東日本大震災以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 16:29 UTC 版)
2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では全線が不通となった。特に、地震による津波で陸前戸倉駅、志津川駅、歌津駅、陸前港駅、陸前小泉駅、小金沢駅、最知駅、松岩駅、南気仙沼駅が流失、津谷川橋(気仙沼市本吉町:陸前小泉 - 本吉間)が落橋、各所で路盤・築堤が流失(消失)するなど、沿岸部を通る陸前戸倉 - 南気仙沼間は壊滅した。 同年4月29日には前谷地 - 柳津間が復旧したが、残る区間の復旧は自治体の復興計画において路線の変更があるために年単位になることをJR東日本は明らかにしている。JR東日本は不通区間の鉄路復旧について、自社で負担する震災前の状態への復旧費300億円、公的支援が必要なルート移設などに掛かる400億円の合計700億円の費用や利用者数減少の見込みから断念する意向を示している。 不通区間については2012年(平成24年)5月にBRT方式での仮復旧に沿線自治体が合意し、同年内のBRTの運行開始を目指して工事が始まり、同年8月20日よりバス代行運転扱いで暫定的な運行を開始した。BRT用の車両はJR東日本が用意し、ミヤコーバスに運行を委託した。同年12月22日より、JR東日本がバス事業者となりBRTの本格運行を開始した。 2019年(令和元年)11月12日、JR東日本が同日付けで、国土交通大臣宛てに2020年11月13日を廃止日とする柳津駅 - 気仙沼駅間の鉄道事業廃止届を提出したと発表した。その後、意見聴取の結果、廃止日の繰り上げが認められたことから、2020年(令和2年)1月31日、JR東日本が同日付けで、国土交通大臣宛てに柳津駅 - 気仙沼駅間の鉄道事業の廃止日を2020年4月1日に繰り上げる旨の届出を提出したと発表した。 1987年4月のJR東日本発足以降における同社仙台支社管内での旅客鉄道路線の廃止は、第三セクター鉄道へ転換された路線を除けば、これが初の事例であり、JR東日本全体で見ても1997年廃止の信越本線の横川駅 - 軽井沢駅間と、2014年廃止の岩泉線以来、同時廃止される大船渡線の区間も含めて3例目となる。 志津川駅のプラットホームと津波にねじ曲げられたレール 橋の右側の土手上にあった陸前小泉駅は跡形もなく流された 橋桁を越える高さの津波を受け落橋した津谷川橋 BRTでの復旧にあたり、線路敷がバス専用道路に転用された(最知駅付近)
※この「東日本大震災以後」の解説は、「気仙沼線」の解説の一部です。
「東日本大震災以後」を含む「気仙沼線」の記事については、「気仙沼線」の概要を参照ください。
東日本大震災以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 16:29 UTC 版)
BRT区間における駅の改廃・経路変更等の詳細については「気仙沼線・大船渡線BRT#年表」を参照 2011年(平成23年)3月11日 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生により全線で不通。松岩 - 最知間に緊急停車中(乗員乗客は避難済み)だった上り列車1編成が津波に流される。 4月9日 前谷地 - 柳津間で代行バス運転開始。 4月29日 前谷地 - 柳津間で運転再開。 5月9日 志津川 - 本吉 - 気仙沼間でミヤコーバス路線バス(三陸線)臨時ダイヤに乗る形で、当該区間に対し有効な定期券・回数券保持者に対するバス振替輸送を開始。普通乗車に関してはミヤコーバスが定める運賃を支払う。 7月11日 柳津 - 志津川間でミヤコーバス路線バス(三陸線)臨時ダイヤに乗る形で、当該区間に対し有効な定期券・回数券保持者に対するバス振替輸送を開始。 2012年(平成24年)5月7日 JR東日本が提示した気仙沼線のBRT方式による“仮復旧”に対して、沿線の気仙沼市、南三陸町、登米市が合意。 5月21日 BRT方式のための工事開始。 8月20日 柳津 - 気仙沼間でバス代行運転扱いとしてBRTによる暫定サービス提供開始。ミヤコーバスによるバス振替輸送は前日8月19日の運行をもって終了。 