東区 (岡山市) 概要

東区 (岡山市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 08:18 UTC 版)

概要

西大寺市街

区の中心は金陵山西大寺門前町として栄えた西大寺地区であり、現在でも住宅が建ち並び、市内でも比較的人口が集中している地区である。西大寺地区は日本三大奇祭の一つとしても数えられる、西大寺会陽裸祭り)が行われる。シャインマスカットニューピオーネ、桃太郎ふどう、愛宕梨(あたご梨)、鴨梨(ヤーリー)、いちご、米麦の栽培が盛ん。区域の北東部、上道地区・瀬戸地区ではトマトブドウなどの栽培が盛んであり、水量豊富な吉井川や、日射量も多く、穏やかな自然環境をもっている。

地名

区名について

区名は公募により選ばれ、1位 : 東区、2位 : 吉井区、3位 : 吉井川区、4位 : 岡東区、5位 : 城東区であったが、旧地域名は採用しないという方針と、最も支持を集めた事により、「東区」が選ばれた。なお、当初は中区と1つの区を構成する方針であったが、百間川以西の住民から大きな反発があり、また市議からも多数の異論が出たため分割された。

地理

地形

東区は旧西大寺市上道町瀬戸町からなり、区域の西端を中区との境界にもなっている百間川が、中央を一級河川吉井川が貫流している。また、北西部には芥子山を始めとした山々がそびえ、南部は児島湾瀬戸内海に面し、岡山市内唯一の有人島である犬島がある。

山岳

主な山
  • 芥子山(233m、別名:備前富士)

河川

一級河川
  • 吉井川 : 万富地区から西大寺地区へ貫流し、児島湾へ注ぐ。一部備前市瀬戸内市との境界をなしている。
  • 百間川(旭川放水路) : 区の西端を流れており、おおむね中区との境界となっている。
  • 砂川 : 旭川水系の一部で、赤磐市から瀬戸、上道地区を流れ、百間川に合流する。

島嶼

主な島
  • 犬島諸島
    • 犬島 : 市内唯一の有人島で、キャンプ場がある。大正期の精錬所跡が近年、現代アートの美術館に姿を変えている。

地域

詳しくは岡山市の町・字一覧を参照。

  • 浅川
  • 浅越
  • 犬島
  • 内ヶ原
  • 浦間
  • 大多羅町
  • 邑久郷
  • 乙子
  • 可知一丁目 - 五丁目
  • 金岡西町
  • 金岡東町一丁目 - 三丁目
  • 金田
  • 上阿知
  • 神崎町
  • 北幸田
  • 君津
  • 久々井
  • 草ケ部
  • 九蟠
  • 久保
  • 幸地崎町
  • 光津
  • 河本町
  • 古都宿
  • 古都南方
  • 才崎
  • 西大寺
  • 西大寺射越
  • 西大寺一宮
  • 西大寺金岡
  • 西大寺上一丁目 - 三丁目
  • 西大寺川口
  • 西大寺北
  • 西大寺五明
  • 西大寺新
  • 西大寺新地
  • 西大寺中一丁目 - 三丁目
  • 西大寺中野
  • 西大寺中野本町
  • 西大寺浜
  • 西大寺東一丁目 - 三丁目
  • 西大寺松崎
  • 西大寺南一丁目 - 二丁目
  • 西大寺門前
  • 西隆寺
  • 宍甘
  • 下阿知
  • 宿毛
  • 上道北方
  • 城東台西一丁目 - 三丁目
  • 城東台東一丁目 - 二丁目
  • 城東台南一丁目 - 二丁目
  • 水門町
  • 砂場
  • 西祖
  • 瀬戸町旭ヶ丘一丁目 - 四丁目
  • 瀬戸町江尻
  • 瀬戸町大内
  • 瀬戸町沖
  • 瀬戸町鍛冶屋
  • 瀬戸町肩脊
  • 瀬戸町観音寺
  • 瀬戸町菊山
  • 瀬戸町光明谷
  • 瀬戸町坂根
  • 瀬戸町笹岡
  • 瀬戸町塩納
  • 瀬戸町下
  • 瀬戸宿奥
  • 瀬戸町瀬戸
  • 瀬戸町宗堂
  • 瀬戸町大井
  • 瀬戸町寺地
  • 瀬戸町二日市
  • 瀬戸町万富
  • 瀬戸町南方
  • 瀬戸町森末
  • 瀬戸町弓削
  • 千手
  • 竹原
  • 谷尻
  • 寺山
  • 富崎
  • 豊田
  • 中尾
  • 長沼
  • 楢原
  • 西片岡
  • 西幸西
  • 西庄
  • 西平島
  • 東片岡
  • 東幸西
  • 東幸崎
  • 東平島
  • 一日市
  • 広谷
  • 福治
  • 藤井
  • 富士見町一丁目
  • 宝伝
  • 正儀
  • 政津
  • 升田
  • 益野町
  • 松新町
  • 南古都
  • 南水門町
  • 向州
  • 目黒町
  • 百枝月
  • 矢井
  • 矢津
  • 吉井
  • 吉原

