川西能勢口駅 概要

川西能勢口駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 00:08 UTC 版)

概要

阪急の宝塚本線と、能勢電鉄の妙見線が乗り入れており、このうち妙見線は当駅を起点としている。また、山下駅を起点とする日生線の列車も妙見線経由で乗り入れている。特急「日生エクスプレス」のみ両路線間を相互直通運転している。当駅は両社の共同使用駅であり、阪急の管轄駅である。

歴史

阪急電鉄の前身、箕面有馬電気軌道が宝塚まで開通したのは1910年(明治43年)であったが、この時点では川西能勢口駅は開業しておらず、能勢電鉄の前身能勢電気軌道が開業する際に当駅が当初は能勢口駅として、1913年(大正2年)4月8日に開業した。その5日後の4月13日に能勢電気軌道が一の鳥居駅までを開業した。能勢電気軌道は当初から経営状況が悪く、開業翌年には破産宣告を受け、阪急の資本を受け入れて残りの計画路線の建設を行った。駅の近くには、現在のJR川西池田駅よりも池田側に寄った位置に阪鶴鉄道(JR福知山線の前身)が1893年(明治26年)に池田駅を開設しており、これに連絡して乗客を獲得する目論見で、能勢電気軌道が1917年(大正6年)4月13日に池田駅前駅まで当駅から路線を延伸した[3][4]。能勢電気軌道は、開業時は阪急の駅に対しほぼ直角にホームが設置されていたが、この路線延長の際に阪急の駅に対して平行なレイアウトとなった[5]

市名を駅名に入れることを川西市が要望したため、1965年(昭和40年)に現在の駅名となった[6]。なお、能勢電側の駅はその前の3か月間川西駅を名乗っていた[4]。また池田駅前駅もこの頃川西国鉄前駅に改称された[3]

1961年(昭和36年)に能勢電鉄の増資を阪急が引き受けて同社は阪急の子会社となっており、阪急と能勢電鉄の関係が深まったが、駅は一体化されていなかった。1975年(昭和50年)には阪急日生ニュータウンが販売開始、1978年(昭和53年)に能勢電鉄日生線が開通と能勢電鉄沿線での住宅開発が進展して、次第に能勢電鉄と阪急を乗り継ぐ利用者が増加し、1980年(昭和55年)に連絡改札口が設けられた[3]。一方、当駅から川西国鉄前駅までの区間は1駅間のみを往復する区間運転の電車が走るだけの区間となっており、駅前再開発工事に伴い1981年(昭和56年)12月20日に廃止となった[7][8]

当駅は開業時から長らく地上駅であったが、利用者の増加に伴い駅の改良に迫られるようになった。さらに、駅西側で県道川西篠山線を横切る中央町踏切があったが、ニュータウン開発により交通量が増加した上に、阪急線には駅の東側、能勢電鉄線は駅の北東側にも南側にあった中央商店街に通じる道路の踏切があったため慢性的に渋滞が発生するようになった[9]。このため当駅付近の連続立体交差化事業が持ち上がり、まず1990年(平成2年)12月12日に阪急と能勢電鉄の間の連絡改札口が廃止されて直接行き来ができるようになり[1]、12月15日に阪急宝塚線の下り線が高架ホームに移転した[7]。1992年(平成4年)12月20日に阪急宝塚線上り線も高架となった[7]

この時点で能勢電鉄は地上ホームに残っていたため、平面だった乗り換えが階段利用となった。この乗り換え障壁の増大に加え、伊丹や尼崎方面へは阪急経由では十三駅などで再度の乗り換えが必要になることや、JRが長く運賃値上げをしておらず運賃格差が縮小したこともあり、能勢電鉄利用客が当駅から川西池田駅まで歩いてJR福知山線を利用する傾向が強まるようになった[10]。このこともあり、1996年(平成8年)3月24日に能勢電鉄のホームも高架化され[7]、1997年(平成9年)11月16日に能勢電鉄と阪急宝塚線を結ぶ連絡線が完成すると、日生中央駅梅田駅を直通する特急日生エクスプレスが運転されるようになった[7]。なお高架化されたホームの位置は地上ホーム時代の西隣に移動しており、県道川西篠山線を跨ぐ形になっている。