12月22日 柳津 - 気仙沼間のBRTの本格的な運行を開始。BRT区間の運賃が鉄道とは別体系となる。 2015年(平成27年)6月27日 前谷地 - 柳津間でBRTを延伸し運行開始。 2016年(平成28年) 気仙沼線のBRTによる本復旧に沿線自治体がJR東日本と合意。 2019年(令和元年)11月12日 JR東日本が柳津 - 気仙沼間の鉄道事業廃止届を提出。 2020年(令和2年)1月31日 JR東日本が柳津 - 気仙沼間の鉄道事業の廃止日を繰り上げる旨の届出を提出。 4月1日 【鉄道事業廃止】柳津 - 気仙沼 (-55.3 km) 【鉄道駅廃止】陸前横山、陸前戸倉、志津川、清水浜、歌津、陸前港、蔵内、陸前小泉、本吉、小金沢、大谷海岸、陸前階上、最知、松岩、南気仙沼、不動の沢
※この「東日本大震災以後」の解説は、「気仙沼線」の解説の一部です。
「東日本大震災以後」を含む「気仙沼線」の記事については、「気仙沼線」の概要を参照ください。
東日本大震災以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 07:26 UTC 版)
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、地震や津波の被害を受け、全線にわたり不通となった。同年5月19日までに小牛田駅 - 石巻駅間、2012年3月17日には石巻駅 - 渡波駅間、2013年3月16日には渡波駅 - 浦宿駅間が復旧した。残る浦宿駅 - 女川駅間は軌道の損傷や女川駅の駅舎消失により長期不通となり、同区間にてバス代行輸送が行われていたが、2015年3月21日に復旧した。 JR東日本は被災した路線について「線路の位置変更も考えていくことになる」との考えで、現在の線路よりも内陸部への移設も視野に入れているため復旧には時間がかかることを明らかにし、特に被害が大きかった女川駅を内陸側に移設することが検討された。 2012年3月5日には、被害の大きかった女川駅を除く渡波駅 - 浦宿駅間を2013年度初頭を目処に復旧させるとJR東日本から発表され、同年12月21日には翌年3月16日に予定されるJRグループダイヤ改正に合わせて同区間を復旧させることが正式に発表された。 2013年1月24日のJR東日本仙台支社長定例記者会見では、浦宿駅 - 女川駅間の復旧時期は明言を避け、女川町が要望する2015年度の復旧について「技術的に可能かどうか、町側と検討する」としていた。そして2月1日に女川駅を150 m内陸側に移設し、かさ上げした上で浦宿駅 - 女川駅間(距離は2.5 kmから2.3 kmに短縮)を復旧させることで女川町とJR東日本との間で覚書を締結した。 東日本大震災では仙石線も高城町駅 - 矢本駅間が長期運休となり、2011年12月から石巻線および東北本線経由で石巻 - 仙台間直通の臨時快速が設定された。当初は仙台行の片道のみだったが、2012年1月からは石巻行も設定されている。この臨時快速は同年3月17日のダイヤ改正で「直通快速」として定期化された(「#運行形態」節も参照)。2015年5月30日の仙石線全線運転再開に伴い、同年5月29日限りで運転を終了した。 また、宮城県や石巻市、女川町より、仙台と石巻を結ぶ新しい運行系統仙石東北ラインの女川駅までの延伸が要望され、実現に向けて、宮城県は協力する姿勢を示した。2016年6月29日、一部列車を女川まで延長運転することが発表され、同年8月6日から運行を開始した。 エレベーターシャフトとホームを除き消失した女川駅(2011年3月30日) 停車していた女川駅から山側に流された列車(2011年3月30日) 地盤沈下のため満潮時に冠水する沢田駅(2011年7月17日)
※この「東日本大震災以後」の解説は、「石巻線」の解説の一部です。
「東日本大震災以後」を含む「石巻線」の記事については、「石巻線」の概要を参照ください。
東日本大震災以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 05:20 UTC 版)
「RadioNews たね蒔きジャーナル」の記事における「東日本大震災以後」の解説
