平井和正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/01 01:33 UTC 版)
誕生 |
1938年5月13日 神奈川県横須賀市 |
---|---|
死没 |
2015年1月17日(76歳没) 神奈川県鎌倉市 |
職業 | 小説家、SF作家、漫画原作者、脚本家 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 中央大学法学部 |
活動期間 | 1962年 - 2015年 |
ジャンル | SF |
代表作 | 『8マン』、『ウルフガイ』、『幻魔大戦』 |
主な受賞歴 |
SFマガジン第1回空想科学小説コンテスト奨励賞(『殺人地帯』により)(1961年) 日本SF大賞功績賞(2014年) レトロ星雲賞(『虎は目覚める』により)(2016年) |
デビュー作 | 『レオノーラ』(1962年) |
子供 | 平井摩利 |
公式サイト | ウルフガイ・ドットコム |
ウィキポータル 文学 |
来歴
1938年、横須賀市に3人姉弟の長男として生まれる。祖母は仙台藩家老中野家の娘だという[2]。手塚治虫の影響を受け、中学2年生で大学ノートに処女小説『消えたX』(長編SF)を執筆、級友に回覧され人気を博し、小説家を志す。神奈川県立横須賀工業高等学校を経て1958年に中央大学法学部に入学[3]。
1959年、ハードボイルド小説「夜の干潮」が中央大学ペンクラブ会誌『白門文学』に掲載され、作品が初めて活字になる[3]。中央大学ペンクラブ時代の友人に本間俊太郎がいる[4]。
1961年、「殺人地帯」が『SFマガジン』の第1回空想科学小説コンテスト(ハヤカワ・SFコンテストの前身)で奨励賞を受賞する[3]。
1962年、同人誌『宇宙塵』に発表した「レオノーラ」が『SFマガジン』に転載され、商業誌にデビューした。中央大学を卒業[3]。日本マーチャンダイズでアルバイトを行いつつ、小説を執筆する[5]。
1963年、原作を担当した漫画『8マン』(画:桑田次郎)が『週刊少年マガジン』誌上で連載開始。この漫画は『エイトマン』としてテレビアニメ化され、同時期の『鉄腕アトム』と並ぶ大ヒット作となる。当時はテレビアニメ創成期でSFを理解できる脚本家は少なく、原作者自らがシナリオを担当したほか、豊田有恒ら同時期デビューのSF作家仲間も脚本家として参加した。
その後も漫画原作を手がけ、『エリート』(画:桑田次郎)、『超犬リープ』(画:桑田次郎)、『幻魔大戦』(共同原作および画:石森章太郎)などを相次いで発表する。
また、1966年2月から、筒井康隆、豊田有恒、伊藤典夫、大伴昌司と共同で[6]、SFプロ作家の評論を掲載する同人誌『SF新聞』を刊行したが、数号で休刊となった[7]。
1968年、初の長編小説『メガロポリスの虎』を発表。編集者(福島正実)のOKが出ず3年間に5度も全面改稿し、喜びよりもただほっとした気持であったという[3]。
1969年に発表した長編第2作『アンドロイドお雪』が好評で小説家として蘇生する。しかし同年、『狼男だよ』改竄事件が起こる。出版元の立風書房に抗議したことからその親会社の学習研究社と争い、翌年に正本が出版されたものの大手出版社からの出版の話はなくなり、小説の仕事が来なくなった[3]。
1970年、『スパイダーマン』(画:池上遼一)に漫画原作者として途中参加。また、『ウルフガイ』(画:坂口尚)も手がける。なお、『スパイダーマン』に提供したストーリーの中には、すでに発表されていた短編小説のアレンジや、漫画発表後まもなく「アダルト・ウルフガイ・シリーズ」に取り入れられたものも含まれている。
1971年、漫画『ウルフガイ』を小説化した『狼の紋章』を文庫本としてハヤカワSF文庫から発表。小説の文庫本書き下ろしを初めて試みた作家である[8]。また、そのあとがきには当時の作者の心境が書き綴られ、書籍のあとがきのイメージを変えた。その後の多くの平井作品のイラストを担当する、生頼範義とのコンビもこの作品が最初である。同年には日本SFにおけるサイボーグテーマ作品の代表作『サイボーグ・ブルース』や、日本初のハチャハチャ小説『超革命的中学生集団』も書籍化され、小説家として再々スタートの年といえる。後の幻魔大戦シリーズに繋がる劇画ノベル『新幻魔大戦』(画:石森章太郎)を『SFマガジン』に連載したのもこの年である。翌年以降も「ウルフガイ」「アダルト・ウルフガイ」「ゾンビー・ハンター(死霊狩り)」などのシリーズ作品が大ヒットし、読者に支えられ人気作家となる。当時はファンレターにも全て返事を書いていたが、爆発的に増えた読者からのファンレターへの対応が創作活動に支障をきたすまでになる。