人口

東区(に相当する地域)の人口の推移
2005年(平成17年) 96,718人
2010年(平成22年) 96,948人
2015年(平成27年) 95,577人
総務省統計局 国勢調査より

歴史

乙子城跡

古代

中世

現在の東区の区域のうち、西大寺地区では室町時代にかけて備前国の商業的中心地であった福岡(現:瀬戸内市長船町)に近く、吉井川を航行する舟の荷揚げ場として、賑わいを見せた。

瀬戸地区では古代の山城とされる大廻小廻山城跡があるほか、鎌倉時代に、平安時代末期の治承・寿永の乱(源平合戦)で焼失した奈良東大寺の再建時に使用された瓦が焼かれており、当時の遺構が発見されている(万富東大寺瓦窯跡)。

戦国時代には、後に備前国を掌握し、岡山城主となる宇喜多氏が本拠を乙子城亀山城(沼城)に構えていた。 西大寺では、戦国時代から現在までおよそ500年続いている会陽裸祭り)が行われている。

近世

江戸時代には4代岡山藩主・池田綱政の命を受けた郡代・津田永忠によって幸島新田・沖新田が開発された。また、区域の北部には山陽道(現・旧山陽道)が通り、藤井地区には宿場町が形成され、現在でもその面影を残す建物が存在している。

近代

明治以降、西大寺地区に鐘淵紡績の工場が操業を開始し、軽便鉄道の西大寺鉄道の開通と相まって軽工業の立地がさかんになった。

明治
大正
  • 1914年(大正3年) - 4月1日、物理村が町制施行・改称し、赤磐郡瀬戸町となる。

近現代

昭和(戦前)
  • 1932年(昭和7年) - 4月1日、赤磐郡太田村・吉岡村が合併し、赤磐郡万富村が発足。
  • 1937年(昭和12年) - 1月1日、金岡村が西大寺町に編入。
  • 1940年(昭和15年) - 12月1日、芳野村が西大寺町に編入。
昭和(戦後)
  • 1951年(昭和26年) - 4月1日、万富村が町制施行し、万富町となる。
  • 1953年昭和28年)11の町村・地区が合併し西大寺市が成立。
    • 2月1日上道郡西大寺町、古都村、可知村、光政村、津田村、九蟠村、金田村、邑久郡豊村、太伯村、幸島村、邑久町長沼地区が合併(新設合併)し、西大寺市となる。
    • 4月1日、上道郡平島村・御休村・角山村が合併し、上道町が発足。
    • 12月15日、和気郡熊山村の一部が赤磐郡豊田村・小野田村・可真村と合併し、赤磐郡熊山町が発足、郡より離脱。熊山村の残部は万富町に編入(現・岡山市)。
  • 1954年(昭和29年)
    • 6月1日、万富町が熊山町の一部を編入。
    • 10月1日、大宮村大字宿毛の南部区域(幸地崎町)が西大寺市に合併。
  • 1955年(昭和30年) - 2月1日、玉井村が赤磐郡瀬戸町・万富町・潟瀬村と合併し、赤磐郡瀬戸町が発足。
    • 2月11日、上道郡浮田村が上道郡上道町に編入。
    • 4月1日、邑久郡朝日村、上道郡雄神村が西大寺市に合併 。
  • 1956年(昭和31年) - 2月20日、邑久郡大宮村が西大寺市に合併。
  • 1962年(昭和37年)には国鉄赤穂線が開通し、その影響で西大寺鉄道が廃止されたものの、その後、国道2号(現・国道250号)、岡山ブルーハイウェイ(現・岡山ブルーライン)、岡山バイパス等が相次いで開通したことによって利便性が向上し、周辺の宅地化が進行した。
  • 1969年(昭和44年) - 2月18日、西大寺市が岡山市に合併 。
  • 1971年(昭和46年) - 5月1日、上道郡上道町 が岡山市に合併。

現代

平成

注釈

  1. ^ 岡山市の福祉関連の外郭団体である岡山市ふれあい公社により運営されている。

出典






英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東区 (岡山市)」の関連用語

東区 (岡山市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東区 (岡山市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの東区 (岡山市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS