現役中
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2009年、若麒麟逮捕問題の際には「事件に関係ない部屋の衆に嫌な思いをさせて申し訳ない」と部屋の閉鎖を考えていた尾車に対し「親方が辞めるのなら自分も辞めます」「親方がいるから尾車部屋に入ったんです」と発言して翻意させ、大揺れだった部屋をまとめ上げたという。 2012年4月、頸椎損傷による全身不随で入院中であった尾車を自身が中心になって作成したスライド写真で励ました。このスライド写真は尾車の誕生日である4月26日に合わせて作成したものであった。 2015年、報知プロスポーツ大賞を受賞。 2016年6月28日、尾車部屋に愛知県産米「あいちのかおり」200㎏がJAあいち尾東から贈呈された際に、思いを受け取った嘉風は「コンディションを整える助けとなる良質な炭水化物を頂きました。部屋全体が(お米の差し入れで)活気づくような気がします」と地元の配慮に感謝した。 2016年7月場所中、ハスの花を持った天女の描かれた着物で場所入りした。 高校時代を中津市で過ごしたこともあって、大相撲巡業中津場所は準御当地。2016年12月5日の冬巡業中津場所では地元ファンから大声援を受け、朝は大関稀勢の里と申し合い稽古をこなし、午後の取組では人気力士の遠藤をうっちゃりで下すなど精力的に活動した。「第2の地元で知ってる人もたくさん来てくれた。地元の人に見てもらって良かった。来年も常に納得いく相撲を取っていきたい」と、35歳になる2017年へ誓いの言葉を口にした。 2016年の関脇以下の力士の中で最も懸賞金を逃した力士であり、その本数は413本にも上る。これは懸賞金が多く設定される上位力士や人気力士に対して勝負弱いとも、それだけ上位力士と対戦する番付を維持していたとも取れる。 2017年のインタビューで自らのトレーニングについて、次のように語っている。ある時嘉風は妻から「対戦した時には勝っている力士が三役に昇進しているのに、なぜあなたは三役になれないの?」と言われ、それまで幕内に在位してそれなりの生活ができればよいという考えであったが、妻を喜ばせたい、自分自身を変えたいという気持ちから嘉風は三役を狙うようになった。パーソナルトレーナーの野村昇平と契約し、部屋での稽古後にジムへ通う日々が始まった。トレーニングを積んだことによって20代後半の頃の本人いわく「ダサい」体が変わっていき、筋肉に張りが生まれた。朝やトレーニング後、就寝前のプロテインも導入。プロテインに関しては「この世界には『プロテインなんか必要ない。体は味噌汁で大きくするもんだ』という人もいます。その考え方や伝統を否定する気はありません。味噌汁で体を大きくして、しっかりと結果を残した力士もたくさんいるはずですから。でも、僕は150㎏の脂肪よりも、120㎏の筋肉の方が強いと考える。だから、若い衆にもプロテインを勧めています」と話した。ほか、寝具を良質な物に替え、これによって朝目覚めた時の腰や首の痛みがなくなり、睡眠が深くなったことにより2時間から3時間の昼寝でも疲労が取れるようになったという。 2017年4月8日の春巡業藤沢場所では藤沢場所名物の幕内力士トーナメントで優勝したが、この時の賞金の使い道については、最後まで土俵入りで大泣きしていた2016年とは違って最初からやる気になっていた長男と「ご褒美に何か買ってあげるね」と約束していたこともあって「おもちゃを買ってあげます」と改めて約束。 クレイデコレーション協会から装飾化粧廻しが贈られ、2017年7月2日に名古屋市区中区で贈呈式が行われた。3年連続の贈呈で2015年は赤富士、2016年は勝ち虫トンボのデザイン。心技体を表した3部作の完結編となる2017年は「技」をイメージした「三の矢鶴」と名付けられた。