東北熊襲発言とは? わかりやすく解説

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東北熊襲発言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/16 12:51 UTC 版)

東北熊襲発言(とうほくくまそはつげん)は、1988年昭和63年)2月28日に、当時の大阪商工会議所会頭だった佐治敬三(当時サントリー[1]社長)が、テレビの生放送中に発した差別発言である。

概要

発端

1988年昭和63年)2月28日TBS系列JNN報道特集』で、東京からの首都機能移転問題が扱われた[2]

この中で佐治が以下の発言を行った。

仙台遷都したらええちゅうような、あほなことを考えている人がおるそうです。が、東京―大阪間には六、七千万人の人が住んでいる。北の方になんぼ住んでいるのか知りませんが、大体が熊襲の産地。熊襲の国にたんと住んでいるはずもないし、文化的程度も極めて低い。[注釈 1] — サントリー社長 佐治敬三、JNN報道特集 1988年2月28日

この発言が原因で、サントリーに対し東北地方[注釈 2]での不買運動が起こることになった[4]

熊襲(くまそ)とは、古代の日本において九州南部にいた、朝廷に服属しない勢力を指す名称である[注釈 3]。東北地方の反朝廷勢力は蝦夷(えみし)と呼ばれていた。いずれの呼称も、畿内近畿一円)の立場から征伐される対象として、史書にたびたび登場する[5]

背景

当時は首都機能移転の議論が行われていた時期の一つであり、仙台市を含む南東北3県(宮城県山形県福島県)では誘致活動に熱心であった。同じく近畿地方でも新首都誘致の活動が盛り上がっており、にわかに郷土主義的な対立が高まっていた。そうした中で近畿地方の財界人の筆頭による差別発言が行われ、東北地方を中心として強い反発を招いた[6]

サントリーは本発言以前から美術館コンサートホールなどを運営するなど、企業メセナに多くの資金を投じ、文化的な企業としての在り方を標榜してきた。こうした文化貢献はオーナー一族出身の社長である佐治の意思で行われていたにもかかわらず、その当人から発せられた特定の地域・文化・民族に対する中傷は矛盾した行為として非難の対象になった。そもそもサントリー自体が日本を代表する大企業の一つであり社会的な影響が大きいことも、発言が重く受け止められる理由になった。

抗議

名指しで中傷された仙台市では、サントリー仙台支店に300本以上の抗議電話が殺到し対応に追われた。このほか、秋田県では当時の佐々木喜久治知事の指示で、秋田県共済組合の保養・宿泊施設におけるサントリー製品の仕入れが停止された[7]

一方、青森県では野辺地町でサントリーの原酒工場の計画が進んでおり、大分県熊本県との間で誘致を競っていた。北村正哉知事は表立った批判を避けるなど配慮を示し、また地元も工場設置を望む声が引き続き強いなど、東北各県で対応が分かれた[8]。抗議運動に温度差があることについて週刊新潮は「怒ったフリする東北」と題した記事を掲載している[9]

1988年(昭和63年)3月9日、衆議院予算委員会沢藤礼次郎衆議院議員(岩手県出身、旧岩手2区選出)は「ここまで言われたのでは東北人のプライドといいますか、大変傷つくのも無理がないわけであります」と発言を批判[10]。一方、奥野誠亮国土庁長官奈良県出身、旧奈良県全県区選出)は「首都を自分のところへ持っていきたい、その熱望の余りに口が滑ったというふうに受けとめたい」と冷静に受け止める答弁を行った[10]

九州では、熊襲と関係する地域が九州南部の一部であり、また「熊襲」という用語自体が千数百年前の現地部族の呼称であり(東北の「蝦夷」も同様)、当事者意識はあまり抱かれず、ほとんど抗議運動は起こらなかった。青森県とサントリーの工場誘致を競っていた大分県では、地元の経済団体が1988年(昭和63年)7月14日に佐治を招いた講演会を開き、歓迎ムードであったという[11]。その大分県・青森県と誘致を競っていた熊本県細川護熙知事(のちの内閣総理大臣)も、発言に言及しなかった[12]

また、東北地方の全放送局がこの発言を受けてCMの出稿を差し止める事態となり、当時サントリーがスポンサーであった全国ネットの番組(『月9ドラマ』、『火曜サスペンス劇場』、『笑点』、『日曜洋画劇場』など)では東北地方の各ネット局側でサントリーを表示から抜いた提供クレジットに、CM枠は自社の番宣や公共広告機構(現・ACジャパン)にそれぞれ差し替えた。一社提供の『料理天国』は形式上ノンスポンサーで放送した[要検証]

謝罪

佐治敬三の発言は、大阪商工会議所会頭としてのものだったが、結果として騒動が佐治のオーナー企業であるサントリーへの批判という形で進んだことから、サントリーが謝罪の対応を行なった。当初、佐治自身は、発言の撤回や訂正、謝罪を行わず、副社長に代理で謝罪させるとしていたが、岩手県中村直知事から「頭を下げて済む問題ではない」と謝罪を拒絶され、青森県においても北村正哉知事から「東北人は(今回の発言で)コンプレックスを感じている」と苦言が呈された[13]。後に佐治自らが各県への謝罪を行う方向へ変更し[14]、3月16日には公式に謝罪を表明した[15]

