石田 芳夫
プロフィール
棋戦主要履歴
- 昭和43年(1968年)
- 第12期首相杯優勝 ☆初タイトル獲得
- 昭和44年(1969年)
- 第1期新鋭トーナメント優勝
- 昭和45年(1970年)
- 第17期日本棋院選手権で大平修三選手権者を3-1で破りタイトル奪取。
- 昭和46年(1971年)
- 第26期本因坊戦で林海峰本因坊を4-2で破りタイトル奪取
☆22歳で史上最年少の本因坊となり「秀芳」と号す
第8期プロ十傑戦。決勝で梶原武雄九段を3-2で破り優勝。 - 昭和47年(1972年)
- 第27期本因坊戦で林海峰名人を4-3で破りタイトル防衛
- 昭和48年(1973年)
- 第28期本因坊戦で林海峰名人を4-0で破りタイトル防衛
- 昭和49年(1974年)
- 第29期本因坊戦で武宮正樹七段を4-3で破り防衛。
第13期旧名人戦で林海峰名人を4-3で降す。
☆史上3人目の名人本因坊となる
第22期王座戦で林海峯王座を2-1で破り初の王座獲得 - 昭和50年(1975年)
- 第30期本因坊戦で坂田栄男九段を4-3で破り5連覇
☆名誉本因坊有資格。第二十四世本因坊。 - 昭和53年(1978年)
- 第26期王座戦で工藤紀夫王座を2-1で降し王座獲得
- 昭和59年(1984年)
- 第10期天元戦で片岡聡天元を3-1で降し初の天元位獲得
- 昭和62年(1987年)
- 第34回NHK杯優勝
- 昭和63年(1988年)
- 第7期NECカップ優勝
第1回IBM杯優勝 - 平成2年(1990年)
- 第37回NHK杯優勝
- 平成13年(2001年)
- 第48回NHK杯で3回目の優勝
- 平成28年(2016年)
- 第1回13路盤プロアマトーナメント戦優勝
受賞歴
著書一覧
石田芳夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 10:05 UTC 版)
二十四世本因坊秀芳(にじゅうよんせいほんいんぼう しゅうほう 、1948年8月15日 - )本名:石田 芳夫(いしだ よしお)は、日本の囲碁棋士。愛知県西春日井郡新川町(現清須市)出身、木谷實九段門下、日本棋院所属、九段。1971年に22歳の当時史上最年少で本因坊となって秀芳と号し、本因坊5連覇により名誉称号を名乗る。正確な目算とヨセから「コンピューター」のニックネームがある。タイトル獲得数は24。
- ^ a b c d e 内藤由起子(囲碁観戦記者)『それも一局 弟子たちが語る「木谷道場」のおしえ』水曜社、1969年、27-48頁。ISBN 978-4-88065-396-9。
- ^ 江崎誠致「昭和の碁」(立風書房)P.180
- ^ 頼尊清隆『石田秀芳 本因坊への道』講談社、P.74
- ^ 現在は、芝野虎丸が19歳11ヶ月で名人位を獲得し最年少記録を更新している。
- ^ 本人も「昭和60年(1985年)の天元戦を最後に挑戦手合に出ていないので、元気が良かったのは前半の半分だけだね」と語っている。(朝日新聞2006年8月12日付)
- ^ 石田秀芳. “プロが全力で取り組んでも分からない碁は、ずば抜けてすばらしいゲーム”. NEWS TOKYO. 2020年7月12日閲覧。
- ^ “【春の褒章】704人26団体 紫綬褒章に映画監督の周防正行さん、囲碁棋士の石田芳夫さんら”. 産経ニュース (2016年4月28日). 2016年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月7日閲覧。
- ^ “二十四世本因坊秀芳が通算1000勝達成[史上11人目]”. 日本棋院のアーカイブ. 2019年1月22日閲覧。
- ^ “二十四世本因坊秀芳が1100勝を達成”. 日本棋院 (2019年1月18日). 2019年2月8日閲覧。
- ^ 2021年6月30日読売新聞夕刊5面
- ^ 公式戦のみ。女流棋戦・地方棋戦(王冠戦・関西棋院第一位決定戦など)は除く。
- ^ 『官報』号外第97号、令和4年5月2日
- ^ “令和4年春の叙勲 旭日小綬章等受章者 東京都” (PDF). 内閣府. p. 1 (2022年4月29日). 2023年5月29日閲覧。
- ^ a b 趙治勲二十五世本因坊が告発する、兄弟子・石田芳夫二十四世本因坊の“悪行”とは
- ^ 内藤由起子『囲碁の人ってどんなヒト』(毎日コミュニケーションズ、2005年)、101ページ。
- ^ “佐々木 泰南|八戸市”. www.city.hachinohe.aomori.jp. 2023年9月21日閲覧。
- ^ 囲碁棋士 石田芳夫(3) 自分が歌ったレコード
- ^ 読売新聞 棋聖戦 第26期第5局
- ^ a b “NO.25 中野泰宏 九段 (プロ棋士の気まぐれリレー日記)”. 日本棋院のアーカイブ. 2019年1月22日閲覧。
石田芳夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:34 UTC 版)
実利派。正確なヨセと目算能力から「コンピュータ」と呼ばれた。定石や布石の研究にも定評がある。目外しや三々を好んで用いることでも有名。
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石田芳夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 08:58 UTC 版)
石田芳夫は、昭和32年7月、名古屋で行なわれた木谷の九段昇段祝賀会に招かれ、この時、大竹英雄初段と六子で指導碁を打ち、夏休みの一ヶ月間を木谷家で生活する。正式の入門は、その年の11月である。小学校3年生9歳であった。当時、石田は内弟子の中で最年少でよく泣かされた。4年後の一歳年下の宮沢吾朗が入門するまで、この状態が続いた。
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「石田 芳夫」の例文・使い方・用例・文例
- 石田さんとは親しく交際してきました.
- 石田氏は後進のために勇退すべきだ.
- 関が原の戦いという関ヶ原で行われた徳川家康と石田三成の合戦
- 東京大学大学院の石田健助教授は,木材の切り出しが減り,森が野生の状態になっているので,ツキノワグマの数が増えたのではないかと言う。
- 石田純(じゅん)一(いち)さんが「ミスタークールビズ」に選ばれる
- 調査結果に基づいて,俳優の石田純(じゅん)一(いち)さんが今年の「ミスタークールビズ」に選ばれた。
- 石田さんは,なぜ自身が「ミスタークールビズ」に選ばれたと思うかを尋ねられると,冗談まじりに「素足で靴をはくことが多いので,足元が涼しげに見えるのかもしれない。」と語った。
- 石田さんのコメントにもかかわらず,調査に回答した女性会社員の30%以上が素足に靴をはくことを否定的に感じていた。
- 彼の本名は石田道(みち)雄(お)だった。
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