内戦の推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 09:14 UTC 版)
1992年春、前年に実施された大統領選挙の結果、誕生したラフモン・ナビエフ大統領への抗議行動を反政府勢力が街頭で展開し、緊張が高まる。5月、政府側の警備兵と反政府勢力の間で戦闘が勃発した。反政府勢力には民主化勢力のほか、ゴルノ・バダフシャン自治州のパミール人やガルム地方の民族集団、イスラム勢力が含まれていた。一方、政府側にはソ連時代から新政府でも常に国内や政府内で優遇されてきたホジェンド地方の人々や、長く軍内で厚遇を独占してきたクリャーブ地方の人々が付いた。数度の武力衝突の後、ホジェンド派は妥協し、野党勢力も交えた新しい連立が発足した。しかし却って野党勢力は勢いを増し、9月にナビエフ大統領は辞任を余儀なくされた。一方で首都のドゥシャンベでは市街戦が始まっていた。 ロシアとウズベキスタンの軍事支援を受け、ホジェンド派とクリャーブ派からなる人民戦線は1992年末には反政府勢力を圧倒、連立政権は瓦解した。ホジェンド・クリャーブ派が多数を握るタジキスタン共和国最高会議は、エモマリ・ラフモンが指導者とする新政権を立ち上げた。このことは政府内での権力がホジェンド派から軍を掌握するクリャーブ派へ移行したことを意味していた。ラフモンはクリャーブ地方の出身であった。 1993年には戦争は激しさを増した。クリャーブの民兵組織はロシアなどの軍事援助を受け、タジキスタン・イスラム復興党(IRP)のイスラム勢力やゴルノ・バダフシャン自治州のパミール人やガルム人組織などを相手に戦局を常に優位に進めた。さらにドゥシャンベの南部ではパミール人やガルム人に対する民族浄化も行われ、特にIRPの根拠地でありガルム人の多いクルガン・テッパでは虐殺が行われ数万人が犠牲となった。生き残った者はアフガニスタンへ難民となった。 アフガニスタン国内で反政府勢力は態勢を建て直し、イスラム協会(Jamiat-e Islami)の支援を受け、アフマド・シャー・マスードが反政府勢力を後援した。反政府勢力はタジク野党連合(UTO)を結成した。 山岳国家であるタジキスタンでは中央政府の統制が及ばなくなり、1994年に国際連合タジキスタン監視団(UNMOT)が派遣された。内戦の当初の段階ではタジキスタンの南部が戦場となったが、1996年から反政府軍の標的はドゥシャンベに駐留しているロシア軍部隊に変わった。アフガニスタン北部から出撃してきたイスラム過激派は、タジキスタン国内でもロシア軍を相手に戦いを続けた。 1997年、国連主導の停戦協議が進行され、UTO側の捕虜交換、および政権に野党勢力を入れる、という再三の要求が最終的に受け入れられ合意が成立し1997年6月27日、モスクワのクレムリンでエモマリ・ラフモン(1994年にタジキスタン大統領に就任)、UTOのサイイド・アブドゥッラー・ヌーリー、ロシアのボリス・エリツィン大統領の間で和平協定が調印された。ロシアのエフゲニー・プリマコフ外相はイラン、カザフスタン、トルクメニスタンの各外相とも和平協定を協議した。 停戦までにタジキスタンは内戦で疲弊荒廃し、120万人が難民となった。人々は国際的な援助団体からの支援で生き延びた。この内戦では内外のジャーナリストも標的にされ、数十人のジャーナリストが殺されていた。監視団に派遣されていた秋野豊筑波大学助教授をはじめ、外国人も標的となり犠牲になった。また優秀な人材が国外へと流出した。 表 話 編 歴 タジキスタン関連の主要項目歴史サカ - フン族 - 突厥 - カルルク - 回鶻 - 堅昆 - カラハン朝 - モンゴル帝国 - チャガタイ・ハン国 - ジョチ・ウルス - トルキスタン総督府 - バスマチ - タジクASSR - タジクSSR - タジキスタン内戦 地理都市 - 地方行政区画 - 環境問題 - 湖沼 - 山 - 自然保護区 - 河川 - 世界遺産 政府憲法 - 選挙 - 人権 (LGBT) - 警察 - 大統領 - 国会 - 政治 - 政党 - 最高裁判所 外交在外公館 - 駐在外国公館 - 旅券 - 査証政策 - 査証要件 - 中央アジア連合 軍軍 - 歴史 - 階級 経済企業 - 