神殿の開設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 16:58 UTC 版)
1888年3月1日に最初の運営施設となる「イシス・ウラニア神殿」が英国ロンドンに開かれた。続けて年内にサマセット州のウェストン・スーパーメア区に「オシリス神殿」が、ウェストヨークシャー州のブラッドフォード市にも「ホルス神殿」が開設された。さらに主要団員のジョン・ウィリアム・ブロディ=イネス(英語版)が英国エディンバラに「アメン・ラー神殿」を設立した。1892年にメイザースはロンドンを離れて仏国パリに移住し、そこで「アハトル神殿」を立ち上げた。またアメリカからの参入者も増えたので[要出典]1900年までに「トート・ヘルメス神殿」など複数の支部がアメリカに設置された。こちらでは物好きな米国人のための位階売買が行なわれてメイザースの収入源になっていたという。 フリーメイソン限定であった英国薔薇十字協会と異なり、ウェストコットの意向で黄金の夜明け団は一般人にも門戸が開かれていた。またメイソン系とは一線を画して団内を男女平等にし、補職と待遇に性差での区別を付けなかった。団員は主に紹介と推薦やメイソン系機関紙上の広告によって集められ、また大英博物館周辺などでこれはと思った人物を勧誘することもあった。その際はフリーメイソンと英国薔薇十字協会のブランドが利用され、さらに興味を引いた人間には薔薇十字団の名も持ち出された。こうして設立から2年の間に文化人、知識人、中産階級を中心にして100名以上が加入した。
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