1976年、GLAの高橋佳子と出会う。人生観の激変により、当時執筆中だったアダルト・ウルフガイ・シリーズも路線変更となった(『人狼白書』以降)。一時期はGLAに関わり、高橋佳子の著書『真創世記』の編集協力も務めた。その後、宗教団体とは距離を置くことになるが、作品には作者の宗教観が反映されるようになる。
1978年、『死霊狩り』を完結させ、それまで自身の作品テーマとしていた "人類ダメ小説" にピリオドを打つ。この頃、中島梓が平井を「言霊使い」と評した[9]のをきっかけに自身でも「言霊使い」を名乗るようになる。
1979年、自身がライフワークと公言する小説版の幻魔大戦シリーズ『幻魔大戦』『真幻魔大戦』に着手、その後、約5年間にわたり日常生活のほとんどをこの大長編シリーズの執筆に費やす。毎月、数百枚に及ぶ小説を書き続けるうち、激痛でペンが握れなくなったため1980年代初頭に当時発売されたばかりの富士通製ワープロOASYSを購入[10]、以来親指シフトキーボードを愛用し作品を量産した。
1984年、偶然に高橋留美子の漫画『めぞん一刻』を読んだことにより、再び転機が訪れる[注 1]。『めぞん一刻』については、作品の考察・批評した「『めぞん一刻』考」(『高橋留美子の優しい世界』に収録)を著しているほか、高橋との対談も行っている[注 2]。そして「犬神明の言霊が来た」という理由で「幻魔大戦シリーズ」を中断し、それまで同作が連載されていた『SFアドベンチャー増刊 平井和正の幻魔宇宙』『SFアドベンチャー』誌に『黄金の少女』の連載を開始する。これにより、「ウルフガイ・シリーズ」再開となった。
当時、生頼範義の後を受けるイラストレーターを探していた平井はムック誌『平井和正の幻魔宇宙』の投稿イラストから当時15歳の泉谷あゆみを抜擢する。泉谷は1985年に『Wolfcrest』(講談社英語文庫)の挿絵でイラストレーターとしてデビューし、翌1986年には17歳で単行本『ハルマゲドンの少女』のイラストを手がけた。
1986年、「ウルフガイ・シリーズ」の主人公、犬神明の現実存在を自称する人物「リアル犬神明」が出現。対談、イベント等を行う。
1988年より長編『地球樹の女神』を発表。著者には作品への責任があるとし、自身の文章に手を加えられることには徹底して抗議する姿勢から『地球樹の女神』は書籍化のたびに著者と出版社が対立[11][12]、その後の多くの作品が電子媒体での出版や自主出版で発表されるきっかけとなった。
1991年、新宗教のカリスマへの批判を含むエッセイ「平井和正『幻魔』を考える」を発表する。
インターネットが普及する前のパソコン通信の頃からネットワーク上での活動を行っており、『週刊アスキー』にパソコンの利用レポートを不定期に掲載したり、自らWebサイトで積極的に情報を発信するなど、ITにも明るい一面を見せる。
1994年、『ボヘミアンガラス・ストリート』を書籍の刊行に先立ち、アスキーからオンラインノベルとしてパソコン通信商用ネット10社で提供。オンライン出版のさきがけとなる。
1999年、自ら出版社ルナテック(e文庫を運営)[13]を立ち上げ、自主出版に活動の軸を置いていく。活動後期には、過去の作品を含めたほとんどの作品を電子書籍としてWebで発表・配信しており、携帯電話への作品配信もその最初期から行った。
その後も、「月光魔術團シリーズ」、「21世紀8マン」、「アブダクション・シリーズ」など大河シリーズを書き続けた。
2004年より、ライフワーク「幻魔大戦シリーズ」を再開させた。
2015年1月17日、急性心不全により神奈川県鎌倉市の病院において死去した[14]。76歳没。