佐治の差別発言によるサントリーの企業イメージの悪化はその後もしばらく続いたとされている。2004年平成16年)にプロ野球に新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地球場・宮城球場(仙台市)におけるビール大手4社のスポンサー枠争奪戦では積極的に動き、「スポンサーに参画することが、そうした過去のイメージを払拭するチャンスになり得るとの見方に立てば、我先に動いたのもうなずける」と評されている[16]

脚注

注釈

  1. ^ サントリーの佐治敬三社長(六八)=大阪商工会議所会頭=が二十八日夕の民放テレビで、「東北は、熊襲(くまそ)の産地。文化的程度も極めて低い」などと発言した場面が放映され、東北地方の視聴者の反発を買っている。二十九日になって、サントリー本社(大阪)や各地支店への抗議が相次いだため、同社長は急ぎ一日、宮城県庁に山本知事、仙台市役所に石井市長らを訪ね、頭を下げることにした。/ 抗議続々、陳謝へ 二十八日午後六時からTBS系で全国放送された報道特集。『東京をどうする?―高まる〝遷都論〟仙台、名古屋の名も』というコーナーで佐治社長は、『仙台に遷都したらええちゅうような、あほなことを考えている人がおるそうです。が、東京―大阪間には六、七千万人の人が住んでいる。北の方になんぼ住んでいるのか知りませんが、大体が熊襲の産地』と、いいたい放題。しかも、大和朝廷に服従せず、九州中南部にいたと伝えられる熊襲と蝦夷(えぞ)を勘違いするおまけつき。その後も「熊襲の国にたんと住んでいるはずもないし、文化的程度も極めて低い」などと、差別的な発言を続けた。遷都問題に積極的に取り組んでいる地元は、テレビを見てカンカン。吉田弘正宮城県副知事は「四全総に盛り込まれた多極分散型の国土形成に、まじめに取り組んでいるのに、発言は誠に遺憾」とあきれ顔。サントリー仙台支店では、二十九日早朝から、百本を超える抗議電話が鳴り続けた。ニッカの主力工場が仙台市郊外にあり、仙台市内は全国有数の激戦地であるほか、新製品の東北地方での発売も間近に控えて井詰潔支店長は「商売あがったりです」と頭を抱え込んだ。消費者の反発を考慮して、一日に予定していた新聞各紙への広告も取りやめた。一方、佐治社長は二十九日サントリー大阪本社広報部を通じて「全く不見識な発言をして申し訳ない」と全面的に非を認めた。さらに広報部は「社長発言は近畿商工会議所連合会が二月初めに大阪市内で開いたシンポジウム『近畿を日本の中核にしよう』にパネリストとして出席した際の一部が取り上げられた。東北地方を軽べつするつもりは毛頭なく、むしろ、活発に遷都に動く東北地方に対し、動きが緩慢な近畿にカツを入れようと、ついつい過激になった。しかし、行き過ぎた表現であるのは事実だ」と釈明している。佐治社長は大商のほか、税制調査委員会、大阪21世紀協会常任理事、日本ユネスコ国内委員会会長などの公職も務めている。〝佐治式文化を露呈〟 秋田で育ち、大阪府茨木市に住む直木賞作家の阿部牧郎さんの話 東北はおおらかで、関西の拝金主義的な経済人からはアホに見えるかもしれません。しかし、東北人の間では、関西は忙しいだけで精神的に貧しいと見る向きもあるんです。関西人が優越感を持つほど、東北の人は劣等感を抱いていない。佐治さんが何をもって文化と考えているのかが図らずも露呈し、恥をさらしたといえます。[3]
  2. ^ TBS系列局がない秋田県、熊襲発言当時はTBS系列局がなかった山形県も。
  3. ^ 一方で熊襲は本来朝廷と同じ天孫族であったとする説もある。

出典

  1. ^ 現・サントリーホールディングス
  2. ^ 新聞テレビ欄:日本経済新聞縮刷版 1988年2月号1238ページ他
  3. ^ 1988年(昭和63)3月1日付朝日新聞 東京版朝刊 14版 31面 社会面 『サントリー佐治社長 東北は熊襲の産地 遷都せえとはアホな 放言、テレビで放映』
  4. ^ 日本経済新聞1988年3月2日朝刊31ページ
  5. ^ 熊襲景行天皇と九州 : 景行天皇熊襲御親征一千八百五十年記念”. 2016年8月14日閲覧。 蝦夷延暦・弘仁期に於ける所謂「蝦夷征伐」に就いて”. 2016年8月14日閲覧。
  6. ^ 衆議院会議録情報 第112回国会 予算委員会第八分科会 第1号 (関係部分抜粋:s:衆議院第112回国会 予算委員会第八分科会第1号 (東北熊襲発言)
  7. ^ 朝日新聞1988年3月4日朝刊31ページ 社会面
  8. ^ 朝日新聞1988年3月18日朝刊29ページ 社会面
  9. ^ 週刊新潮3月18日号
  10. ^ a b 衆議院会議録情報 第112回国会 予算委員会第八分科会 第1号
  11. ^ 日経産業新聞1988年3月7日27ページ
  12. ^ 朝日新聞1988年3月18日朝刊29ページ
  13. ^ 日本経済新聞1988年3月7日朝刊31ページ
  14. ^ 日本経済新聞1988年3月7日朝刊48ページ
  15. ^ 日本経済新聞1988年3月7日夕刊1ページ
  16. ^ 日経ビジネス』2005年1月31日

参考文献

  • 「週刊新潮」1988年3月18日号(47–49ページ)
  • 「週刊文春」1988年3月18日号(32–36ページ)

関連項目

外部リンク




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