麻生和子 麻生和子の概要

麻生和子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/26 18:39 UTC 版)

あそう かずこ
麻生 和子
生誕1915年5月13日
中華民国安東市
死没 (1996-03-15) 1996年3月15日(80歳没)
日本東京都
国籍 日本
出身校ローマ聖心女学院(Trinità dei Monti)
配偶者麻生太賀吉
吉田茂(父)

麻生 和子(あそう かずこ、1915年大正4年〉5月13日 - 1996年(平成8年)3月15日)は、日本の第45・48~51代内閣総理大臣吉田茂の三女。第92代内閣総理大臣・麻生太郎の母。

生涯

1915年大正4年)5月13日中国安東に生まれた。父は吉田茂、母は吉田雪子。両親について1919年(大正8年)パリ1920年(大正9年)ロンドンに赴く。ストレタム・ヒルの小学校に通う。1922年(大正11年)天津に移り、在華イギリス人小学校に通う。1923年(大正12年)、夏休みの一時帰国時に関東大震災があり、以後、家族は東京に残り、父のみ奉天に単身赴任。聖心女学院語学校を卒業。

1930年(昭和5年)12月父のイタリア大使赴任についてローマへ移り、ローマ聖心女学院(Trinità dei Monti)を経て[1]ロンドン大学に留学する。なお、1930年15歳の頃から父茂の秘書を務める[2]。また、母雪子の影響もあり、熱心なカトリックの信者となる。洗礼名は「マリア・ドロテア」。

1934年(昭和9年)10月からの父茂の外務査察使としての欧米訪問に同行。1936年(昭和11年)の二・二六事件では、湯河原滞在中に反乱軍兵士に襲撃を受けていた祖父の牧野伸顕が和子と祖母の機転によって窮地を脱する[注釈 1][3]。同年6月の父茂の駐イギリス大使赴任以降、1938年(昭和13年)9月の帰朝命令により外交の一線から退くまでは、母雪子とともに父を助ける[注釈 2]。同年12月に麻生商店社長の実業家の麻生太賀吉と結婚する。子には麻生太郎麻生泰寬仁親王妃信子がいる。1941年(昭和16年)10月、母雪子が亡くなる。

1946年(昭和21年)5月、父茂が総理大臣に就任。1951年(昭和26年)9月8日サンフランシスコ講和条約締結の会議に、総理大臣の父茂に私設秘書として随行した[注釈 3]1967年(昭和42年)10月20日、父茂の死を看取る。前日に「富士山が見たい」という父の最後の言葉により、和子は抱き起こしたとされている。父茂の葬儀は和子ら親族により東京カテドラルで行われ、後に改めて国葬が行われた。

1980年(昭和55年)12月2日、夫の麻生太賀吉が亡くなる。1986年(昭和61年)11月、勲二等宝冠章を受章する。1993年(平成5年)12月に、著書「父 吉田茂」が、光文社より出版される。1996年(平成8年)、満80歳で死去。墓所は青山霊園

もう1人の「吉田和子」で、母親運動を進めた人物で元豊島区議会議員の山家和子とは同姓同名の別人である。

家族・親族

著作

演じた女優

映画

テレビドラマ

舞台

脚注

注釈

  1. ^ 1996年3月19日 東京新聞朝刊 社会面【葬送】吉田元首相の三女 麻生和子さん
    昭和十一年の二・二六事件では、牧野伯をかばって襲撃した将兵の銃口に身をさらした。
  2. ^ 母とともに英語、フランス語が自由で、人をもてなすことに不自由はしなかった。吉田健一「父吉田茂と妹麻生和子を語る」『主婦之友』1951年10月号 p.89
  3. ^ ファーストレディ代わりとして随行する。後に、映画「小説吉田学校」やドラマ「吉田茂」があるが、茂の子として重要な役柄で和子が登場する。
  4. ^ 前者は本公演、後者は新人公演のそれぞれの配役。

出典

  1. ^ 麻生和子『父 吉田茂』新潮文庫、2012年 pp.73-84
  2. ^ 吉田健一「父吉田茂と妹麻生和子を語る」『主婦之友』1951年10月号 p.89
  3. ^ 麻生和子『父 吉田茂』新潮文庫、2012年 pp.99-110
  4. ^ 麻生和子『父 吉田茂』| 新潮社




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