると、同窓会のたびに皆で「おかしいなー」と言っていたが、手塚本人に言うと「『すまん、すまん』とケロッとして」いたという。(池田啓晶他 『手塚治虫完全解体新書』 集英社、2002年、p238)
  24. ^ 手塚 (1997)、13p
  25. ^ 手塚治虫2009
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  48. ^ 呉智英『現代マンガの全体像』情報センター出版局、1986年、128p
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  61. ^ 手塚 (1999)、183p
  62. ^ 手塚 (1999)、184-185p
  63. ^ 徹夜明けであっても映画館に駆け込んだという。『観たり撮ったり映したり』(手塚治虫著)
  64. ^ 米澤、31p
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  72. ^ 豊田亀市「神様独占を志した男」、佐藤敏章『神様の伴走者 手塚番13+2』(小学館)、p59-63、2010。
  73. ^ 桜井、118p
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  75. ^ 桜井、122p
  76. ^ 『北杜夫マンボウぱじゃま対談 男性かいぼう編』p.25(集英社、1978年)
  77. ^ 手塚 (1999)、33-34p
  78. ^ 『虫プロ興亡記』
  79. ^ 手塚 (1999)、237p
  80. ^ 手塚 (1999)、237p
  81. ^ 桜井、136p
  82. ^ ただし、アニメーション『鉄腕アトム』関係者への聞き取りと文献の再調査を行った津堅信之は「当初は1本155万円が代理店より支払われていた」としている。津堅によると、その後も制作料は少しずつ引き上げられており、「虫プロは確実に経営努力を実施して、かつ結果を得ている。『『アトム』を55万円で作ったから、その後のアニメ制作環境が悪くなった』という評価がいまだにあるとすれば、短絡的であると言わざるを得ない。」としている(津堅信之『アニメ作家としての手塚治虫―その軌跡と本質』NTT出版、2007年)。
  83. ^ 手塚 (1999)、242p
  84. ^ 手塚 (1999)、242p
  85. ^ 桜井、142p
  86. ^ 手塚 (1999)、249p
  87. ^ 手塚 (1999)、249p
  88. ^ アニメーターの大塚康生は、手塚が一方で理想のアニメに憧れながら、それを成し遂げることが出来なかった原因を、商業主義のためではなく、手塚がアニメの技術について無知だったからだとしている。「演技設計やアニメートに無関心では優れたアニメーションになる筈がなかったように思います。実際、手塚氏はフルアニメーションの基礎技術をディズニーなどの先達に学んだ形跡がなく、ろくにアニメーターの養成もせずに漫画的なリミテッドから出発している点も実に不思議です」(大塚『作画汗まみれ 増補改訂版』P95「4章 テレビアニメーション時代の幕開け」)
  89. ^ 米澤、50p
  90. ^ 米澤、55p
  91. ^ 米澤、54p。なお『どろろ』作中の妖怪は水木の影響を受けたと思われる点描が用いられている(夏目、151-152p)。
  92. ^ 米澤、56-57p
  93. ^ 米澤、59p
  94. ^ 米澤、59-62p
  95. ^ 桜井、166-167p
  96. ^ 夏目、169-170p
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  98. ^ 米澤、65p
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  100. ^ 米澤、72p
  101. ^ 米澤、93p
  102. ^ NHK特集『手塚治虫 創作の秘密』(1986年1月10日放送)
  103. ^ 手塚眞「わが父 手塚治虫」朝日ジャーナル臨時増刊1989年4月20日号『手塚治虫の世界』所収
  104. ^ 1989年2月10日放送『おはよう!ナイスデイ』
  105. ^ 米澤、80p
  106. ^ NHKスペシャル「いのち〜わが父・手塚治虫」(1989年4月16日)
  107. ^ 竹内オサム『手塚治虫論』平凡社、1992年、224-232p
  108. ^ 呉智英『現代マンガの全体像』情報センター出版局、1986年、128p
  109. ^ 米澤、97p
  110. ^ 野口文雄『手塚治虫の「新宝島」』小学館、2007年
  111. ^ 「霜月たかなか編『誕生!「手塚治虫」マンガの神様を育てたバックグラウンド』(1998年、朝日ソノラマ)
  112. ^ 夏目房之介『手塚治虫はどこにいる』筑摩書房、1992年、48p
  113. ^ 夏目、44-46p
  114. ^ 夏目、47-66p
  115. ^ 米澤、161-162p
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  120. ^ 竹内オサム『戦後マンガ50年史』(1995年、筑摩書房)
  121. ^ 手塚 (1997)
  122. ^ 渋谷陽一のインタビューでの発言、『風の帰る場所』P73
  123. ^ 『SIGHT』vol.15、pring、2003年、p22(インタビューと撮影は渋谷陽一による)
  124. ^ 光文社刊『漫画の描き方』より
  125. ^ 夏目、188-189p
  126. ^ 「対談 ヒゲオヤジ氏の生と性」石上三上志『手塚治虫の奇妙な世界』所収、学陽書房、1977年
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  128. ^ 渡辺泰「アニメーションに魅せられた神様」、霜月たけなか編『誕生!「手塚治虫」』所収、朝日ソノラマ、1998年、101-102p
  129. ^ 「手塚治虫の引き裂かれた夢(2)」