年表

  • 1913年大正2年)
  • 1917年(大正6年)8月7日:能勢電気軌道の池田駅前駅(のちの川西国鉄前駅) - 能勢口駅間が開業[4]
  • 1938年昭和13年)1月31日:能勢電気軌道の駅舎を改築[5]
  • 1965年(昭和40年)
    • 4月1日:能勢電気軌道の駅を川西駅に改称[2][4]
    • 7月1日:京阪神急行能勢口駅・能勢電気軌道川西駅を川西能勢口駅と改称[4]
  • 1966年(昭和41年)4月20日:妙見線川西能勢口駅 - 鶯の森駅間複線化に備え駅改良。
  • 1980年(昭和55年)
    • 3月1日:阪急駅・能勢電駅間の連絡改札が設置される。
    • 6月30日:阪急駅の改築工事が竣工する[11]
  • 1981年(昭和56年)12月20日:能勢電の川西国鉄前駅 - 当駅間が廃止[7]
  • 1986年(昭和61年)10月1日:当駅付近の連続立体交差化事業着工[12]
  • 1989年平成元年):アステ川西(川西阪急)開業に伴い、春の行楽期から臨時特急が停車するようになる。
  • 1990年(平成2年)
    • 12月12日:連絡改札口を撤去し、阪急 - 能勢電間が改札口を通らずに乗り換えできるようになる[1]
    • 12月15日:阪急下り線を高架駅に切り替え[7]。高架駅2階コンコースと地上ホームをつなぐ仮設連絡橋の供用開始。この仮設連絡橋は、能勢電鉄高架橋用地確保のため、1993年春に廃止。
  • 1992年(平成4年)12月20日:阪急上り線を高架駅に切り替え[7]。高架駅2階コンコースと能勢電地上ホームとをつなぐ仮設通路の供用開始。10両編成列車のドアカット解消。
  • 1993年(平成5年)9月11日:能勢電高架橋用地確保のため、能勢電地上ホーム2号線を移設(阪急地上上りホーム跡地も一部活用した)。同様に、同年12月には1号線も移設。
  • 1995年(平成7年)6月4日:阪急宝塚本線に特急が新設され、停車駅となる。
  • 1996年(平成8年)3月24日:能勢電を高架駅に切り替え[7]。この日をもって正式な高架駅舎供用開始とし、西方へ180m移転したことが運賃に反映された。この時点では、能勢電高架線と現3号線との接続は未完成。また、阪急の駅と能勢電の駅が一体化され、能勢電鉄が自社の川西能勢口駅業務を阪急電鉄に委託。さらに、池田駅にあった管区統括が川西能勢口駅に移転。
    • この時点では、東改札口は高架上に移転していたが阪急と能勢電で別々に設置され、改札内ではつながっていなかった。加えて3号線は未完成で、阪急の上り列車はすべて2号線に停車していた。このため、能勢電と阪急の乗り換え客用に西改札口の西側に仮設の連絡階段が設置され、西改札口が過剰混雑するのを回避していた。
  • 1997年(平成9年)11月16日:能勢電・阪急線と接続する3号線が完成[7]、特急「日生エクスプレス」の運行を開始するとともにその停車駅となる(曜日の関連で実際の運行は11月17日から[7])。東改札口が完成(高架化後、阪急・能勢電で別々に設置されていた東改札口を統合)。能勢電の定期券うりばで阪急定期券の発売を開始。
  • 2006年(平成18年)6月1日:定期券うりばをサービスセンター内に移転するとともに、定期券うりばの設置者が能勢電から阪急に変更される。
  • 2010年(平成22年)7月22日:能勢電鉄ホーム(4・5号線)の発車メロディが川西市のキャラクター「きんたくんのテーマソング」に変更[13]。このメロディの後に続いて発車ベルも流れている。
  • 2013年(平成25年)12月21日駅ナンバリングが導入される[14][15]。阪急はHK-50、能勢電はNS-01