化粧まわしを見た嘉風は「鶴は験のいい鳥。頂いたからには、“ウィンウィン”以上の結果を出したい」と恩返しを誓った。4月から作成し始めた今作は、前回までの2部作と比べ軽量化。昨年は入っていた四股名はなくなり、シンプルな作りとなっている。デザインした同協会の原志津香代表は「流動的な鶴というよりは、微動だにしないずっしりとした鶴をイメージしました」と説明。鶴の中心にある3本の矢は、鋭い攻め手を表現。「立ち合いで50パーセントの勝負が決まるというのが相撲。そのために大切な立ち合いの一の矢。次々に二の矢、三の矢を打つというイメージで作成しました」と話した。元々は嘉風の夫人と同代表が知人だったことが製作のきっかけ。名古屋場所はもともと苦手としていたが、この化粧まわしを贈呈されるようになった2015年は12勝と大活躍。2016年も10勝を挙げ2年連続で三賞も受賞した。「この会自体を験担ぎにしているので。今年も結果を出したい。3年連続の三賞をめざしたい」と意気込んだ。 2017年7月7日、名古屋市内で開かれた日体大出身力士の激励会に出席。激励会の最中、九州豪雨による大きな被害を気に掛けた。地元の知人とは連絡を取り合っており、幸いにも大きな被害はなかった。不安を抱える人がいる状況に「悪いニュースは気になるし心配。不安が和らぐような相撲を取りたい」と決意を口にした。日体大出身力士の名古屋での激励会は2017年で2回目。雷親方(元小結・垣添)から序ノ口力士までこの日は7人が参加。力士を代表してあいさつした嘉風が「いい相撲と取って今場所を盛り上げたい」とあいさつすると会場は大きな拍手に包まれた。迎えた名古屋場所初日では横綱・日馬富士を破って殊勲インタビューに呼ばれ、ここでも故郷と被災地の窮状に思いを寄せるコメントを残した。 2017年9月の報道によると、網膜剥離で2度の手術を経験しており、左目の視力は0.02しかないという。 2017年9月場所4日目の取組終了後の夜、親交の深い二子山(元大関・雅山)に対して「(相手に)当たるのに怖さがあるんです」と弱音を口にしたが、二子山は意を決して「そんな気持ちじゃ、お前は勝てないよ」と中途半端な覚悟で土俵に上がっていることを指摘。これに目が覚めたのか、この場所は8勝7敗と勝ち越して技能賞を手にした。 2017年秋巡業中、神取忍からインタビューを受け、そこで場所中は午前中の稽古後と取組後にトレーナーに体を診てもらうこと、本場所の1番1番を「今日この日の1番で終わっても良い」という覚悟で取っていることを明かした。 2017年10月27日朝、歌手の相川七瀬と島根県出雲市の出雲大社を初めて参拝した。御朱印集めから寺社仏閣に興味を持った嘉風と、数多くの神社をめぐって書籍も出すなど「ハマり過ぎ芸能人」として知られる相川は、知人を介して知り合った。秋巡業で松江市に滞在したこの日、相川の助言もあって早朝に出雲大社を初訪問。その際相川に「私も行こうかな」と言われて一緒に訪れた。相川の書籍「太陽と月の結び」と、相川デザインの御朱印帳を持つ嘉風は「いろいろと案内していただきました」と感謝した。ただ、34歳で昇進した鏡岩超えの「最年長大関を狙う」と宣言する嘉風は「特別な願い事はしていません」。以前、三重県の伊勢神宮を参拝した際に「お礼を言うところ」と聞いてから、神様の前では感謝だけ。「ここまで長く力士をできているお礼しかないです」と語った。 2018年の『FLASH 』のロングインタビューでは「昔の自分より今の自分の方が強いので過去に戻りたいと思ったことは一度も無い」と力強く言い切っていた。また同インタビューで、黒星への恐怖や白星の喜びとも無縁で、如何に全力を出し切るかが自身にとっては重要であるとも話していた。
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