ルーシ
ルーシ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/07 10:17 UTC 版)
ルーシとは、以下のようなものに用いられた名称である。
民族
ルーシを称した民族。
- ルーシ族 - かつてスラヴ人がノルマン人に対して用いたとされる呼称。真偽については議論がある。
- ルーシ人 - キエフ・ルーシの人民。11世紀から20世紀半ばにかけてウクライナ人とベラルーシ人の自称。ラテン語で「ルテニア人」と呼ばれる。
国名
- ルーシ:中世時代におけるキエフ大公国の正式な国号。キエフ・ルーシとも[1]。
- ルーシ:キエフ大公国のもとで誕生したキエフ大公国・チェルニーヒウ公国・ペレヤースラウ公国を中心とするリューリク朝の三国。広義でハールィチ・ヴォルィーニ大公国、ヴラジーミル大公国、ノヴゴロド共和国などの東欧の諸国を含むことがある。
- ルーシ・カガン国:8世紀後半から9世紀の半ばにかけて、現在のロシア北西部にあったとされる国家または都市国家群(仮説)。
- ロシア帝国・ロシア連邦の通称。
地名
ルーシと呼ばれた地域名。各国語については#国名参照。
- ルーシ - 本来、現代の北ウクライナのキーウ、チェルニーヒウ、ペレヤスラウを中心とする地域の名称。キエフ・ルーシの本土[2][3]。キエフ・ルーシの滅亡以降、中世後期・近世前期においてルーシ人(ウクライナ人・ベラルーシ人[4])、あるいは東スラヴ人(ウクライナ人・ベラルーシ人・ロシア人)が居住する東ヨーロッパの広地域の名称。
- 小ルーシ:ルーシの地域名。「小」は文明の中心地アテネからの距離が小さいということで、「本土のルーシ」という意味合いになる。ドイプロ川の中流域、現在のウクライナの北部・中部を指す。後には、現在のロシアと比べて「小さなウクライナ」という意味でも用いられる。
- 大ルーシ:ルーシの地域名。「大」は文明の中心地アテネからの距離が大きいということで、「辺境のルーシ」という意味合いになる。主に、現在のヨーロッパ・ロシアに当たる地域を指す。ロシアの強大化に連れ、「偉大なロシア」という意味で使用されるようになった。
- 黒ルーシ:東欧の地域名。リトアニア大公国内のノヴォグルデク県ならびにミンスク県の領域、ネマン川の上流域。現在はベラルーシの北西部。
- 白ルーシ:東欧の地域名。キエフ大公国内の領土で、キエフから北方に広がる地域にあたる。「ベラルーシ」とも。ベラルーシの語源。
- 紅ルーシ:東欧の地域名。ポーランド王国内のルーシ県の領域、あるいは旧ハールィチ・ルーシの領域。ガリツィア地方の別称。赤ルーシとも。
雅号
- ルーシ - キエフ大公国を祖国とする現代のウクライナ・ベラルーシ・ロシアの別称、あるいは雅称。
- キエフ・ルーシ - キエフ大公国のこと。本来の「ルーシ」。研究史上の人工的な用語。
- ハールィチ・ルーシ - ハールィチ・ヴォルィーニ大公国のこと。研究史上の人工的な用語。
- ヴラジーミル・ルーシ - ヴラジーミル大公国のこと。研究史上の人工的な用語。
- モスクワ・ルーシ - キエフ・ルーシの後継であることを主張したモスコーヴィヤ、モスクワ大公国の自称。研究史上の人工的な用語。
- ルーシ・ウクライナ - ウクライナがキエフ・ルーシの後継であることを主張した近代ウクライナ歴史学の概念。
言語
その他
- ルースキエ・ヴィーチャズィ(Русские Витязи) - ロシア空軍の展示飛行チーム。
- ルーシ (バラキレフ) - ロシアの作曲家、バラキレフの交響詩。
- ルーシ (貨客船) - ロシア・ウラジオストクと富山県高岡市伏木を結んだ定期船。
関連項目
脚注
- ^ ウクライナ語、ベラルーシ語、ロシア語ではРусь(ルースィ)、ラテン語ではRuthenia(ルテニア)、ギリシャ語ではΡως(ロース)またはΡωσία(ローシア)と呼ばれた。ギリシャ語名が「ロシア」の語源。
- ^ Б. А. Рыбаков ПРОИСХОЖДЕНИЕ РУСИ//Киевская Русь и русские княжества XII-XIII вв.М., 1982. (B・A・ルィーバコフ『ルーシの起源』「12-13世紀におけるキエフ・ルーシとルーシ系の諸公国」モスクワ、1982年) — с. 55-67, 73, 85-90. (ロシア語)
