走塁・守備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 01:16 UTC 版)
50メートル走のタイムは荻野曰く6秒切るくらいと図抜けて速いわけではないが、トップスピードに乗るのが早い。「20メートル直線を走らせたら、日本で一番」と評するスカウトもいたほどで、右打者にもかかわらず一塁への到達タイムは3.57秒とプロ有数のスピードを誇る。その走力を活かし、2011年4月14日の楽天戦では無死満塁の状況で一塁から二塁へのタッチアップを決めた。 入団1年目から12年連続で2桁盗塁を記録(球団記録)。通算盗塁成功率は2021年シーズン終了時点で.824を記録している。 プロ入り当初、スライディングの技術に難があり、ベース付近から飛び込むように滑っていたことで膝へ負担がかかり故障につながった。 大学まで遊撃手としてプレーしていたが、社会人時代に外野手に転向。プロ1年目は主に中堅手で起用されたが翌2011年は遊撃手として出場した。荻野は右翼手が一番守りやすく、打球の判断がしやすいと語っている。大学時代までは内野での送球に不安を抱えていたが、外野手に転向したことで「思い切り腕を振れるロングスローの場面があるので、自分の長所を生かせるようになったと思います。僕のスローイングは外野からのバックホームのようなロングの送球が一番伸びると思いますので」と語っている。
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走塁・守備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 03:04 UTC 版)
走塁面では50メートル5.8秒、右打者ながら一塁到達3.97秒を記録する俊足である。 守備では右翼手と中堅手で起用されている。主に右翼手として起用された2010年はリーグの外野手中最多失策を記録、UZRは-4.9を喫し、シーズン後に「プロに入る前は守備と走塁はできるかなと思ってたけど、ダメでした。来シーズンは頑張ります」と語った。翌2011年は主に中堅手として起用され、毎試合前に大西崇之外野守備コーチと捕球・送球動作について確認を行い、ゴールデングラブ賞を受賞。2012年は前半戦は中堅手、後半戦は右翼手としてプレー。2年連続でゴールデングラブ賞に輝いたが、中堅手でのUZR-1.3、右翼手でのUZR-6.8と、いずれも平均を下回る数値を記録。送球面では遠投120メートルの強肩で、2013年には強肩を生かしてシーズン3度のライトゴロを完成させた。
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走塁・守備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:35 UTC 版)
2015年の春季キャンプでは手動計測ではあるものの50メートル5秒55を記録した俊足。純粋な足の速さに優れ、体格を活かした広いストライドと脚力を誇る。スピード豊かな走塁を武器にし、15年には史上初の首位打者とトリプルスリーの同時達成を果たしている。ベースランニング能力を図るUBRでは2014年から4年連続でリーグトップ3に入り続けており、17年には1位を記録するなど優れた走塁、盗塁能力を見せる。 遠投は125メートルを記録。肩の強さをセールスポイントとし、マウンドから投げた際には144km/hを記録、本人曰く「投げ方が素人」なためコントロールこそバラバラなものの、計測機能のあるボールを使用したところ、回転数は2300回転と則本昂大並みだったという。最速は大学時代に計測した148km/h。 強肩と俊足を生かした外野守備を武器とするとも評されるが、DELTA社のセイバーメトリクスに基づくアナリストによる守備評価は、2016年度の12球団のセンターの中で12人中10位、2017年度は500イニング以上を守った11人中最下位であり、「世評とは異なり、他球団の中堅手に比較して守備的貢献は大きなものではない」とされていた。2018年度のDELTA社アナリストによる総合守備評価では11人中5位となり、守備範囲では平均よりはやや劣り、定位置から離れる遠い打球ほど他の中堅手と比べて捕れていない傾向があるとされる。一方、アームレーティングによる進塁阻止では1位を記録している。2020年度のUZRでは近本光司に次ぎ中堅手8人中2位を記録している。
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走塁・守備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 10:26 UTC 版)
本来は遊撃手であるが、プロ入り後は一塁手および二塁手として出場する機会が多い。2011年の若手時代、コーチを務めていた鈴木康友からは「入団したときから守備のうまさはずば抜けていました。おそらく今、12球団で最も動きのいい野手だと思う」と評価されていた。2013年は一塁手として136試合に出場。守備率は.997を記録し、UZRは16.4を記録した(いずれも一塁手としての記録)。高校生時で50メートル走のタイムは6秒2、遠投100メートル。
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走塁・守備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:55 UTC 版)
走塁面では、50m走5秒7の俊足が持ち味であり、2014年シーズンから4年連続で20盗塁を記録。2014年には、39盗塁でセ・リーグの盗塁王を獲得した。本人曰く、「盗塁数よりも、盗塁成功率、あるいは次の塁を貪欲に狙う走塁意識の向上をむしろ強く心掛けている」とのことである。ラミレスの方針で盗塁企図の判断が梶谷自身に委ねられた2017年には「無謀な企図を控える」との理由で以前より企図数を減らし、盗塁成功率を向上させている。 守備面では、内野手時代の一軍公式戦で、イージーミスやボーンヘッドが目立っていた。二塁手として出場していた2013年4月9日の対広島東洋カープ戦(横浜)では、3回表二死満塁の場面で大竹寛が放ったゴロを処理した遊撃手の石川雄洋が封殺を狙って二塁へ送球。梶谷がベースカバーに入らず一塁方向へ走っていたため、石川は慌てて一塁への送球に切り替えたが、内野安打になったばかりか2人の走者の本塁生還を許した。このプレーが原因で、梶谷は試合後に中畑から二軍への降格を告げられた。外野手へのコンバート後は、守備力の総合指標であるUZRでリーグトップの数値を示すシーズンがあるほど、高い守備力を発揮している。