生涯においてその作風は幅広く、世界観や人物描写は多くの人々を熱狂させた。キャラクターたちの仰々しいほどの立ち振る舞いや言葉は若い読者を魅了し、その作品に触れ後に文筆業に関わることになった人の多くが、自分も平井作品のようなものを書きたいと考えたという[15]。
死去後、第35回日本SF大賞功績賞を受賞した。
エピソード
- 「ウルフガイ・シリーズ」は、最初の文庫化時の1971年に、前年に創刊されたばかりのハヤカワSF文庫に収録されているが(当時、ハヤカワ文庫JAは発刊されていない)、これは当時「SFマガジン」2代目編集長であった森優(現・南山宏)の、先代編集長福島正実の「文学路線」とは異なる、「エンターテインメントとしてのSF」路線の一環であった。
- 鏡明、横田順彌ら親交のあった後輩SFファンを実名で登場人物にした『超革命的中学生集団』は、破天荒な文体と構成の小説で、大森望から「ライトノベルの元祖」と呼ばれている[16][17]。また、SF作家たちの集まりでの星新一の「奇想天外な発言」をテーマにした異色短編「星新一の内的宇宙(インナースペース)」も発表している。
- SF雑誌「SFアドベンチャー」(徳間書店)の1986年8月号には、「アダルト・ウルフガイ・シリーズ」の主人公である "犬神明" を名乗る人物が登場し、平井和正と対談した(司会:南山宏)。
- 『ボヘミアンガラス・ストリート』は、少年時代から「いつか最高のラブストーリーを書きたい」という願望のあった平井が、病床でテレビアニメ『きまぐれオレンジ☆ロード』の再放送を見たことがきっかけで誕生した[18][19]。平井は自身で単行本一冊分の『きまぐれオレンジ☆ロード』のストーリーをイメージしてしまったが著作権上発表することができないため、設定を置き換え自分の作品として作り直したことを単行本のあとがきで語っている。
- コミック『バチガミ』に原作者自らがトリックスターとして登場した際には「ひらりん」と名乗る。パンツ姿はカツシンへのオマージュ[20]。
注釈
出典
- ^ “ウルフガイ・ドットコム”. 2015年1月19日閲覧。
- ^ あとがき小説『ビューティフル・ドリーマー』
- ^ a b c d e f 自筆年譜(徳間文庫版『新幻魔大戦』収録)より。
- ^ 解説「人狼地獄」(角川春樹事務所)
- ^ 『夜にかかる虹 上』(リム出版)P.32
- ^ 『THE 筒井康隆』(有楽出版社)P.60
- ^ 『柴野拓美SF評論集』(東京創元社)巻末の牧眞司の解説P.572
- ^ 『ハルマゲドン 平井和正ライブラリー第八集』徳間書店 あとがきより
- ^ 中島梓 「ダイナミズムの系譜 -平井和正の展開と転回-」 (『別冊新評 平井和正・豊田有恒集』 新評社、1978年10月) e文庫 『狼の肖像』 収録、PDF版 34頁。
- ^ 公式サイトの「近況+」(2001.04.11)『季刊・本とコンピュータ』誌のインタヴューに用意した回答より。また、『平井和正の幻魔宇宙』(徳間書店 1982.10)にはOASYS 100Jで執筆する写真が掲載されている。
- ^ 角川書店との対立については徳間書店版『地球樹の女神 PART1』のあとがきより。
- ^ 徳間書店との対立についてはCD-ROM『幻魔大戦deep』収録のエッセイ「ひらりんの気まぐれ雑記帳」より。
- ^ Baseconnect
- ^ 8マン、幻魔大戦…SF作家・平井和正さん死去 読売新聞 2015年1月18日閲覧
- ^ “SF作家・平井和正氏逝去――リアル犬神明をも生み出した、これからの世代に伝えたい“あの熱狂””. 昼間たかし (おたぽる 2015.01.21). 2015年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月2日閲覧。
- ^ 『ライトノベル☆めった斬り!』(太田出版)より。
- ^ ライトノベル第1号? 平井和正『超革命的中学生集団』 - 大森望の新SF観光局・cakes出張版、2015年2月14日。
- ^ サイキンのまつもと 「平井和正先生死去」 2015年01月18日付
- ^ COMIC-ON SPECIAL対談~平井和正の世界~
- ^ 週刊アスキー1998年9月10日掲載リブレット使用レポートでの注釈より。
固有名詞の分類
- 平井和正のページへのリンク