- ^ А.Н.Насонов. "Русская земля" и образование территории древнерусского государства. Санкт-Петербург, 2002. (A・N・ナソノフ『<ルーシの地>と古代ルーシ国家の地域の形成』サンクトペテルブルク、2002年)- Глава II. - С. 27-44. (ロシア語)
- ^ 場合によってロシア人を含むことがある。
- ^ 但し、日本語文献では中世の東スラヴ語あるいは「ルテニア語」と呼ばれるのが普通でルーシ語という呼び方はあまり用いられていない。
ルーシ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/13 14:59 UTC 版)
「CANNONBALL 〜ねこねこマシン猛レース!〜」の記事における「ルーシ」の解説
パティの実弟で、チームのメカニックの一員。従順で優しく仕事も熱心だが、姉に従属しているところがあり、自立心の弱さをパティに心配されている。
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ルーシ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 01:01 UTC 版)
東ヨーロッパのルーシにおいて「公」は「クニャージ」(князь)という呼ばれる。この称号を持つ君主は、西ヨーロッパではprinceps系統の称号と同等視されており、日本語においても公と訳すのが定訳となっている。クニャージという称号はドイツ語の「ケーニヒ」(könig)、英語の「キング」(king)と同じように古ゲルマン語圏の古ノルド語の君主を意味したコンヌング(Konnung)から来ているが、ルーシの言語では「王」を指す言葉король(カール大帝の名に由来)が別に存在している(ダヌィーロ・ロマーノヴィチ)。 現在のウクライナに当たる地域にはヴァリャーグの一族であるルーシ族を権力の中心に据えたといわれるキエフ・ルーシが建国されたが、その長であったリューリクの後継者がヴェリーキー・クニャージ(великий князь、「大公」)を名乗り、彼の一族すべてが「公」を名乗った。その後、ヤロスラフ1世賢公の後キエフ・ルーシは各「公」の独立性の強まりと内紛により事実上の分裂状態を迎えるが、この頃になるとリューリクの子孫である「公」は国中に無数にいるという状態となり、その中のごく一部の有力者が自分の「公国」を持つようになった(リューリク朝)。 当初はその中の1つであったノヴゴロド共和国では、地元貴族や市民階級の力の強まりにより「公」は選挙によって選ばれた「市長」または「代官」と訳される「ポサードニク」(посадникъ)及び議会によって他の公国から招聘される存在となった。招かれた「公」は町の外に住まわされ、権力は著しく限定されもっぱら軍事を司る「傭兵隊長」的存在、シンボル的存在となった。また、共和国内での派閥の権力の推移の度に招聘されたり追放されたりしたため、その「公」としての「任期」は短いことがほとんどであった。また、戦争に失敗した場合などもやはり追放処分を受けたが、そのときは同時にその「公」を推した「ポサードニク」らも失脚することとなり、これらは一種運命共同体であった。 13世紀半ば、モンゴル帝国の侵略によりルーシはジョチ・ウルスに隷属したが、その中でモンゴル権力に最も近付いたヴラジーミル公国が新たにモンゴル帝国より「大公」に封ぜられてルーシ地域におけるモンゴル帝国の冊封体制におけるモンゴルの代理人の役割を担った。それに対して、現在の西ウクライナにあったハールィチ・ヴォルィーニ大公国の大公たちは、「ルーシ王」の称号をローマ教皇から受け、ヨーロッパの諸国からキエフ・ルーシの後継者とみなされ、その諸国から支援をもらいジョチ・ウルスの支配体制に抵抗し、ルーシの独立を貫こうとした。 15世紀、旧キエフ公国の領土がリトアニア大公国の支配下におかれ、「公」はルーシ系の「リューリクの子孫」という古来の意味の他に、リトアニア系の「ゲディミナスの子孫」(ゲディミナス朝)という新しい意味が加わったのである。キエフを支配したリトアニア大公は「ルーシ大公」という称号を有し、16世紀にその称号をポーランドの受け継いだ。