黄金の夜明け団 団員

黄金の夜明け団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 05:56 UTC 版)

団員

教団は小規模で、100人以下の時もあり、400名を超えることはなかった[10]、団員は主に中産階級で、俳優、芸術家、聖職者、医師、政治活動家、作家など様々な職業の人々がいた[7]。教団と派生団体には著名人も所属していた[10]

背景

ダルトン極小期の寒冷化が1830年頃に収束して温暖化に転じたことで、1840年代後半には食料危機の状況が解決し、1870年代にかけて30年間、産業革命の時代、高度成長の時代にあり、イギリスは「世界の工場」として繁栄を謳歌し、資本主義のもとで産業構造が大きく変化し劇的に都市化が進んだ[17][18]。しかし、1873年から1893年の20年間は寒冷化し(低体温症でロンドンで数百名が死亡したほどだった)、またアメリカやドイツといった新興工業国の猛烈な追い上げにあい、輸出は低迷、イギリスは1970年代から長期の経済恐慌となり、それまでの資本主義における自由放任主義経済への確信、無限の成長と富の蓄積の幻想は崩れ、都市には失業者があふれ、新しい社会を構築しようとする革命的運動が次々と生まれた[17][18]

多くのヴィクトリア朝の人々は本質的に、科学によって与えられた乾いた唯物論や合理主義、マックス・ウェーバープロテスタンティズム、合理主義、科学、資本主義の台頭の中に見出した「世界への幻滅」以上の何かへの信仰を求め、必要としており、 オカルトがそれに応える形になった[14]薔薇十字団、ユダヤ神秘主義のカバラ思想、ヘルメス思想や、アジアの仏教ヒンズー教等は、オカルト思想としてキリスト教の代わりに、あるいは西洋文明から逃避したい人々の避難所となっていた[19]

近代オカルティズムの一部として

近代オカルティズムの発明

科学と「進歩」が西洋の正統派宗教であったキリスト教の信用を失墜させたと言うなら、古代の神秘、抑圧された異端、不可思議な現象、禁じられた習俗は、真理に至る別の道を指し示すように見えた[14]。儀式とは、世界を重層構造で捉え、各層は境界があるが浸透し合う連続体であると考え、上と下(マクロコスモスとミクロコスモス)とは形相の同一性によって照応し合っているとして、この形相の同一性を行為で表現したものであるが[注 3]、近世以降にフリーメーソン等の秘密結社運動が活発になったことで、秘密の入社式(イニシエーション)が魔術概念の身体的表現ともみなされるようになり、パリやロンドン等の都市に集まった芸術家や知識人(ボヘミアン)たちは、この儀式魔術(ritual magic)に注目した[20]

歴史家のアレックス・オーウェンは、ヴィクトリア朝のオカルトへの関心は、伝統的な宗教的信仰に対する科学的挑戦の結果であり、その挑戦に対する反動でもあったと主張している[14]。 著作家・研究者のジュールス・エヴァンスは、ブラヴァツキーと彼女が設立した神智学協会と並び、黄金の夜明け団は近代オカルティズムを発明したと言えるだろうと述べている[10]。教団の秘儀は、古代の叡智に立ち返りつつも、心理学や心霊研究の新しいアイデアや、脚色されスピリチュアル化された進化論も取り入れており、人生の意義は魂の進化であると教え、人類の霊的進化を促進しようとした[10]。進歩という信仰への懐疑が深まっていた当時において、オカルティズムの流行は、異教(キリスト教以外またはキリスト教以前の宗教)や古代の伝統や知恵を研究することで現代の科学的・哲学的ジレンマに答えようとする試みであり、黄金の夜明け団も神智学協会も、社会からのはみ出し者でも追放者でもなかった[12]

団員は潜在意識を探求し、超意識を開くことで、高次の霊的知性との接触を図る[10]。ジュールス・エヴァンスは、この点で19世紀末のオカルティズムは、現代のヒューマン・ポテンシャル運動の始祖であると述べている[10]

錬金術(ヘルメス主義)

1850年に、イギリスのメアリー・アン・サウス英語版(結婚後メアリー・アン・アトウッド)という比較的若い女性が匿名で、『ヘルメス神秘への示唆的探求(A Suggestive Inquiry into the Hermetic Mystery)』を出版した[21]。これはヴィクトリア朝時代のオカルト・リバイバルを背景とする第二次錬金術リバイバルを代表する著作で、錬金術というものの認識を大幅に変化させた[21]