駅構造

宝塚本線ホーム
能勢電鉄ホーム

島式1面2線櫛形2面3線、合計3面5線のホームを有する高架駅

改札口(東西に2か所)とコンコースは2階、ホームは3階にある。駅の正面は地上駅時代の東側から南側に変わっており、改札内にはブックファースト1号店があったが、2020年2月11日に閉店した。

のりば

阪急は島式ホームとその対面にある1 - 3号線、能勢電鉄は櫛形ホームのうち北側の4・5号線を使用する[1]

ただし、阪急・能勢電鉄を直通する特急「日生エクスプレス」は阪急用の3号線を通る(詳しくは後述)[1]

号線 路線 方向 行先 備考
1 宝塚本線 下り 宝塚方面[16][17]
2 上り 大阪梅田方面[16][17] 平日朝夕ラッシュ時のみ使用
3 通常はこのホームから
能勢電鉄妙見線 日生中央方面 日生エクスプレス
4 妙見口・日生中央方面[17] 普通列車
5 臨時列車のみ使用

備考

  • 有効長について
    • 阪急用の3線は10両編成分、能勢電鉄用の2線は8両編成分[18]。ただし、4号線は高架化後しばらくして対面の5号線とをつなぐ通路が設けられたため、6両分程度に短縮された(線路は現存している)。
  • 配線について
    • 阪急の上り用ホームは2線あり、配線上は2号線が本線、3号線が待避線となっている。ただし、能勢電鉄の当駅止まりの列車との乗り換えをしやすくするため、原則として3号線を使用する。
    • 2号線は、3号線でスイッチバックする特急「日生エクスプレス」の待避等に使用される(平日朝夕ラッシュ時のみ)。2015年3月ダイヤ改正まで存在した当駅始発の梅田行き通勤急行(車両は梅田方から回送)も特急待避のため2号線発車であった。また、平井車庫からの回送列車は2号線を通過する。なお、この2線からは逆方向の宝塚方に出発することも可能である[19]
    • 能勢電鉄の列車は4号線を使用する。朝夕ラッシュ時は5号線も使用されていたが、2022年12月17日のダイヤ改正で5号線から発車する定期列車はなくなった。
    • 4号線に入線する電車は基本的に3号線側の扉のみ開閉する。ただし、イベント時やごく稀に通常時でも5号線側の扉が開閉される(5号線側は降車ホーム扱い)。
  • 日生エクスプレスについて
    • 阪急と能勢電鉄の間で直通運転を行っている日生エクスプレスは、上り下り問わず3号線でスイッチバックを行って進行方向を変える。
    • 2015年3月21日のダイヤ改正まで、朝ラッシュ時の上り(梅田行き)7本のうち5本は当駅3号線で梅田方に2両を増結していた。増結用の2両は、あらかじめ平井車庫から当駅3号線を経て、梅田方にある留置線に送り込まれる。また、夕ラッシュ時に下り(日生中央行き)で運用された編成は、一部を除き日生中央に到着後当駅まで回送され、当駅始発の普通梅田行きとなる。
    • 当駅始発の10両編成(通勤特急)が停車する2号線に限り、乗車位置の案内表示が掲出されている。2015年3月20日までは、日生エクスプレスが他の列車よりも1メートルほど梅田寄りにずれた位置に停車しており、3号線の乗車位置表示も専用の物が設置されていた。現行の通勤特急の乗車位置表示は日生エクスプレスの乗車位置表示を受け継いだものである。停止位置目標も梅田方から入線する車両用のものが設置されている。
    • 2015年3月21日のダイヤ改正より、3号線の停車位置をずらすのは梅田方面から入線し当駅始発となる10両編成(通勤特急)のみであり、日生エクスプレスを含めた全ての8両編成車は宝塚方面から来る列車と同じ停車位置となった。2018年7月7日のダイヤ改正の際に通勤特急が2号線発になり、10両編成の乗車位置の案内表示は2号線に移動した。2022年12月17日のダイヤ改正で通勤特急は8両編成になり、10両編成で運行する列車は消滅した。
    • また、2・3号線では宝塚方ではない方向(日生中央方、大阪梅田方)から列車が入線する場合、駅自動放送は列車の出線方向ではなく入線する方向を案内する[注 2]
    • ダイヤ乱れなどで阪急と能勢電鉄の間の直通運転を中止した場合は、能勢電鉄は5号線から能勢電鉄4両編成で代替列車を運行することがある(種別表示は日生急行が使われる)。
  • 行き先の発車案内については、2015年12月22日、能勢電鉄がいち早くLED方式に変わり、阪急は2017年9月、反転式からLED方式に交換された。コンコース内にあった反転式も同様に、ディスプレイ式に交換された。