18世紀末のポーランド分割にかけてポーランド・リトアニア共和国の君主は「ポーランド王、リトアニアおよびルーシ大公」と名乗り続けた。 同時代、ウラジーミル大公国が「タタールの軛」を断ち切った後はモスクワ大公国がロシアに初めての中央集権国家として成立した。やがて、イヴァン3世が場合によって自らツァーリ(カエサルの名に由来し、キリスト教権力と東方の権力の後継者を意味する)を名乗り、次のイヴァン4世(雷帝)は「大公」の称号を廃して正式にツァーリとなった。この時点でロシアの「公」たちはツァーリに対して隷属する「勤務貴族」階層に過ぎなくなり、18世紀に正式に成立したとされるロシア帝国においては、クニャージは有力貴族に与えられる爵位称号へと変わる。これがロシア帝国の爵位3等の最上等である「公爵」である。 このように、東欧における「公」には単語は同じкнязьでも実態にはいくつかの種類があり、自称かつ血族の称号であったルーシの「公」、ルーシ崩壊後階級の称号となっていったその後の「公」とでは大きく性格が異なる。特に後者では「任命される公」であったことが重要である。西ヨーロッパでprinceps系統の称号と同等視されたのは、後者の事情に基づくものである。
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ルーシ (Lucy)
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「サイド (ガンダムシリーズ)」の記事における「ルーシ (Lucy)」の解説
小説版『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(ハイ・ストリーマー)』に台詞でのみ登場。アリョーナ・ペィジの出身地。『データガンダム キャラクター列伝』では、反地球連邦組織エグムの影響が強いとされる(「ルーシー」と表記)。
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ルーシ
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東スラヴ人のヴェーチェは、東欧のルーシ時代以前から存在した部族集会を起源としていると考えられている。東ヨーロッパの年代記に登場する早期のヴェーチェは、997年のベルゴロド公国、1016年の大ノヴゴロド、1068年のキエフにおけるものなどが挙げられる。 ヴェーチェでは、戦争や和平、法の制定、外部からの君主招聘や君主追放などを議論した。キエフでは、聖ソフィア大聖堂の前でヴェーチェが開催された。 ウクライナでは、都市でのヴィーチェ(ヴェーチェ)は単にコミュニティの成員を集めて重要事項を告知し(вiче на вiче)、近いうちの計画を議論する場であった。
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「ルーシ」の例文・使い方・用例・文例
- ルーシーは寝ています
- ルーシーは石につまずいて転んで足首をねんざした
- 「ルーシー,あなたが今話をしていた男の人はだれ」「彼は大学のときの友達よ」
- ルーシーは新しい彼に夢中になっている
- ルーシーは忙しい社交生活を送っている
- ルーシーはリボンで髪を束ねていた
- ジョッパーは通称「ブルーシティー」と呼ばれている。
- 母犬のルーシーとその子供たちの写真を取ったよ。
- この店はおいしいベラルーシ料理を出す。
- ベラルーシ語はロシア語に似ている。
- ルーシーは四ヶ月前日本に来ましたか?
- ルーシーは四ヶ月前に日本に来ましたか?
- ルーシーがあなたが何冊か面白い本を持っていると私に教えてくれました。
- 着いたと思ったとたんに、ルーシーが家へ帰りたいと泣き出した。
- 多くのアメリカ人はテレビで「アイ・ラブ・ルーシー」の再放送を観るのが好きだ。
- 申し訳ありませんが、ただいまルーシー氏は手が話せません。
- 春はルーシーが一番好きな季節だ。
- 私の犬はルーシーに世話をしてもらいました。
- 私に犬はルーシーに世話をしてもらいました。
- ルーシーは両親を幸福にした。
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