彼女の父トーマス・サウスは、裕福な紳士、学者で、人間を現在の不完全な状態から霊的に完全で統一された状態へと正す方法の解明に興味を持ち、特にヘルメス主義に惹きつけられており、メアリー・アン・サウスは父の優れた蔵書を読んで育ち、興味関心を共有し研究を行った[22]。錬金術では16 - 18世紀にかけて鉛を金に変えることが試みられていたが、19世紀にはこれが不可能であることが知られ、学問としての錬金術はより霊的・精神的な傾向を帯びるようになった[23]。錬金術の研究者たちは、人類・魂・宇宙の関係を研究するようになり、外界や社会の影響から魂を遠ざけ、神が創造した原初の状態にまで魂を高めようと探求した[23]。この錬金術の一派がヘルメス主義として知られている[23]。本書は、現代に流行した錬金術の霊的・精神的な解釈を体系的に説いた最初の著作のひとつであり、メアリー・アン・サウスは本書で、古来の錬金術書に隠されている錬金術の真の意味と実践を父と共に発見したと主張した[21]

彼女は、化学操作を扱う顕教的な(物質的)錬金術と、錬金術師自らの霊的な転身を目指す密教的な(霊的・精神的)錬金術という2種類があるとした[21]。この分類は広く普及したが、19世紀後半に流行したオカルト思想に基づいており、科学史家は、18世紀までに行われていた錬金術(キミア)の実態とは異なると指摘している[21]

父が出版後に内容を確認し、錬金術の秘密が顕かにされていると考え、世に出た書籍の大部分を回収して焼き捨てたが、神智学や黄金の夜明け団に影響を与えた小説家のエドワード・ブルワー=リットン等、わずかに人手に残された[21][23][24]

メアリー・アン・サウスは錬金術協会を脱退し結婚して静かに暮らしたが、1885年に夫が死去すると以前より活動的になり、神智学協会のペイシェンス・シネットや黄金の夜明け団のアーサー・エドワード・ウェイト等、幾人かのロンドンのオカルティストと『ヘルメス神秘への示唆的探求』を共有し(ほとんどは神智学協会の関係者)、彼らは本書を高く評価した[25][23][26]。生前本書の再版を許可することはなく、彼女の死後、友人で神智学協会・黄金の夜明け団のメンバーだったイザベル・ド・スタイガー英語版が1918年に再販した[23]

19世紀半ばの錬金術の理解はオカルト的なものであり、錬金術で行われるのは物質的な変換ではなく、主に霊的・精神的な変換であるとされた[27]。同書が説いた霊的・精神的、オカルト的な錬金術観が、現在の通俗的な錬金術像を決定づけている[21]

神智学

神智学は1860年から1890年頃に隆盛した中産階級を中心とする心霊主義運動の一派であり、1880年代に黄金の夜明け団が結成される大きな触媒となった[7]。初期団員の大部分は神智学協会の会員だった[7][5]

心霊主義

世紀末ロンドンでは1860年から、1870年をピークとして世紀末にかけて心霊主義運動が大流行した[17]心霊主義運動は、菜食主義禁酒労働者階級の権利など、さまざまな社会的大義を公に支持し、また霊界の存在の科学的証拠を見つけようと真剣に努力した点で、同団のオカルト的伝統とは異なっていたが、両方の活動に参加している人も多く、その違いは程度問題であるとも言える[7]

モイナ・メイザース
フロレンス・ファー
異教(多神教)リバイバル

創始者の一人メイザースの妻で芸術家のモイナ・メイザース英語版(フランスの哲学者アンリ・ベルクソン[注 4]の妹のミナ・ベルクソン[11][7]と、女優でフェミニストのフロレンス・ファー[7]という二人の指導者は、ロンドンの退廃的なコミュニティとニュー・ウーマンの政治の両方に関わっており、異教リバイバル[注 5]において最も影響力のあるオカルティストでもあった[28]。2人は人間を中心に測られてきた世界の尺度を、オカルト的生態系の中の儚い自己という理解に置き換えた生態学的モデルを開発した[28]

社会主義運動

寒冷化等による経済恐慌と無限の経済成長という幻想の喪失の中、新しい社会を構築しようとする革命的運動生まれ、1884年には社会改良主義フェビアン協会[注 6]の社会主義団体が誕生し、彼らは資本主義自由放任主義を批判し、崩壊した共同体の再生、生産や富の国有化、国民生活の質の向上を訴えた[17]。この動きを理念面で支えたのが、1870年から1910年に隆盛したオックスフォード大学のトーマス・ヒル・グリーンを中心としたドイツ観念論哲学に基づいた自由主義運動イギリス理想主義運動で、個人主義、自由主義、功利主義を否定し、集団主義を提示[17]。その社会理念は道徳的有機体であり、グリーンは道徳と政治を直接接続し、この時代の社会改革運動はユートピアに近い観念論的な社会主義思想が流行した[17]