通貨 - 中央銀行 - 通信 - 租税 - 電気通信 (インターネットドメイン) - 農業 - 観光 - 交通 - 空港 社会国歌 - 国章 - 国旗 - 人口統計 - 教育 - 医療 - 言語 - 人々 - 祝日 - 宗教 - スカウト活動 文化映画 - 料理 - 文学 - メディア - 新聞 - ラジオ - テレビ - 音楽 - 宗教 - スポーツ 表 話 編 歴 ポスト冷戦時代のアジアの紛争南アジアネパールの紛争ネパール内戦 (1996-2006) 王族殺害事件 (2001) スリランカ内戦 (1983-2009) カシミール紛争 (1947-現在)インド・パキスタン国境衝突 (2013)(en) インド・パキスタン国境衝突 (2014-15)(en) インド・パキスタン国境衝突 (2016-18)(en) カルギル戦争 (1999)(en) ジャンムー・カシミールの反乱 (1989-現在)(en) インド北東部の反乱 (1964-現在)(en) ナクサライト・毛沢東主義派の反乱 (1967-現在)(en) アフガニスタンとパキスタンの衝突(en) アフガニスタン紛争1989-2001 2001-現在 ワジリスタン紛争 (2004-現在) バロチスタンの反乱 (2004-現在)(en) 東アジア第三次台湾海峡危機 (1996) 朝鮮半島の紛争(en)北朝鮮と韓国の国境事件(en) 北朝鮮危機 (2017) 新疆紛争 (1960年代-現在)(en) 東南アジアラオスの反乱(en) 東ティモールの紛争インドネシア占領 (1975-99)(en) 東ティモール紛争 (1999) 東ティモール危機 (2006)(en) タイとカンボジアの国境紛争 (2008-11) インドネシアにおけるその他の紛争パプア紛争 (1969-現在) アチェ独立運動 ミャンマーの内部紛争 (1948-現在)(en)カレン紛争(en) カチン紛争(en) ロヒンギャ紛争(en) フィリピン紛争Communist(en) モロ紛争(en) カンポン・メダン事件 (2001)(en) タイ深南部紛争 (2004-現在)(en) 中央アジアタジキスタン内戦 (1992-97) キルギス騒乱 (2010) 南キルギス民族衝突 (2010)(en) タジキスタン東部の反乱 (2010-12)(en) 西アジア(南コーカサスを除く) イラクイラク・クルド紛争 (1918-2003)(en)クルド内戦 (1994-97)(en) クルド・イスラム主義紛争 (2001-03)(en) イラク戦争 (2003-2011) イラクの反乱 (2011-13)(en) イラク内戦 (2014-17)(en) イラクの反乱 (2017-現在)(en) イスラエルパレスチナ問題 (1948-現在)第2次インティファーダ (2000-05)(en) ガザ・イスラエル紛争 (2006-現在)(en) イスラエル・レバノン紛争 (1948-現在)(en)南レバノン紛争 (1985-2000)(en) レバノン侵攻 (2006) イエメンイエメン内戦 (1994) アルカイダによる反乱 (1998-2015)(en) ハウチ派の反乱 (2004-15)(en) 南イエメンの反乱 (2009-15)(en) イエメン騒乱 (2011) フーシ派クーデター (2014-15)(en) イエメン内戦 (2015) トルコ政治的暴力 (1976-80)(en) 毛沢東主義の反乱(en) 革命的人民解放党・戦線の反乱(en) トルコ・クルド紛争 トルコとISILの対立(en) その他イランのクルド人分離(en)KDPIの反乱 (1989-96)(en) イランとペジャークの対立 (2004-現在)(en) シナイの反乱 (2011-現在)(en) バーレーン騒乱 (2011) シリア内戦 (2011-現在)シリア内戦の波及(en) イラン西部の衝突 (2016-現在)(en) 関連トピック対テロ戦争 生来の決意作戦 アラブの春 アラブの冬 色の革命 {{ヨーロッパの紛争}} {{アフリカの紛争}} {{アメリカ大陸の紛争}}
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