石田芳夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 10:05 UTC 版)
石田芳夫 二十四世本因坊 | |
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名前 | 石田芳夫 |
生年月日 | 1948年8月15日(75歳) |
出身地 | 愛知県 |
師匠 | 木谷實 |
名誉称号 | 二十四世本因坊 |
概要 | |
タイトル獲得合計 | 24 |
七大タイトル | |
棋聖 | 挑戦者 (1979) |
名人 | 1期(1974) |
本因坊 | 5期(1971-75) |
王座 | 2期(1974・78) |
天元 | 1期(1984) |
経歴
碁好きが嵩じて碁会所を開いていた父から小学2年の時に囲碁を教えられる。碁を覚えて1年でアマ5段まで到達した[1]。その年木谷實が名古屋に来た際に同行していた大竹英雄初段(当時)と六子で打って認められ、その1957年に木谷道場に入門する。師匠から「日吉丸」とあだ名される[2]。
3回目の挑戦の14歳でプロ試験合格[1]。1963年入段。初勝利は同年5月1日(大手合泉谷政憲二段に黒番中押し勝ち)。 若手時代は同じ木谷門の加藤正夫、武宮正樹とともに「黄金トリオ」「木谷三羽烏」と呼ばれた。1967年五段。1968年に首相杯争奪戦、69年に新鋭トーナメント戦優勝。1970年、六段で日本棋院選手権戦で大平修三を3-1で破り初タイトル獲得、同年七段。日本棋院選手権戦の挑戦者決定戦の記事において、その正確な形成判断から山部俊郎から「コンピュータ」とあだ名をつけられた[3]。
四段時1967年から71年にかけて大手合30連勝を記録。
1971年、初の本因坊リーグ入りで6勝1敗で挑戦者となり、林海峰本因坊を4-2で破って22歳10ヶ月で師匠・木谷が3度挑戦して果たせなかった宿願であった本因坊を獲得した[1]。これは本因坊獲得の最年少記録であるとともに、井山裕太が20歳4か月で名人位を獲得するまで、三大タイトル(棋聖・名人・本因坊)獲得の最年少記録ともなった[4]。続いて2年連続で林のリターンマッチを受けたが防衛し、「林の天敵」とも言われた。本因坊は計5連覇。プロ十傑戦も1971、72年と2連覇。1972年8月に木谷道場から独立。名人戦では、1973年に林海峰名人に挑戦するが、3連勝後の4連敗という七番勝負史上初のスコアで敗れる。翌74年に再度名人挑戦して林を破り、坂田栄男、林に次いで選手権制史上3人目の名人本因坊となる。これにより九段に推挙され、入段以来11年で九段到達の記録となった。同年王座も獲得し三冠。
1975年には第14期名人戦で大竹英雄に3-4、1976年には第31期本因坊戦で武宮正樹に1-4と、木谷門の兄弟弟子にタイトルを奪われる。1976年新名人戦第一期で大竹名人にリターンマッチを挑むが1-4で敗北。1978年には本因坊戦で加藤剱正本因坊への挑戦者となるが、最終局は必勝の碁をポカで落とし3-4で敗れる。1979年には挑戦者決定戦で坂田栄男を破り棋聖戦挑戦者となるが、藤沢秀行棋聖に1-4で敗れる。
1976年以降の七大タイトル獲得数は2期に留まっており、大竹英雄、加藤正夫、武宮正樹、小林光一、趙治勲といった世代が近い同門のトップ棋士と比べると実績は大きく見劣りしている。1987年以後もNHK杯(3回)、早碁選手権戦、NEC杯、IBM早碁オープン戦などの早碁棋戦優勝はあるが、過去の活躍からすれば低迷と見られている[5]。
1990年代は竜星戦準優勝、世界囲碁選手権富士通杯に何度か出場。2000年から棋聖戦リーグに4期連続在籍し、2000年にはBリーグ4勝1敗で趙善津と同率1位になるが、順位差で挑戦者決定戦進出を逃した。2001年にはNHK杯テレビ囲碁トーナメントで11年ぶりの優勝を果たした。2011年、第1回エステー&フマキラー囲碁マスターズカップでは準決勝進出。
