硲伊之助 硲伊之助の概要

硲伊之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 13:45 UTC 版)

1914年、第1回二科展に「女の習作」出品、二科賞を受ける。1918年、二科展に作品6点を特別陳列、二科賞を受ける。

生涯で数度ヨーロッパに渡り、アンリ・マティスに師事した経験を持つ[1]

戦前からフランスの画家の画集の解説を書き、多数の美術エッセイを著した。

戦後は、日本美術会の委員長としても活動する傍ら、『美術手帖』、『アトリエ』、『みづゑ』、『三彩』、『美術批評』、『芸術新潮』といった美術系雑誌ばかりでなく、文芸誌の『群像』や総合誌の『中央公論』、『文藝春秋』、『世界』などに名画解説やエッセイを発表。誌上座談会の出席者としても活躍した。

1950年東京美術学校(現東京芸術大学)助教授を辞して渡欧。日本での展覧会開催に向けてマティスと交渉し、1951年に国立博物館(現東京国立博物館)で日本で初めてのマチス展が開催された[2]。マティスも、本展示の図録に寄せたテキストのなかで開催にいたった経緯に触れ「硲氏が、この展示が……造形芸術を学ぶ学生に与える価値というものを、よくよく説明してくれたからだ」[3]と振り返っている。

晩年、石川県加賀市に移り住み、九谷焼の創作に没頭。古九谷の色彩と調和の探究に専念した[4]

経歴

著書

画集・図録

エッセイ

解説を描いた名画集

訳書

挿絵・装画を描いた出版物


  1. ^ 硲伊之助 :: 東文研アーカイブデータベース”. 独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所. 2023年9月30日閲覧。
  2. ^ 硲伊之助 多才ぶり再評価:北陸中日新聞Web”. 中日新聞Web. 2023年9月30日閲覧。
  3. ^ アンリ・マティス|岡村皓史訳|マティス展に寄せて|ARCHIVE”. ARCHIVE. 2024年1月31日閲覧。
  4. ^ a b 椹木野衣 美術と時評 85:油絵から古九谷へ — 硲伊之助の近代絵画探求 - ART iT(アートイット)” (2019年7月12日). 2023年9月30日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i 一水会とは 創立者プロフィール一水会サイト
  6. ^ a b c 日本美術会と日本アンデパンダン展の略歴日本美術会サイト内


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