黄金の夜明け団 概要

黄金の夜明け団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 05:56 UTC 版)

概要

黄金の夜明け団は、19世紀末のイギリス、安価な印刷物の魔術書が世界中に出回るようになったヴィクトリア朝時代の1888年にロンドンに設立された近代的な魔術結社で[2][3][5]、近現代の西洋魔術の思想信仰と実践に強い影響を与えた[6]。独自の象徴主義ロマン主義以降の空気と共鳴し、もしくは科学的な客観性を重視する世相に逆らい、中産階級の参加者を集め、詩人・劇作家のイェイツ等の同時代の芸術家たちも惹きつけられた[2]。人気と影響力は1890年代にピークに達し、その後内紛により消滅した[7]

創設者

創設者のウィリアム・ロバート・ウッドマン英語版ウィリアム・ウィン・ウェストコットマグレガー・メイザース[注 1]の三人はフリーメイソンで、メイソン系の薔薇十字団体の英国薔薇十字協会英語版の会員であった。

組織構造

同団は厳格な階級組織で[1]、組織の階層構造と通過儀礼はフリーメイソンの組織原則に基づいていた[3]。建前上、三つの団(オーダー)による階層構造をなしており、第一団の「黄金の夜明け」は一般団員用で秘教的な知識と自己の成長に焦点を当てており、第二団の「紅薔薇黄金十字」[注 2]は幹部団員専用でより高度な魔法の実践を探求し、第三団は世界を導く神秘的な存在秘密の首領らが在籍する霊的団体とされた[5]。この三層の総称として黄金の夜明け団と呼ばれる。団員はフリーメイソンに限定されず、女性が男性と平等に実践に参加することを認め、補職と待遇に性差での区別を付けなかった。秘密結社であり、入団は一般に開かれておらず、招待制だった[10]

体系

同団の儀式は元々、亡くなった英国薔薇十字協会員の論文にあったフリーメーソンの五つの等級に基づいている[6]。ウェストコットはより完全なオカルト体系を作り上げるために、その資料を発展させるようメイザースに依頼した[6]。メイザースは新しい儀式体系の作成に取り組み、その基礎としてユダヤ教カバラ生命の樹を選び、10のセフィロト英語版(または意識のレベル)を様々な儀式の等級の基礎として用いた[6]

体系には、タロットや占星術のような占いの儀式と、超自然的な存在との交信を目的とした儀式魔術が組み込まれた[5]。創設者たちは、これらの儀式の研究と実践を通じた、霊的・精神的な向上と魔術哲学のためのカリキュラムを構築しようとした[5]。「ケルト」を自称するメイザースが中心となり、カバラ錬金術占星術タロットヘルメス主義新プラトン主義等の膨大な資料から体系をまとめ上げた[11][10]

目的

教団自ら定義した目的は、自然魔術を通じて個人と異界との関わりを強化することで、それは初期の心理学に似た論理で機能した[7]。教団は、人生の意義は魂が進化することにあると説いた[10]。研究者のスーザン・ジョンストン・グラフは、「イニシエーションアデプトは、人間が霊性を進化英語版させるための手段であった。〔…〕黄金の夜明け団の崇高な役目は、個々人への働きかけを通して人類の進化を促進することだった」、と説明している[10]。団員は、催眠術、自己暗示、視覚化、呼吸法、ヨーガ、その他のテクニックや儀式を使って自己の意識を拡大することを目指した[10][12]。団への参加の際には、「より高次で神聖な己の天性と己自身を一体化する」ことを誓う[10]

団員は主に、自己の精神的成長の実現のための魔術哲学と伝統的な儀式の実践に関心を持っており、その目的には、ヴィクトリア朝時代に流行した自己啓発の教えが反映されている[5][7]。団員は、礼拝ではなく、自然魔術によってより高次の霊的存在に到るため、象徴と儀式についての学問的研究を行うよう促された[7]

学習と実践

団員は魔術儀式を実践し、ルネッサンス様式の神秘的な錬金術やカバラ、占星術、タロット、ジオマンシー(土占い)に打ち込んだ[3][2]。同団にとって魔術とは、普遍的な意志(universal will)に従って意識または物質的世界に変容を引き起こすための方法論を実践することだった[5]。団員にとって、「意志」という言葉は特別な意味を持っていた[7]

中世ヨーロッパ世界では自然魔術は自然哲学の一分野であり、魔術とは、自然の事物の(熱や音、香りといった感覚で感じ取れる明白な性質ではない、例えば磁力・海の干満等の)「隠された性質」と事物同士の結びつきを探求し、その効果を探し出し、制御し、実用的な目的のために操作することだった[13]。自然魔術が働きかける対象は自然の事物だったが、歴史家のロナルド・ハットン英語版は、同団の魔術(近代魔術)の「それぞれの操作の対象であり中心は今や魔術師その人であり、目的は、想像力を燃え立たせ、変性意識状態へのアクセスを提供し、意志力を強化し集中させることによって、彼又は彼女を精神的成熟と潜在能力に接近させることだった」と述べており、自然の事物の操作ではなく人間の心理の操作となっている[5][7]。団員は異界の存在を呼び出したが、特定の神々への崇拝や生贄に重きを置いていたわけではなく、人間が完全に霊的な存在として成長するために、そのような召喚を用いた[7]。同様に、メスメリズム催眠術のような心霊主義者の間で流行していた修行も強く薦めなかった[7]

第二団(内陣)で理解されていた魔術は、アデプト(成就者)が神聖な古代の技法と(マクロコスモスとミクロコスモスの)照応関係の知識を用いることで、この世界を超えた世界と対話し、宇宙の目に見えない力を支配することができるという信念に基づいていた[14]

