内戦の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 17:51 UTC 版)
当初の反乱指導者はモラであったが、トレドを陥落させるなど反乱軍内部で声望を高めたフランコが、9月29日反乱軍の総司令官兼元首に選出され、指導者の地位に就いた。フランコは、ファシズム政権を樹立していたドイツとイタリアから支援を受けた。モロッコのフランコ軍は、両国の輸送機協力によって本土各地へ空輸されて早期な軍事展開を果たした。隣国のポルトガルに成立していたサラザールによる独裁政権もフランコを助け、日本も少量ながらフランコ軍に武器を援助した、アイルランドもエオイン・オ・デュフィ率いる義勇軍がフランコ側に参戦した。 ドイツからは、空軍の「コンドル軍団」と空軍の指揮下で行動する戦車部隊、数隻の艦艇、軍事顧問が派遣された。イタリアはフランコにとっては最大の援助国であり、4個師団からなるスペイン遠征軍(CTV)と航空部隊、海軍部隊がスペインに派遣され、物資援助も含めると、援助額は当時の金額で14兆リラに達している。後に、フランコ政権に対して7兆リラの支払いが求められたが、踏み倒されている。ポルトガルは、最大で2万人規模の軍隊を派遣していた。 当時、ファシズムに対して宥和政策をとっていたイギリス、アメリカは、内戦が世界大戦を誘発することを恐れて中立を選んだ。隣国フランスでは、レオン・ブルムを首相として人民戦線内閣が成立し、当初は空軍を中心とした支援をおこなったが、閣内不一致で政権は崩壊し、結局はイギリス、アメリカと同様に中立政策に転換した。 そのため、人民戦線政府は国家レベルではソビエト連邦とメキシコからしか援助を受けられなかった。ソ連の軍事援助は莫大だったが有償であり、メキシコからの軍事的な援助は全体からみればごくわずかであった。しかし、国際旅団に各国から義勇兵が駆けつけたことは、反ファシズムの結束を象徴的に示すことにはなった。 また、フランコの反乱と時を同じくして、工場労働者や農民などによる革命が勃発し、地方の実権を握ったとバーネット・ボロテンは指摘している。この革命は主に無政府主義者や社労党左派の支持者によって起こったが、ボロテンによれば、人民戦線路線を取るソ連にとってこの革命は不都合なものだったので、実態を隠蔽して社会主義革命ではなく「ブルジョワ民主主義革命」の段階であると主張したという。また、人民戦線政府にとっても、革命は英仏の心証を害しかねないため、やはり言及を避けた。
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