  130. ^ 手塚 (1999)、21-22p
  131. ^ 夏目、67-92p
  132. ^ 1989年2月10日金曜日放映 テレビ朝日『こんにちは2時 マンガ界の神様手塚治虫さん逝く!!』「「若く見られてはいけない」という事で、先生公称は大正十五年生まれとして手塚さんは通していらしていたという事ですね」。
  133. ^ NHK教育1986年放送「手塚治虫 創作の秘密」より
  134. ^ 同テレビ番組でも「若い頃に比べて丸が正確に描けなくなってきた」と手塚本人が語っている)
  135. ^ 大塚英志、ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社現代新書、2001年、19p
  136. ^ TBS系「輝く日本の星! 手塚治虫を作る」より
  137. ^ 倒産に際し、社員だった西崎義展が版権を取得したが、相当な背信行為があったとされ、西崎と一緒に仕事をした人と仕事をするのを警戒するほど、終生嫌っていた。当時脚本家だった藤川桂介の回想より。
  138. ^ 元赤旗記者の佐藤まさゆき談
  139. ^ それに対して、手塚は「でたらめが描けなければ漫画などあるのか」とも述べている「手塚治虫漫画全集版ブラック・ジャック」あとがきより
  140. ^ 論文中の図はすべて写真撮影されたものであって、手描きによるスケッチではない。また論文は一般に信じられていたのと異なり、日本語で記述されている。
  141. ^ 『漫画家・アニメ作家人名辞典』(日外アソーシエーツ)
  142. ^ 『血液型の迷路』朝日新聞社、1985年。
  143. ^ 手塚(1987)、6 - 7p。原文には精密検査を受けたのは「四年前」とあるが、もとは1982年から『キネマ旬報』に連載されたもので、この箇所の掲載号が明示されていないため、具体的に何年を指すのかは不明確である。手塚自身は自分がA型ということに納得がいかず「断じてぼくは(引用者注:血液型性格分類でいうところの)B型だと思う」とも書いている。
  144. ^ ただし、手塚はレオでなく父親の「パンジャ」がモデルと説明している。
  145. ^ トレードマークの縦縞がなく、胸の部分に「OSAKA」と描かれているデザイン。
  146. ^ 手塚治虫もトラファンだった 60年前の文通に素顔残す朝日新聞・2008年9月25日)。なお、1950年当時の球団名は「大阪タイガース」であったが、この当時から通称としては「阪神」と呼ばれていた。
  147. ^ NHK特集『手塚治虫 創作の秘密』(1986年1月10日放送)
  148. ^ 『北杜夫マンボウぱじゃま対談 男性かいぼう編』p.14-15(集英社、1978年)
  149. ^ フジパンロボット館は閉幕後、愛知青少年公園(現・愛・地球博記念公園)に移設され、2005年愛・地球博でも展示された。
  150. ^ 番組中、司会の三木鶏郎とともにアニメのアトムと「対話」する場面があった。このアトムは虫プロで独自に5ヶ月かけて制作されたフィルムである。
  151. ^ 榊原郁恵大場久美子主演のコメディードラマに本人役でゲスト出演。「トレードマークのベレー帽を盗まれた」と言う設定で、帽子が犯人(演:江藤博利)の住むアパートの押入れから見つかるまで手拭で頭を覆っていた。
  152. ^ 冒頭に実写で本人が出演。
  153. ^ 2009年2月9日放送「BS20周年企画 手塚治虫2009」
  154. ^ 手塚 (1999)、87p
  155. ^ 夏目、100-106p。ただし、上記の通り1950年のファンへの年賀状に「野球ものも考えています」との記述があり、関心を抱いた時期もあったことをうかがわせる。
  156. ^ 手塚 (1999)、171-176p
  157. ^ 安孫子素雄「神様の助手を務めた男」、佐藤敏章『神様の伴走者 手塚番13+2』(小学館)、p245-246、2010。
  158. ^ 菅紘・はやみねかおる『藤子不二雄-夢と友情のまんが道』(講談社火の鳥人物文庫)
  159. ^ 石ノ森章太郎『絆 不肖の息子から不肖の息子たちへ』(2003年、鳥影社)
  160. ^ 『1億人の手塚治虫』(1989年、JICC出版局)
  161. ^ 『日本ヒーローは世界を制す』(角川書店)
  162. ^ 米澤、54p
  163. ^ 初出は小学館の『ビッグコミック1969年10月25日号、角川文庫『畏悦録』収録
  164. ^ 足立倫行『妖怪と歩く 評伝・水木しげる』(1994年、文藝春秋
  165. ^ 手塚(1987)、17p
  166. ^ 「手塚治虫に「神の手」を見たとき、ぼくは彼と訣別した」『COMIC BOX』(ふゅーじょんぷろだくと1989年5月号
  167. ^ 『1億人の手塚治虫』(1989年、JICC出版局)元アシスタント吉住純のブログ―手塚治虫は「風の谷のナウシカ」を観たのか??/続・手塚治虫は「風の谷のナウシカ」を観たのか??も参照。
  168. ^ 『1億人の手塚治虫』(1989年、JICC出版局)
  169. ^ 夏目、254p
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  171. ^ いしかわじゅん『フロムK』(双葉社週刊漫画アクション1989年3月7日号掲載分)
  172. ^ 古谷三敏「ボクの手塚治虫せんせい」 2010年 双葉社 978-4575302240
  173. ^ 辰巳ヨシヒロ「劇画暮らし」 2010年 本の雑誌社 p292
  174. ^ 辰巳ヨシヒロ「劇画暮らし」 2010年 本の雑誌社 p304
  175. ^ 辰巳ヨシヒロ「劇画暮らし」 2010年 本の雑誌社 p320
  176. ^ 辰巳ヨシヒロ「劇画暮らし」 2010年 本の雑誌社 p6
  177. ^ Tezka Macoto' 6D -手塚眞ブログ-: SUWA及びTezka Macoto' 6D -手塚眞ブログ-: DALI参照。






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