『小説吉田学校』での描写
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:25 UTC 版)
「山崎首班工作事件」の記事における「『小説吉田学校』での描写」の解説
戸川猪佐武の『小説吉田学校』では、なかば山崎首班で固まっていた民自党総務会で、田中角栄が「もちろん、わが国は敗戦国だ。が、いかに敗戦国だろうと、アメリカに内政干渉をやらかしちゃいかん。絶対にいかん」と熱弁をふるって事態を転換し、それまで総裁辞任を覚悟していた吉田がこれに乗じて山崎首班が仮にGHQの正式司令であったとしても「憲政の常道を無視する総司令部の横車に、世論がなんというか。その日本の世論に、総司令部がどうこたえるか……私はそれを見る」と主張、これを受けてそれまで山崎首班で動いていた広川が一転して吉田首班に寝返ってもともと山崎首班に批判的であった斎藤隆夫総務会長が吉田首班で党内をまとめたと描写している。 しかし、下記の面々は、そもそも総務会に田中は出席していなかった、と証言している。松野頼三は「経過がまったく違う」と語り、日本自由党事務局長だった藤木光雄は「田中さんは若すぎて、総務じゃなかった。総務以外はその場に一人もいなかった」と証言している。村上勇も藤木証言を「その通り」と肯定し、石田博英に至っては「まったくのウソ」と言い切っている。更に、吉田茂の三女で、吉田の私設秘書でもあった麻生和子は「おもしろいけど誤解を与えるんじゃないかしら。あの方(田中)は父が在任中、一度も会ったことさえないと思います」とテレビ番組で語っている。吉田の回想録である『回想十年』などにも、山崎事件に関する記述はあるものの、田中に関する描写は一切ない。
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