ウクライナ人
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ウクライナ人(ウクライナじん、ウクライナ語: українці [ウクライィーンツィ] )は、ウクライナの主要民族である。東ヨーロッパの東スラヴ人に属し、主にウクライナ語を母語とする人が多い。
注釈
- ^ ルーシは、ラテン語では「ルテニア」と呼ばれルーシ人は「ルテニア人」、やはり外国語のギリシア語では「ルーシ」が「ロシア」、ルーシ人が「ロシア人」と呼ばれたこともあった。「ルテニア人」という呼称はカトリックの西欧諸国で用いられ、「ロシア人」という呼称は正教のギリシアで使用された。なお、現在のロシア人は当時の欧州においては「モスクワ人」と呼称され、ウクライナの「ロシア人」(ルーシ人)と区別されていた。
- ^ 「文化の中心地ギリシャからの距離の小さいルーシ」という意味。
- ^ しかし、「小ロシア」という名称が本来の意味を離れて、ロシア人によって「小日本」のような蔑称として用いられるようになったことから、現代では「小ロシア人」という名称もウクライナ人をおとしめて言うものとなっている。
- ^ 現代でもウクライナ人の半数程度がコサックを先祖に持つといわれ、そのことを誇りとして自ら「コサック」と名乗ることもある。一方、ロシア側の一部にはコサックをおとしめる風習もあるため、ウクライナ人をおとしめて「コサック」と呼ぶこともある。ただし、ロシア人がみなコサックをおとしめているわけではないがカリカチュアにおいてはしばしばウクライナ人はコサックの姿で描かれる。コサックはウクライナが発祥であり、日本人のロシアのイメージとは異なる。
- ^ 当時、欧州での国民国家の成立にともなって「ルーシ」はロシアと強く関連付けられるようになったため、ウクライナ出身の文化人は「ルーシ人」がロシア人(モスクワ人)と誤解されないように、そして同化されないように「ウクライナ人」という民族名を普及させた。それらの文化人の運動は学術的な運動から次第にウクライナ民族解放運動へ展開していった。
- ^ ウクライナをはじめとする複数の国では、この大飢饉はウクライナ人に対するジェノサイドと認定している。一方、ロシア連邦などはこれに反対しており、「当時飢饉はウクライナのみならずロシア南西部を中心とした広大な範囲で発生していた」ということを根拠に「ウクライナ人を標的としたジェノサイドではない」と主張している。ただし、歴史的にこの地域の住民はウクライナ人が多数を占めており、ロシア革命後、ウクライナ系のクバーニ人民共和国すら建国されていた。それをロシアが武力で併合した結果この地域は「ロシア南西部」となったのであり、この地域の住民への弾圧とウクライナ人への弾圧というのはロシア連邦が主張するほど決定的な違いがあるわけではない。また、この地域は白色系の南ロシアが置かれ、ウクライナと並んで反ソビエト運動が最も活発であった地域のひとつでもあった。仮に大飢饉がウクライナ人への弾圧ではなかったとしても、ウクライナ人を含む旧の反ソビエト派住民への弾圧であったという点への否定にはならない。
- ^ ウクライナ語ロシア語その他
- ^ 左図ウクライナ人ロシア人その他右図ベラルーシ人モルドバ人クリミア・タタール人ブルガリア人ハンガリー人ルーマニア人ポーランド人ユダヤ人アルメニア人ギリシャ人ドイツ人
出典
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- 1 ウクライナ人とは
- 2 ウクライナ人の概要
- 3 移民
- 4 遺伝子
ウクライナ人
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公式な統計では2009年には12万人のウクライナ人がポーランドで就業登録している。しかしこれは氷山の一角に過ぎず、後述のように正規であっても未登録だという場合もあるので正確な規模はわからない。ワルシャワ大学の調査によるとポーランド国内最大の移民グループはウクライナ人女性で、彼女たちに家計の全てを頼る家庭がウクライナには多いという。彼女たちのほとんどは家政婦や清掃婦、農産物の収穫などの単純労働に就いている。2007年にはポーランドの家庭のじつに15%がウクライナ女性を正規のメイドとして雇ったという。ウクライナ、ロシア、ベラルーシ、モルドバの4カ国の国民は6カ月を上限として、ポーランド政府からの労働許可がなくてもポーランド国内において無条件で就業することが許されている。
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ウクライナ人
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公式な統計では、2009年には12万人のウクライナ人がポーランドで就業登録している。しかしこれは氷山の一角に過ぎず、後述のように正規であっても未登録だという場合もあるため正確な規模は分からない。ワルシャワ大学の調査によるとポーランド国内最大の移民グループはウクライナ人女性で、彼女たちに家計のすべてを頼る家庭がウクライナには多いという。彼女たちのほとんどは家政婦や清掃婦、農産物の収穫などの単純労働に就いている。2007年にはポーランドの家庭の15%がウクライナ女性を正規のメイドとして雇ったという。ウクライナ、ロシア、ベラルーシ、モルドバの4か国の国民は6か月を上限として、ポーランド政府からの労働許可がなくてもポーランド国内において無条件・無登録で就業することが許されている。2013年には、17万人のウクライナ人が就労目的で1年未満滞在し、永住は633人。 ポーランドが近々ロシアのカリーニングラード州から、ロシア人の入国に対しビザなし渡航を許可することをEUが懸念している。イギリスのテレグラフ新聞によると、EU条例に反し、ロシア人をビザなしで入国許可することで、国境検査が撤廃されたシェンゲン協定他国地域へもロシア人の不法入国や不法移民、不法就労が増加し、そしてロシアなどからの格安タバコの密輸により、EUは税金約85億ポンドを損失する。一方ポーランドは、以前からウクライナに対し全面的なビザなし渡航許可をしている。ポーランド政府は「これによってウクライナからの密輸やウクライナ人による犯罪行為や違法就労がポーランド国内で増加したのは小規模でローカルだ。ビザなし渡航を許可しただけで犯罪が増えることはない。彼らが行う犯罪はせいぜいズボンにロシアのウォッカを隠し持って密輸するぐらいのことであり、ましてやこのビザなし渡航実施によるロンドンやパリへの悪影響など微々たるものだ」と主張した。
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