乍王朝とは? わかりやすく解説

乍王朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 07:39 UTC 版)

十二国記の登場人物」の記事における「乍王朝」の解説

乍驍宗(さく ぎょうそう) 声 - 藤原啓治 泰王。姓名綜(ぼくそう)。元・戴国禁左将軍。委州の呀嶺出身褐色の肌に白髪真紅の瞳。人望厚く知略優れた武将として他国にまで知られた。泰麒を竦ませる程の覇気を持つ。 剣の腕前は延王と並び驕王付き添い雁国へ赴いた際、尚隆と試合をして3本の内1本を取ったことを賞賛され、驕王アニメでは延王)から剣を下賜された。 驕王から阿選と並んで重用されていたが、道義反する命を拒否して3年ほど野に下っていたことがある。この時、黄海朱氏徒弟入りして騎獣狩り方を学んでおり。軍へ復帰した後も休暇の度に黄海訪れて、自ら騶虞の「計都」を捕獲し騎獣にした。その経験から昇山の際も斎ら他の昇山者とは別行動取り僅かな手勢のみの単独行妖魔跋扈する黄海踏破し蓬山到達した蓬山斎・泰麒と共に騎獣狩り行った際、誤って饕餮巣穴入り込み饕餮跳ね飛ばされ然程怪我はなかったのだが泰麒の気を散らさないように重傷装い、泰麒の折伏成功させた。斎を始め多くの官が泰麒を無力な子供のように扱う中、蓬山女仙が「戴の者は血の気が多い」と揶揄したような苛烈な血が泰麒にも流れていると判断しており、後に泰麒が自ら人を殺傷する様子見て即座に納得していた。 頭脳明晰決断力実行力兼ね備えているものの、謙虚さ欠け、やや独善的な面がある自分性格や言動に加減ができず、自ら「手綱をうまく緩められない性分」と語る程に無理にそれをしようとする泥沼化する事を自覚している。そのため、人望は厚いが敵も多い。理想実現するため、時には苛烈強引な行為走っていた。即位後は宮中内の要職側近固め、泰麒を漣国へ行かせている間に旧勢力敵対勢力粛清排除行っていた。 反乱軍討伐のため、かつて自分一敗地を付けた轍囲のある文州出征中、琳宇(轍囲の手前の郷城付近姿を消しその後7年間に亘って行方不明になる。実際には阿選が護衛として付けた烏衡に連れ出され、函養山で襲撃され重傷負い縦坑の底に放り込まれた上、落盤起こして生き埋めにされていた。暗闇中に一人取り残されながらも王として務めである郊祀絶やさず自力脱出のための努力続け、やがて裂け目遭遇した騶虞の「羅睺」を捕らえて騎獣とし脱出する一度は阿選に捕らわれ公開処刑されそうになるものの、泰麒、文州決起した斎らの残党潜伏続けていた英章軍・臥信軍によって救出され、雁を始めとする諸国の支援受けて玉座取り戻す。 蒿里(こうり)/ 高里要(たかさと かなめ) 声 - 釘宮理恵(蒿里)、岡野浩介(高里要) 泰麒。鬣の色が鋼色の、麒麟中でも稀な麒麟であり、周囲からは麒麟としての能力が高いと思われている。 卵果実って間も無く蝕により日本流され胎果として生まれ育った10年後に延麒により発見され身に覚えのない事で祖母折檻を受けの降る庭に放り出されていた所を廉麟と汕子によって連れ戻された。その後蓬山育てられ昇山開始の報を聞いて昇山してきた驍宗を王に選び戴国へ下るが、驍宗の出征中に阿選に角を斬られ、その衝撃から無意識に鳴蝕起こして再び蓬莱へと渡り同時に十二国過ごした1年間記憶を失う。6年後、各国協力により十二国帰還するが、肉食強要や汕子・傲濫の暴走による血の穢れ、更に周囲から向けられた怨詛(怨み憎しみ等の負の感情)により、体は瀕死重体に陥っていた。西王母により病を祓われ回復した後、自分存在が慶に少なからず負担をかけていると感じ、角が再生するのを待たずに驍宗を探すためと共に戴国へ戻る。 