2014年8月31日、クラウドファンディング13路盤選抜プロトーナメント戦で高尾紳路十段を破り優勝。2016年7月23日、第1回13路盤プロアマトーナメント戦でも、河野臨九段を下し優勝する。
国際棋戦では、1987年に日中テレビ囲碁選手権戦で聶衛平を下した。富士通杯で1991、99年にベスト8進出、2010年には1回戦で睦鎮碩を破りベスト16に進むが2回戦で孔傑に敗れる。
2008年、60歳をもって規定により二十四世本因坊秀芳を名乗る[6]。2016年紫綬褒章を受章[7]。
2005年から2008年まで日本棋院棋士会(東京)会長。またテレビ等での囲碁解説者として、2006年度(前期)、08年度(後期)のNHK囲碁講座では講師を務める。1983年からは代々木上原に「二十四世本因坊秀芳囲碁さろん」を開いている(2020年3月閉業)。門下に高橋秀夫七段。
2010年5月20日、三王裕孝九段を破り、通算11人目となる公式戦通算1000勝(604敗)を達成する[8]。
2019年1月17日、史上15人目となる通算1100勝を達成[9]。
2021年5月3日、第46期棋聖戦ファーストトーナメント予選決勝で武宮正樹を破り72歳にしてCリーグ入りを果たす。第46期のリーグ参加棋士では最年長[10]。
タイトル歴
- 首相杯争奪戦 1968年(対高木祥一)
- 新鋭トーナメント戦 1969年(対石井邦生)
- 日本棋院選手権戦 1970-71年(対大平修三、武宮正樹)
- 本因坊戦 1971-75年(対林海峰、林、林、武宮正樹、坂田栄男)
- プロ十傑戦1位 1971、1972年(対梶原武雄、岩田達明)
- 囲碁日本シリーズ 1973年
- 名人(旧) 1974年(対林海峰)
- 王座 1974、1978年(対林海峰、工藤紀夫)
- 早碁選手権戦 1980、83、84年(対大竹英雄、小林光一、小林)
- 天元戦 1984年(対片岡聡)
- NHK杯テレビ囲碁トーナメント 1987、90、2001年(対林海峰、大竹英雄、趙治勲)
- IBM早碁オープン戦 1988年(対武宮正樹)
- NECカップ囲碁トーナメント戦 1988年(対趙治勲)
他の棋歴
国際棋戦
- 世界囲碁選手権富士通杯 ベスト8 1991、99年、出場 1990、92-94、96、98、2005、10年
- 日中囲碁交流
- 日中テレビ囲碁選手権戦
- 1987年 ○聶衛平
- 日中スーパー囲碁
- 1989年 0-1 (×兪斌)
- 真露杯SBS世界囲碁最強戦
- 1994年 0-1(×徐奉洙)
国内棋戦
- 大手合第一部優勝 1968、69年
- NHK杯テレビ囲碁トーナメント 準優勝 1971、85年
- 名人戦 挑戦者 1973、76年
- 本因坊戦 挑戦者 1978年
- 棋聖戦 挑戦者 1979年
- 王座戦 挑戦者 1980年
- 日本アジア航空杯争奪トーナメント 準優勝 1980年
- 早碁選手権戦 準優勝 1987、2002年
- NECカップ囲碁トーナメント戦 準優勝 1989年
- IBM早碁オープン戦 準優勝 1989年
- 竜星戦 準優勝 1992年
- JT杯星座囲碁選手権戦準優勝 1999年
- クラウドファンディング13路盤選抜プロトーナメント戦 優勝 2014年
- 第1回13路盤プロアマトーナメント戦 優勝 2016年
- リコー杯プロペア碁選手権戦 準優勝 1995年(中澤彩子とのペア)
- 27期十段戦(1989)挑戦者決定戦進出
- 16期碁聖戦(1991)挑戦者決定戦進出
- 名人戦リーグ9期 1971-73、1975-78、1987-88年(在位を除く)
- 本因坊戦リーグ6期 1971、1977-1980年(在位を除く)
- 棋聖戦リーグ4期 2000-2003年
タイトル獲得数ランキング | ||