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走塁・守備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:53 UTC 版)
内野手にしては守備範囲が狭いが、堅実で安定したプレーが持ち味。肩も強くはないが、一塁以外の内野で守備に就いた場合には、一塁への送球がおおむね正確である。 パ・リーグのベストナインに初めて選ばれた2013年には、遊撃手として失策数を9にとどめていた。その一方で、守備力の評価に守備範囲の広さが加味されるUZRは総じて低かった。400イニング以上出場した遊撃手を対象にデータスタジアムが算出したUZRでは、大引啓次に次ぐリーグワースト2位の-6.9を記録、DELTA算出のUZRでは-11.9を記録している。以降のシーズンでも、UZRで同様の傾向を示すことが多い。 本来のポジションは遊撃手や三塁手であるが、複数のポジションをこなせるほど器用で、二塁手として全試合スタメンに起用された2017年にはゴールデングラブ賞も受賞した。さらに、中学生時代には、捕手や外野での守備も経験。2019年には、チーム事情に応じて、一塁手、指名打者、左翼手としてもスタメンに起用されている。鈴木自身も、現役時代にNPBの一軍公式戦で投手以外の全ポジションを守った木村拓也のようなユーティリティープレイヤーを目指しているという。 本人によれば50メートル走は6秒2で、「足が遅い」という。
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走塁・守備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 23:22 UTC 版)
「ギャレット・ジョーンズ」の記事における「走塁・守備」の解説
MLB時代は、守備では主に右翼手、左翼手、一塁手で起用され、右翼守備ではメジャー通算のDRSとUZR共に平均を下回り、守備範囲は平均的だがミスが多い。一塁守備では捕球に難があり、MLB通算のDRSとUZRで右翼守備以上に平均を大きく下回っている。他にもMLB通算25試合だけ左翼手に就いたこともあり、2015年5月23日のテキサス・レンジャーズ戦では投手として登板した。 NPB移籍後の2016年は、当初は一塁手として起用されたが、阿部慎之助の一軍復帰後は左翼手として起用された(一塁手43試合、左翼手78試合)。いずれの守備位置でも捕球処理難や送球ミスなどの守備面の拙さが散見されたため、試合の後半(または終盤)に守備固め(主に松本哲也、橋本到など)を送られることが少なくなく(出場試合数123試合のうち、フル出場は45試合)、規定打席を22打席上回るにとどまった。
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走塁・守備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 04:07 UTC 版)
一塁到達4.3秒だが、ダイエー時代は通算盗塁成功率約78%を記録し、2度の盗塁王を獲得している。メジャーリーグ移籍以降は盗塁数が減少した。 2000年までは遊撃手を務めていたが、2000年秋のキャンプから二塁手のコンバートに取り組んだ。一塁への送球距離が短くなったことで、無理に前進せずにボールを引き付けて捕球するケースが増え、打席でも「前に突っ込まなくなった」という。二塁手としては3度ゴールデングラブ賞に輝いた。 守備では深めの位置で守ることが多く、肩の強さは二塁手としてはメジャーでも強肩の部類に入ると評された。ジミー・ロリンズは井口と初めて二遊間を組んだ際、「あの日は練習時間を間違えて球場入りしてしまったんだ。練習や打ち合わせなしで本番に臨んだ。でも、初回から彼のプレーを見て、『本物だ。それに僕と感覚が似ている。僕と同じで基本の枠を越えてプレー出来る選手だな』と実感した。素晴らしいね」と語った。2006年には『ベースボール・アメリカ』誌で監督投票による「最も守備に定評がある内野手」の2位に選ばれるなど、グラブ捌きにも定評があったが、守備範囲は広くなく、MLB通算UZRは-4.3、DRSは-5を記録するなど、各種守備指標で平均を下回り、ロッテ移籍後も得点換算などで平均を大きく下回った。 2013年は一塁手として99試合に出場し、規定試合数に到達したが、UZRでは400イニング以上出場した一塁手としてはリーグワースト2位となる-5.2と平均を下回っている。2015年にも一塁手としてリーグワーストのUZRを記録した。
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走塁・守備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 09:29 UTC 版)
読売ジャイアンツに移籍の一年目はチーム最多となる24盗塁を記録。50m走は5秒8。一塁到達まで4.06秒と盗塁王経験者の中でもずば抜けた俊足ではないものの、高い盗塁技術を誇り盗塁成功率が高い。盗塁数の増加の要因としては、スタートの向上と、プロ入り前からの特徴であった独特なスライディング法を挙げており、低いスタート姿勢によって素早くトップスピードに入り、「ベースを吹っ飛ばすつもりでやる」というベースの近くギリギリからのスライディングを行うことにより、スピードのロスを防いだまま次塁に到達することができるという。 守備では二塁手、遊撃手の他、プロ1年目には三塁手としても出場している。二塁守備では打球に対する反応の良い上に球際に強く、得点換算でも高い数値を記録している。2014年には両リーグトップのUZRを記録した。
※この「走塁・守備」の解説は、「片岡治大」の解説の一部です。
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