神殿の場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 13:53 UTC 版)
「エリュクス (古代都市)」の記事における「神殿の場所」の解説
12世紀までに神殿の上に城が築かれ、さらには監獄に転用された;巨大な石で作られた基礎のほんの一部(誤ってサイクロプス造り(en)と呼ばれていた)が、現存する遺跡の全てである。しかしエリーチェのあちこちに点在する花崗岩の柱は、もともと神殿のものであったことは確かである。既に述べたように、神殿は要塞で囲まれており、中腹に建設された街とは異なり、強力な防御力を持っていた。C.コンシディウス・ノニアウスと刻印されたコイン(紀元前1世紀)には神殿そのものに加えて、それが立つ山を囲う要塞施設が描かれているが、描写の正確性は不明である。ローマ時代にはローマ市のカピトリヌスの丘とコッリーナ門の少し外にウェヌス・エリュキナの神殿があったが、コインに描かれている神殿は明らかに元のシケリア式のものである。エリュクスのコインはウェヌス崇拝に関連したデザインであるが、アクラガス(現在のアグリジェント)のコインとの類似性を見せるものもあり、両都市の関係を示唆している。しかし、歴史の中でその記述を見つけることはできない。
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