黄金の夜明け団の思想は、実証主義科学、技術革新、フェビアニズムなどの新しい政治運動の目的と部分的に合致している[7]荒俣宏は、「総じて19世紀の魔術復活は既成社会の腐敗と混乱とに対抗した一種の退行的ユートピズムとみることもでき、その表現として儀式魔術が恰好の媒体となったと考えられる。」と述べている[20]。独自の秘密の知識で身を固めたエリート達が支配する計画的で綿密に規制されたユートピアという共産主義のビジョンは、黄金の夜明け団の魔術師たちが思い描いたものを世俗化したものだという見方もある[14]

デカダン

アレックス・オーウェンは、ヴィクトリア朝後期のオカルティズムは、一部の社会主義的伝統や近代西洋社会の合理化された要素と同じように、反権威主義、反道徳主義悪魔主義、病的趣味など反既成を特徴とする世紀末ヨーロッパの芸術の傾向デカダンシャルル・ボードレールの近代性に多くを負っていたと指摘しており、団員として知られているフロレンス・ファー、イーディス・ネズビットアーサー・マッケンウィリアム・シャープは、デカダンやフェミニストの作品で知られる出版者ジョン・レーン英語版のキーノート・シリーズに寄稿している[7][30]

近代オカルティズムの出版ブームとネットワーク

1880年代の誕生から1890年代が影響力のピークであったが、当時のイギリスでは、オカルト、異教リバイバル、心霊主義の人や団体にとって重要な問題を扱う雑誌、論説、パンフレット、ニュースレターの出版がブームになっていた[7]。同団は、ただ秘教への興味を満たすものというより、魔術やオカルトだけでなく、科学や心霊主義について意見を交わし、それを変化させる言説コミュニティであり、活気あるネットワークへの貢献者だった[7]

近代の「脱魔術化」の一部として

研究者の浜野志保は、「魔術の伝統をそのまま継承するのではなく、いくつもの伝統の中から新たな伝統を発明したという点において、黄金の夜明け団の教義は、きわめて十九世紀的な『進歩と進化という概念を、綜合という形で具現化した』ものである。さらに、そのようなプロセスを経て生み出された教義の継承が、“中流階級”の拡張と共に勢力を伸ばした文字メディアを介して行われたという点にも、ヴィクトリア朝という時代の色が濃厚に現われる。」と指摘している[2]。近年の研究では、黄金の夜明け団のような「近代オカルティズム」は、「近代化」「脱魔術化英語版」の流れに逆らうものではなく、むしろそのプロセスの一部で、「脱魔術化」を含む近代精神の産物であるという見方が増えている[2]

特徴

男女平等

教団での実践の男女平等は、当時かなり進歩的な姿勢であったが、ヘレナ・P・ブラヴァツキー神智学と同様である[7]。メイザースが、神智学徒だったアンナ・キングスフォードとパートナーのエドワード・メイトランド英語版の影響を受け、教団内の立場の男女平等を強く主張し実現した[31]。団員の多くは男性だったが、「ニュー・ウーマン」と呼ばれる型破りな女性の比率が高く[11]、教団の勢いは主に、男女平等により集まった女性達の努力によるものだった[7]

シンクレティズムによる伝統の発明

当時の西洋は世俗化が進み、科学的な自然観が普及していった時代であり、メイザースら創設者たちは、新たな体系を一から作るのではなく、複数の伝統を(団員だった詩人のイェイツの言葉を借りれば)「綜合(synthesize)」し、近代的な魔術体系を作り上げ、自分たちの教義に正統性を与えようとした[2][5]。この過程をイェイツは「伝統の発明(the invention of tradition)」と呼んでいる[2]。19世紀半ばには、創設者たちが所属していたメイソン薔薇十字の中には、エジプト魔術や東洋哲学の要素が加わっており、黄金の夜明け団の教義は、カバラやフリーメイソン、薔薇十字、エジプト魔術、東洋哲学、グリモワール(魔術書)など秘教のそれぞれの伝統に依拠しながらも、それらを近代的な解釈のもとに綜合し、新たな象徴体系として構築するというものであった[2]。教義は秘教的な象徴主義に満ちており、カバラの思想を中心に、様々な要素が「綜合」され、独自の体系が形成されている[2]

このような綜合的な象徴体系の成立には、「魔術的および錬金術的伝統、タロー(タロット)解釈、それにほとんど知らないヘブル・カバラをロマン主義化した」フランスの魔術作家エリファス・レヴィの影響が強く見られる[2]