団員は写本や近代の印刷物を読んで魔術について学び、古代エジプトヘレニズム世界について考古学的発見で解明されたことも付け加えられた[3]口伝によって教義が伝承される昔ながらの魔術と異なり、教義の伝達には文書や書物などの文字メディアが使われた[2]。団員は文字メディアでの学習で知識を得るため、ある程度高い教育を受けている必要があった[2]。文字メディアの利用は、かつては小サークル中に閉じ込められていた魔術の知識を、教育を受けた中流階級に広く開くという面があった[2]

各地の神殿

1896年までには、イングランドウェストン・スーパーメア区ブラッドフォード市スコットランドエディンバラフランスパリにも神殿(テンプル)が設立された[6]

創設神話の捏造

教団は、17世紀初期ドイツに起こった薔薇十字団もその神話と儀式の拠り所としており、ウェスコットが用意した偽史と、彼に権威を与えるために捏造された、架空のドイツ人アデプトからの一連の手紙によって正当性を主張した[11][15]

魔術書の出版とその影響

団員や関係者が出版した魔術書は、現代に至るまで、西洋世界の多くの芸術家、音楽家、作家、映画製作者の想像力を刺激した[3]。後続団体が儀礼と教えを公に出版したことで、主にアメリカで後継者を名乗る多くの団体が創設された[16]


注釈

  1. ^ 江口之隆は「マサース」、ヘイズ中村は「マザース」、吉村正和は「マザーズ」とカナ表記している。
  2. ^ 原語はラテン語で「Ordo Rosae Rubeae et Aureae Crucis (R. R. et A. C.)」。「紅い薔薇と黄金の十字の教団」の意。澁澤龍彦は「紅薔薇黄金十字」[8]、江口之隆は「ルビーの薔薇と金の十字架」団と翻訳[9]
  3. ^ 一方、この形相の同一性を物質で表現したものが象徴である[20]
  4. ^ アレックス・オーウェンは、生気主義のアンリ・ベルクソンはオカルトには興味を持っていなかったが、彼の哲学と当時のオカルティストたちの世界観が、部分的に類似していることを指摘している[14]
  5. ^ 異教はフェミニストの自己実現の場ともなった[28]
  6. ^ 1884年に社会民主連盟英語版が設立、1885年にはラファエル前派の詩人でアーツ・アンド・クラフツ運動の芸術家ウィリアム・モリスが社会民主連盟から脱退して社会主義同盟英語版を設立した[29]
  7. ^ 英国薔薇十字協会は、秘教的な事柄に関心をもつ少数のフリーメイソン(フリーメイソンリーの会員)によって1866年に結成された[35]。メイソンのみで構成された団体ではあるが、フリーメイソン組織ではなく[36]、メイソンリーに付属する秘教研究会のような存在であった(黄金の夜明け団とは異なり、魔術は研究対象ではなかった)[37]。1870年代から1880年代にかけて、同協会ではいくつかの儀式や、カバラやフリーメイソンの象徴性についての講義などが行われていた[38]
  8. ^ 黄金の夜明け団の「神殿(: temple)」は一般にテンプルと和訳される。フリーメイソンリーなどでいうロッジの代替名である[40]。ロッジはメイソンリーを構成する組織的ユニットであり、第1に「特定の集会所に属する会員で構成される組織」、第2に「その構成員が集会を催す会場(建物)」という2つの意味を併せもつ[41]。元来は建築に従事する石工の設営する仮小屋を指したが、メイソンリーにおいては組織や会合を指す抽象的概念となり、また、その集会所はメイソンリーにとって重要なソロモン神殿の象徴ともみなされた[42]
  9. ^ アンナ・キングスフォードは1884年にヘルメス協会を設立し、東洋の霊性に焦点を当てていた神智学協会と異なり、ヨーロッパの秘教伝統に取り組んでおり、黄金の夜明け団の明らかな先駆者である[7]
  10. ^ すぐに階級を上げたが、短期間で退団[7]
  11. ^ 子どもを病気で亡くし失意のどん底にあったモード・ゴンは、交霊会やヴィジョン、あやしげな超能力者に救いを求め、心配した友人のウィリアム・バトラー・イェイツに説得され入団した[33]。しかし、彼女にとって教団の儀式は興ざめで、会員のほとんどは中産階級の俗さそのものにしか見えず、短期間で退会した[33]
  12. ^ ジュールス・エヴァンスは、メイザースとモイナは性魔術のパートナーであると述べている[10]
  13. ^ ヴィクトリア朝はモラルが厳しく、ホモセクシャルダーウィン進化論から派生した人種退行理論(変質論)と結びつき、イギリス人の男性性を損なうものとしてヴィクトリア朝後期の最大の禁忌となっており、排斥の機運が強かった[51]
  14. ^ 「真の自己」を指す造語[58]
  15. ^ ファーは退団後に神智学協会でエジプトの宗教の研究を行ったが、神智学の神聖なる両性具有という考えとは異なり、神聖なる女性原理を主張し、優生学的フェミニズム英語版のオカルティズムを展開した[60]
  16. ^ 『デューン』に登場する主人公の母レディ・ジェシカは、ベネ・ゲセリットのメンバーである[10]

出典

  1. ^ a b c d e f Gillbert 2009, pp. 448–449.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 浜野 2012.
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  43. ^ 吉村 2013, pp. 63–64.
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  53. ^ a b c Christopher Sharrock (2020年1月24日). “The Order Of The Crystal Sea, and The Return Of Christ”. medium. 2024年5月21日閲覧。
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  67. ^ William Butler Yeats”. Britannica. 2024年5月19日閲覧。
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