帰還した戴では直接王宮乗り込み虚言高官混乱させた隙に自分勢力作り、民の救済と驍宗の捜索救出試みる。目的達成直前で阿選により勢力瓦解させられるが、驍宗処刑の場麒麟あるまじき「自ら剣を取り殺傷を行う」ことで驍宗の下へ駆けつけ斎らと共に驍宗を救出する殺傷行ったことによる穢瘁は再び西王母清められるが、後遺症が残ることになった幼い頃は、祖母厳しい躾により常に周囲気を遣う自虐的な性格だった。蓬莱では浮いた存在だと自覚していたため、最初蓬山への帰還の際、生家との別離すんなり受け入れて惜別の念は持っていなかったが、哀惜の念がありホームシックになる事もあった。二度帰還経た後は、一度決意した事は最後まで貫き通す強靭な意志持ち良くも悪くも強かで、戴の民らしい苛烈さを備え性格になった。 「蒿里」は蓬莱での名字をもじったもので、蓬山存在する死者が住む山(蒿里山)を「いっそ不吉縁起が良い」として驍宗が付けた字である。陽子より1歳下(蓬莱から2度目帰還時点17歳前後)だが、麒麟としての成獣年齢それより少し若い。 白汕子(はくさんし) 声 - 勝生真沙子 泰麒の女怪。女の上半身の首、豹の下半身蜥蜴の尾の姿。泰麒に対して非常に過保護。 『魔性の子』では泰麒を守ろうとするあまり理性失い些細な事でも泰麒に危害加えた者は傲濫と共に惨殺していた。 傲濫(ごうらん) 声 - うえだゆうじ 泰麒の唯一の使令種族饕餮とうてつ)。麒麟同等上の強大な力(汕子曰く「王の手に余る程の力」)を持ち、他の使令達が本能的に近付くのも恐れおののく程の強烈な妖気放つ妖魔中でも別格中の別格として扱われている。 決まった姿を持たずの子巨大な狛犬など様々な姿に変わる事ができ、普段大きな赤い犬の姿をしている。 蓬莱渡った泰麒を守る為に、汕子と共に殺戮繰り広げ、血の穢れにより妖魔の性を取り戻しかけ、結果泰麒の周囲禍々しい妖気おぞましい量の血の穢れまき散らした。しかし後の泰麒捜索の際に、この膨大な妖気穢れ手がかりとなる。 劉斎(りゅう りさい) 声 - 進藤尚美 戴国瑞州中将軍。姓名は劉紫。赤茶の髪の大柄な女性。驍宗の登極前は承州師におり、承州師の女将軍として王宮にも名が知れていた。 驍宗と同時期に昇山した1人で、騎獣飛燕を介して泰麒になつかれ、その縁で驍宗とも誼を通じる。戴国に戻った後も泰麒や驍宗からの信任篤く、驍宗登極による玉突き人事空位になった瑞州中将軍に抜擢され、驍宗の禁軍時代人脈大半占める戴国宮中にあって、阿選らと共に数少ない外様有力者として重用される。 驍宗と泰麒が行不明になり、自身反逆汚名着せられ部下切り離された後も、事実上支配者となった阿選に下ることを拒否して6年各地転々としながら宗と泰麒の探索続けた進退窮まった時、泰麒と同じ年頃で同じ蓬莱生まれ育った胎果女王が慶国に登極した噂を聞き仲間花影反対振り切って、慶王に覿面の罪生じさせてでも支援要請するため、戴国を脱出した妖魔襲われ右腕を失うも何とか慶国に到着し、彼女の懇願により各国麒麟協力して泰麒捜索始まった。 阿選の手逃れる間に地位も名誉も資産失い景王頼ろうとした際に花影と袂を分ったことで知己もすべて失い、慶国の保護下では「戴」という国以外に己の依って立つ場所を持たなくなっていた。泰麒の帰還後は泰麒さえ無事でいれば戴を救えているような気になっていたが、それでは戴の民に対す裏切りであると泰麒に諭され、泰麒と共に戴国へ帰還する。 戴で瑞雲観の道士生き残り去思出会ったことを切っ掛けに、道観中心として驍宗を捜索しながら坑夫商人などに人脈広げ、元は敵であった土匪とも協力関係を結び、遂には驍宗の救出成功する。阿選によって再び驍宗が捕らえられた後は、僅かな残党率いて悲壮な覚悟で驍宗救出に向かう。 花影(かえい) 戴国秋官長大司寇。元・藍州州宰。驍宗登極以降斎の友人でもある。