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順位 | 獲得回数 | 棋士名 |
1位 | 76期 | 趙治勲名誉二冠* |
2位 | 72期 | 二十六世本因坊文裕* |
3位 | 64期 | 二十三世本因坊栄寿 |
4位 | 60期 | 小林光一名誉三冠* |
5位 | 48期 | 大竹英雄名誉碁聖 |
6位 | 47期 | 加藤正夫名誉王座 |
7位 | 41期 | 張栩九段* |
8位 | 36期 | 依田紀基九段* |
9位 | 35期 | 林海峰名誉天元* |
10位タイ | 24期 | 二十四世本因坊秀芳* | 武宮正樹九段* |
*は現役棋士 2023年7月28日時点[11] |
受賞等
- 秀哉賞 1970、71、74年
- 棋道賞
- 1968年 敢闘賞(31勝7敗)
- 1969年 新人賞(35勝7敗)
- 1970年 最多勝利賞(35勝9敗)、勝率第一位賞(.795)、連勝賞(9)
- 1971年 最優秀棋士賞、最多勝利賞(36勝17敗)
- 1974年 最優秀棋士賞
- テレビ囲碁番組制作者会賞 1985年
- ジャーナリストクラブ賞 1994年
- 紫綬褒章 2016年
- 旭日小綬章 2022年[12][13]
- ^ a b c d e 内藤由起子(囲碁観戦記者)『それも一局 弟子たちが語る「木谷道場」のおしえ』水曜社、1969年、27-48頁。ISBN 978-4-88065-396-9。
- ^ 江崎誠致「昭和の碁」(立風書房)P.180
- ^ 頼尊清隆『石田秀芳 本因坊への道』講談社、P.74
- ^ 現在は、芝野虎丸が19歳11ヶ月で名人位を獲得し最年少記録を更新している。
- ^ 本人も「昭和60年(1985年)の天元戦を最後に挑戦手合に出ていないので、元気が良かったのは前半の半分だけだね」と語っている。(朝日新聞2006年8月12日付)
- ^ 石田秀芳. “プロが全力で取り組んでも分からない碁は、ずば抜けてすばらしいゲーム”. NEWS TOKYO. 2020年7月12日閲覧。
- ^ “【春の褒章】704人26団体 紫綬褒章に映画監督の周防正行さん、囲碁棋士の石田芳夫さんら”. 産経ニュース (2016年4月28日). 2016年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月7日閲覧。
- ^ “二十四世本因坊秀芳が通算1000勝達成[史上11人目]”. 日本棋院のアーカイブ. 2019年1月22日閲覧。
- ^ “二十四世本因坊秀芳が1100勝を達成”. 日本棋院 (2019年1月18日). 2019年2月8日閲覧。
- ^ 2021年6月30日読売新聞夕刊5面
- ^ 公式戦のみ。女流棋戦・地方棋戦(王冠戦・関西棋院第一位決定戦など)は除く。
- ^ 『官報』号外第97号、令和4年5月2日
- ^ “令和4年春の叙勲 旭日小綬章等受章者 東京都” (PDF). 内閣府. p. 1 (2022年4月29日). 2023年5月29日閲覧。
- ^ a b 趙治勲二十五世本因坊が告発する、兄弟子・石田芳夫二十四世本因坊の“悪行”とは
- ^ 内藤由起子『囲碁の人ってどんなヒト』(毎日コミュニケーションズ、2005年)、101ページ。
- ^ “佐々木 泰南|八戸市”. www.city.hachinohe.aomori.jp. 2023年9月21日閲覧。
- ^ 囲碁棋士 石田芳夫(3) 自分が歌ったレコード
- ^ 読売新聞 棋聖戦 第26期第5局
- ^ a b “NO.25 中野泰宏 九段 (プロ棋士の気まぐれリレー日記)”. 日本棋院のアーカイブ. 2019年1月22日閲覧。
固有名詞の分類
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