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冊封
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/12 08:16 UTC 版)
(冊封体制 から転送)
冊封(さくほう)とは、称号・任命書・印章などの授受を媒介として「天子」と近隣の諸国・諸民族の長が取り結ぶ、名目的な君臣関係(宗属関係/「宗主国」と「朝貢国」の関係)をともなう外交関係の一種。「天子」とは「天命を受けて自国一国のみならず近隣の諸国諸民族を支配・教化する使命を帯びた[要出典]君主」のこと。中国の歴代王朝の君主たちや、モンゴル帝国、ダイチン国(清朝)の君主たちが自任した。
冊封が宗主国側からの行為であるのにたいし、「朝貢国」の側は
- 「臣」の名義で「方物」(土地の産物)を献上
- 「正朔を奉ずる(「天子」の元号と天子の制定した暦を使用すること)
などを行った[1]。「方物」は元旦に行われる「元会儀礼」において展示され、「天子」の徳の高さと広がり、献上国の「天子」に対する政治的従属を示した[2]。「方物」の献上を「朝貢」といい、「朝貢」を行う使節を「朝貢使」と称する。朝貢使は指定された間隔(貢期)に指定されたルート(貢道)を通って指定された「方物」を「天子」に献上し、天子の徳をたたえる文章を提出する。これを「職貢」と称する。宗主国と朝貢国の相互関係はつづめて「封貢」と称された[3]。
- ^ 原田,2003, pp.1-3
- ^ 渡辺,1996. p.3-4
- ^ 原田,2003, pp.1-3
- ^ 岡田, 2008, pp.38-42
- ^ 岡田,1977, p.22
- ^ 岡田,1977, p.23
- ^ 岡田,1977, p.25-27
- ^ 岡田,1977, p.27-29
- ^ 渡辺,1996, pp.244-247
- ^ 呉豊培,1994, pp.1483-1485,
- ^ 呉豊培,1994, p.1529,
- ^ 呉豊培,1994, pp.1529-30
- ^ 呉豊培,1994, p.1554-55
- ^ a b 907年、唐滅亡。918年、高麗成立、936年、新羅滅亡。926年、渤海滅亡。契丹の勃興、946年、遼成立。935年、承平天慶の乱。938年、ベトナムの独立。
- ^ そのため冊封体制論は基本的に政治構造論であるが、文化論の趣きを得ることにもなる。
- ^ これを藩国と言う。
- ^ 内部の藩国を内藩国、南越・朝鮮のような外部の藩国を外藩国と呼び、朝廷に直接仕えるものを内臣、冊封を受けた君主を外臣と呼ぶ。
冊封体制に関連した本
- 亀の碑と正統―領域国家の正統主張と複数の東アジア冊封体制観 (白帝社アジア史選書) 平勢 隆郎 白帝社
- 西嶋定生東アジア史論集〈第3巻〉東アジア世界と冊封体制 西嶋 定生 岩波書店
- 海洋国家薩摩 徳永和喜 南方新社
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