英国王立芸術大学のジェームス・マシンは、団員だったイギリスのホラー小説超自然的フィクションの小説家アーサー・マッケンが、同団の思想が最近生み出されたものである証拠として、明らかに近代的なシンクレティズムが見られることを特に指摘したことを挙げている[32]。近代的なシンクレティズムは1880年代以降の考え方そのものであり、古代はもちろん、19世紀初頭にも存在しないという[32]

カジュアルな気軽さ

ライヤーソン大学のデニス・デニソフは、同団の興隆において最も興味深いのは、「その秘密ではなく、団員含む多くのヴィクトリア朝人が、カジュアルな気軽さともいえる心構えで、教団とその関心を自身の人生に取り入れていたことである。」と評している[7]

エリート主義

すべての文化的、霊的・精神的成長を担うごく少数のエリートが存在するというニーチェのアイデアを受け入れており、公然とエリート主義組織だった[10]。団員になるということは、霊的な進化におけるエリートの一員になることだった[10]アレイスター・クロウリーの弟子で、後に黄金の夜明けの魔術に関する一般的な解説書を著したイスラエル・リガルディーは晩年、黄金の夜明け団はエリート主義的なシステムだと言え、団員は全盛期でもイングランドでせいぜい250人程度だったろうが、教団は進化を自らの手で行おうとする少数の人々のためのものだったと述べている[10]

この秘密のエリート組織は、神智学協会と同様、特に富裕層と教養ある中産階級にアピールした[10]。アレックス・オーウェンは、オカルト組織は「紳士の会員制クラブ英語版を思わせる、明らかにブルジョア的な雰囲気があった。オカルトは特に、クロウリーやイェイツ、あるいは自らを「グレンストレ伯爵」と呼んだメイザースのような、貴族気取りで肩書きや格式を好む中流階級の俗物たちにアピールした。」と書いており[10]、一時入団したモード・ゴン英語版は団員を「英国中産階級の愚鈍のエッセンス(very essence of middle-class dullness)」と評した[33][7]。オカルティストたちは権力、正確には政治的権力ではなく(政治的権力と関わる者もいたが)、宇宙的権力(cosmic power)に興味を持っていた[14]

ジュールス・エヴァンスは、進化論的スピリチュアリティの集団的ナルシシズムへの傾向は、階級的な特権意識と重なると述べ、黄金の夜明け団、神智学協会、心霊研究協会のような大戦前のスピリチュアル・ムーブメントは、上流階級や中流階級の裕福で教養のある信奉者を引きつける傾向があり、彼らは自分たちを、都市の労働者階級よりも進化した存在とみなす傾向があったと指摘している[34]。大戦後のヒューマン・ポテンシャル運動にも、スピリチュアルなナルシシズムと階級的な特権意識という同様の傾向が見られるという[34]

進化論的オカルティズム

同団の「魔術活動の偉大な目的」は、「人間と神性の一致」であり、魔術が最終的に為そうとしたことは、人間を、あるいは少なくとも一部の人間を神に変容させることだった[14]。19世紀末から20世紀初頭にかけてのスピリチュアル・ムーブメントは、進化したエリートと、そのはるか下にいる隷属的な大衆という、自然界における精神的・生物学的なヒエラルキーという見解を共有しており、団員の多くはこの見解を持っていた[34]。1880年代から1920年代当時には、人類が集合的に神性(超人)へと移行する、輝かしい新時代の幕開けへの期待が見られ、同団は、自分たちがこの人類進化の助産師であり、「(神性という)未知の地へ橋を架ける技術者」であると信じていた[10]。ジュールス・エヴァンスは、この使命の中心は、信奉者たちが性魔術を使って、人類という種のために上級の魂を子孫に注ぎ込むことだったと述べている[10]。人間の本性を(黄金に喩えられる)神性に変換することを目指す錬金術のような「人間を神聖な状態にまで『霊的』に高める」、「『完璧な人間」を創造する」という試みは、遅かれ早かれセックスに関わるものであるが、同団はフリーメーソンと異なり女性の参入を認めており、アレクシス・オーウェンは、指導者の一部の人が性魔術を密かに実践していた可能性を示している[14]。教団は、占星術師アラン・レオ英語版の『A Thousand and One Notable Nativities:The Astrologer’s “Who’s Who”(非常に多くの名士の誕生時の天宮図: 占星術名士録』という本を推奨しており、これは優秀な子どもを生むために最良の占星術的条件について書かれた、オカルト優生学的なガイド本だった[10]

