『小説帝銀事件』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 23:52 UTC 版)
1959年、帝銀事件を題材にして『小説帝銀事件』を発表。帝銀事件は当時すでに最高裁で被告に死刑判決が下されて、裁判は終わっていた。それを踏まえて改めて事件を「推理」することは、裁判批判を意味した。ただし当時は裁判批判が高まった時期であり、清張が特殊であったわけではない。松川事件に対しては、作家の広津和郎が裁判批判を書き、宇野浩二は「世にも不思議な物語」(『文藝春秋』1953年10月号掲載)を執筆、清張も広津を支援するなどの活動を続けた。 下山事件に関しては、清張は広津や南原繁元東京帝大総長とともに「下山事件研究会」を結成、「推理は推理、真実の追及は別になければならない」として真相究明を訴え続けた。 1959年、『小説帝銀事件』で第16回文藝春秋読者賞。
※この「『小説帝銀事件』」の解説は、「松本清張」の解説の一部です。
「『小説帝銀事件』」を含む「松本清張」の記事については、「松本清張」の概要を参照ください。
- 『小説帝銀事件』のページへのリンク