MBSラジオでは、サービスエリアの兵庫県内で1995年に阪神・淡路大震災が発生した直後から、防災情報・震災被災者支援番組『ネットワーク1・17』をレギュラーで放送してきた。東日本大震災発生以降は、同番組のノウハウを生かしながら、被災地の現状や被災者の心のケアを随時報告。この震災に起因する東京電力福島第一原子力発電所事故に関する報道や特集では、小出裕章など原子力研究の専門家を連日ゲストに迎えたうえで、事故による環境や人体などへの影響などを厳しく追及していた。 また、福島第一原子力発電所事故や地震・大津波に直面した被災地の実情を、キャスター陣や番組スタッフなどが随時取材。被災地の生々しい現状を刻々と伝えた。以上のスタンスは、後継番組の『報道するラジオ』にも引き継がれている。単独番組や生ワイド番組の内包コーナーとして放送される『MBSニュース』でも、前述の事故の発生を機に、原子力発電所や脱原発を巡る日本全国の動きをストレートニュースで細かく伝えるようになった。
※この「東日本大震災以後」の解説は、「RadioNews たね蒔きジャーナル」の解説の一部です。
「東日本大震災以後」を含む「RadioNews たね蒔きジャーナル」の記事については、「RadioNews たね蒔きジャーナル」の概要を参照ください。
東日本大震災以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 15:24 UTC 版)
2011年(平成23年)3月11日 東北地方太平洋沖地震およびそれによる津波の被害で全線不通となる。 3月28日 あおば通 - 小鶴新田間で運転再開。 4月5日 東北本線松島駅に接続する形で、松島 - 石巻間で仙石線経由の代行バス運転開始。 4月7日 東北地方太平洋沖地震の余震により再び全線で不通となる。 4月15日 余震により不通となっていた、あおば通 - 小鶴新田間の運転を再開。 4月19日 小鶴新田 - 東塩釜間の運転を再開。代行バス区間を東塩釜 - 石巻間に変更。 5月28日 東塩釜 - 高城町間の運転を再開。代行バス区間を松島海岸 - 石巻間に変更。 7月16日 矢本 - 石巻間の運転を再開。同区間は気動車が使用される。またスタフ閉塞式が施行される。代行バス区間を松島海岸 - 矢本間に変更。 10月10日 あおば通 - 東塩釜間の保安装置をATACS化。 2012年(平成24年)3月17日 陸前小野 - 矢本間の運転を再開。 4月8日 多賀城駅下り線を高架化し、これにより同駅周辺の上下線とも高架化を完了(多賀城駅の3番線は未供用)。 9月29日 貨物支線(石巻港 - 陸前山下)の試運転開始に伴い、陸前山下 - 石巻間の自動閉塞式(特殊)の使用を再開。スタフ閉塞式が陸前小野 - 陸前山下 間に短縮される。 10月9日 貨物支線(石巻港 - 陸前山下)の運転を再開。 11月17日 多賀城駅付近連続立体交差化完了。多賀城駅駅舎と3番線使用開始。 11月下旬 陸前小野 - 陸前山下間の自動閉塞式(特殊)の使用を再開(ただし陸前赤井駅の信号設備は使用停止)。 2014年(平成26年)3月15日 B快速を各駅停車に格下げ。多賀城駅中線による折り返し開始。 4月1日 全線が新設の仙台近郊区間となる。 12月14日 あおば通 - 東塩釜間でATACSによる踏切制御機能使用開始。また、不通区間となっていた高城町 - 陸前小野間のレール締結式が挙行され、全線がレールで結ばれる。 2015年(平成27年)3月14日 不通区間の運転再開に先立ち、新線へ切り替えられる陸前大塚 - 陸前小野間を改キロ (-1.2 km)。 4月13日 不通区間の高城町 - 陸前小野間で移設区間を含めての試運転を実施。陸前小野・陸前赤井駅の信号設備使用再開。 5月30日 高城町駅 - 陸前小野駅間の新線開業に伴い、全線運転再開。同時に仙石東北ライン開業。 12月1日 205系3100番台の2WAYシート車をすべてロングシートとして運行開始。 2016年(平成28年)3月26日 陸前赤井 - 蛇田間に石巻あゆみ野駅を新設 2017年(平成29年)3月4日 - 石巻あゆみ野駅へ朝の仙石東北ライン快速上下各1本が停車開始。
※この「東日本大震災以後」の解説は、「仙石線」の解説の一部です。
「東日本大震災以後」を含む「仙石線」の記事については、「仙石線」の概要を参照ください。
- 東日本大震災以後のページへのリンク