アーサー・マッケン
アルジャーノン・ブラックウッド

アレイスター・クロウリーウィリアム・バトラー・イェイツフロレンス・ファー英語版イザベル・ド・スタイガー英語版ダイアン・フォーチュンアルジャーノン・ブラックウッドなど、同団または後続団体のメンバーの多くは、強弱はあれど何らかの形で優生学を支持した[10]

内部対立

霊的・精神的で魔術的な啓蒙という創設目的にもかかわらず、教団は内部対立に悩まされた[5]。教団内での位階が高いアデプトは皆強い独立心を持つ傾向があり、そのためアデプトが増えると必然的に、教団内では対立が起こった[1]。団内の諍いの積み重ねと、教団がスキャンダルに巻き込まれ社会的面目を失ったこと等から分裂し、黄金の夜明け団という組織自体は終了した[31]


注釈

  1. ^ 江口之隆は「マサース」、ヘイズ中村は「マザース」、吉村正和は「マザーズ」とカナ表記している。
  2. ^ 原語はラテン語で「Ordo Rosae Rubeae et Aureae Crucis (R. R. et A. C.)」。「紅い薔薇と黄金の十字の教団」の意。澁澤龍彦は「紅薔薇黄金十字」[8]、江口之隆は「ルビーの薔薇と金の十字架」団と翻訳[9]
  3. ^ 一方、この形相の同一性を物質で表現したものが象徴である[20]
  4. ^ アレックス・オーウェンは、生気主義のアンリ・ベルクソンはオカルトには興味を持っていなかったが、彼の哲学と当時のオカルティストたちの世界観が、部分的に類似していることを指摘している[14]
  5. ^ 異教はフェミニストの自己実現の場ともなった[28]
  6. ^ 1884年に社会民主連盟英語版が設立、1885年にはラファエル前派の詩人でアーツ・アンド・クラフツ運動の芸術家ウィリアム・モリスが社会民主連盟から脱退して社会主義同盟英語版を設立した[29]
  7. ^ 英国薔薇十字協会は、秘教的な事柄に関心をもつ少数のフリーメイソン(フリーメイソンリーの会員)によって1866年に結成された[35]。メイソンのみで構成された団体ではあるが、フリーメイソン組織ではなく[36]、メイソンリーに付属する秘教研究会のような存在であった(黄金の夜明け団とは異なり、魔術は研究対象ではなかった)[37]。1870年代から1880年代にかけて、同協会ではいくつかの儀式や、カバラやフリーメイソンの象徴性についての講義などが行われていた[38]
  8. ^ 黄金の夜明け団の「神殿(: temple)」は一般にテンプルと和訳される。フリーメイソンリーなどでいうロッジの代替名である[40]。ロッジはメイソンリーを構成する組織的ユニットであり、第1に「特定の集会所に属する会員で構成される組織」、第2に「その構成員が集会を催す会場(建物)」という2つの意味を併せもつ[41]。元来は建築に従事する石工の設営する仮小屋を指したが、メイソンリーにおいては組織や会合を指す抽象的概念となり、また、その集会所はメイソンリーにとって重要なソロモン神殿の象徴ともみなされた[42]
  9. ^ アンナ・キングスフォードは1884年にヘルメス協会を設立し、東洋の霊性に焦点を当てていた神智学協会と異なり、ヨーロッパの秘教伝統に取り組んでおり、黄金の夜明け団の明らかな先駆者である[7]
  10. ^ すぐに階級を上げたが、短期間で退団[7]
  11. ^ 子どもを病気で亡くし失意のどん底にあったモード・ゴンは、交霊会やヴィジョン、あやしげな超能力者に救いを求め、心配した友人のウィリアム・バトラー・イェイツに説得され入団した[33]。しかし、彼女にとって教団の儀式は興ざめで、会員のほとんどは中産階級の俗さそのものにしか見えず、短期間で退会した[33]
  12. ^ ジュールス・エヴァンスは、メイザースとモイナは性魔術のパートナーであると述べている[10]
  13. ^ ヴィクトリア朝はモラルが厳しく、ホモセクシャルダーウィン進化論から派生した人種退行理論(変質論)と結びつき、イギリス人の男性性を損なうものとしてヴィクトリア朝後期の最大の禁忌となっており、排斥の機運が強かった[51]
  14. ^ 「真の自己」を指す造語[58]
  15. ^ ファーは退団後に神智学協会でエジプトの宗教の研究を行ったが、神智学の神聖なる両性具有という考えとは異なり、神聖なる女性原理を主張し、優生学的フェミニズム英語版のオカルティズムを展開した[60]
  16. ^ 『デューン』に登場する主人公の母レディ・ジェシカは、ベネ・ゲセリットのメンバーである[10]

出典

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