穏やかで人を罰するのは苦手とするが、その性分故に佞臣粛清進める中ではむしろ公正に人を裁けると考えた驍宗によって、大司寇に抜擢された。しかし公正さを保つ為に驍宗は抜擢理由を言わなかったため、向かない仕事に気を病み職を辞す事も考えたが、花影負担大きいことに気付いた彼から経由本心聞いて職務邁進するになった。 阿選の乱後王宮脱出して放浪し斎と合流して最後まで行動を共にしていたが、騙すような形で他国支援求めようとする斎とは袂を分かつその後故郷蘭州戻り臥信合流して江州攻め協力する巌趙がんちょう) 戴国禁左将軍。巌のような巨躯驕王治世では驍宗軍の師帥で、驍宗と兄弟のような間柄だった。阿選の乱の際は鴻基にいたが、多く人質取られ身動きできず、官職自邸取り上げられ、驍宗の騎獣である計都世話役として劣悪な待遇甘んじた。泰麒の帰還後表立って行動することを躊躇っていたが、項梁出奔した際に代わって泰麒の大僕になる。 英章えいしょう) 戴国禁軍中将軍奇計奇策軍人文州叛乱の鎮圧赴くが、文州全土次から次に勃発する暴動対処しきれず、轍囲が巻き込まれる至って驍宗自らの援軍を招くことになった。阿選の謀反斎から知らされた際、いち早く全軍解散し王師六軍の中で最も勢力保ったまま潜伏する正頼せいらい) 戴国瑞州令尹であり、傅相兼任。泰麒の教育世話一手に引き受ける。驍宗配下の軍吏の中でも名うて文官少々茶目っ気もあり、時にはそれで驍宗に絞られる。阿選の乱の際に国帑(国の資産)を隠匿し、そのため出奔失敗して捕らえられ陰惨な拷問を受けるが、阿選の行動大きく削ぐことに繋がった。驍宗帰還後冢宰になるものと目されている。 霜元そうげん) 戴国瑞州左将軍巌趙ほどではないが偉丈夫で、幼い泰麒に「騎士」という言葉想起させていた。叛乱の鎮圧苦心している英章援軍として驍宗とともに文州へ赴き、阿選の乱後討伐命令拒否して軍を解散するその後誅伐逃れて辺境宗教都市・高卓に潜伏し離散した麾下兵卒密かに集めながら驍宗を探し続けていた。 臥信(がしん) 戴国瑞州右将軍英章同様に奇計奇策軍人文州の乱で驍宗が行不明になった後、連れ戻された阿選軍に代わって文州派遣される。阿選の謀叛発覚した後は2師を率い蘭州朱旌に匿われて潜伏する正頼隠匿した国帑預かっており、驍宗が救出されるまで隠し続けた楚項梁(そ こうりょう英章軍の師帥で暗器の達人。阿選の乱後英章同輩との接点失われてひとり放浪している最中江州恬県で泰麒・斎と邂逅する。その後斎と別れた泰麒の護衛として共に白圭宮入り拘束されていた正頼接触して国帑在処託され英章にそれを伝えるため出奔する静之(せいし) 臥信軍の旅帥。驍宗が昇山した際、随行した臥信従者として共に蓬山行っており、その際斎とも出会っている。阿選の乱の際、誅伐重傷負ったところを神農の習行に拾われる回復後は習行の護衛扮して仲間探し斎と出会って驍宗を探す同志になる。 基寮きりょう文州将軍。驍宗登極直後英章軍の師帥であり、驍宗の麾下達とは知己。阿選の乱の際に誅伐重傷負い、老安という僻地の里に匿われるが、傷が癒えず6年後に死亡する。老安の民に対し頑として素性明かさなかったため、一時は驍宗ではないか思われていた。 夕麗せきれい英章軍の卒長。文州で軍が解散した後、葆拾われ斎たちが葆手を結んで以降連絡役になる。兵卒としては体格膂力で劣る女性であるが故に、女ながら将軍として立身している斎に憧れ抱いている。

※この「乍王朝」の解説は、「十二国記の登場人物」の解説の一部です。
「乍王朝」を含む「十二国記の登場人物」の記事については、「十二国記の登場人物」の概要を参照ください。

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