配線図

川西能勢口駅 構内配線略図

宝塚線 石橋阪大前
十三大阪梅田方面

宝塚線 宝塚方面
妙見線 日生中央妙見口方面
凡例
出典:川島令三、『東海道ライン 全線・全駅・全配線 第7巻 大阪エリア - 神戸駅』、
ISBN 978-479420498-1、21p、 講談社、2009年


地上駅時代

高架化以前は、阪急の駅と能勢電鉄の駅は並列していたものの、改札はそれぞれ別々だった。両駅に跨がるホーム上には、1980年にラッシュ時の改札口混雑緩和対策として連絡改札が設置された。この連絡改札は、阪急の下り線が高架化された段階で廃止され、阪急・能勢電鉄の間で改札を経ずに乗り換えることが可能になった[1][1]。また1960年代にホームが延伸されるまでは、阪急線の上り線と妙見線を結ぶ川西国鉄前駅方向に伸びる連絡線があり、40形などの行き来に用いられていた[2]

阪急電鉄
駅の東西にあった踏切の間いっぱいを占める、有効長8両編成分の相対式ホーム2面2線を有していた。10両編成での運転が開始されてからは東側の踏切にかかる大阪側の2両がドアカットされ、該当する各ドアの左側の戸袋上部にドアが開かない旨を知らせるプレートが設置されていたほか、各ドアの位置に当たる軌道脇にも車内から見えるように、ドアが開かない旨を知らせる看板が立てられていた。
東西に改札があり、東口は地下に、西口は県道川西篠山線に面した上りホームの先端に改札があった。西口改札は長編成化に伴うホームの延伸に際して新設された物で、この改札から入って下りホームへ行く場合には、同時に改札横に新設された地下道(東口改札の地下道とは別)を通るようになっていた。なおホームの延伸前は、下りホームへの移動は上りホームから構内踏切を通るようになっていた。東口の地下改札はやはり長編成化に伴うホームの延伸に際して上りホーム側の地上から移転した物で、庄内駅の地下改札と酷似しているが、券売所は庄内駅とは異なり地下にあった。また東口改札の地下移転に伴い、下りホームの南側にも地下改札に通じる南口の階段が設けられている。この下りホームの南側と、当時南西側の斜向かいにあったジャスコとの間の道路に面した場所には、改札内外両方から利用できる「阪急そば」が営業していた。駅舎は、開業当時は平屋建てだったがやはりホームの延伸に際して改築され、事務室などを2階に設けた2階建てになった。
能勢電鉄
開業時は阪急の駅に対しほぼ直角にホームが設置されていたが、池田駅前(後の川西国鉄前駅)まで路線が延長された際に、阪急の駅に対して平行なレイアウトとなった[5]。長らくホーム1面1線に側線1本という構造だったが、妙見線の複線化に伴い駅の改良が行われ、有効長4両編成(610系以前については5両)の櫛形ホーム2面2線となった[5](阪急ホームに近い南側から2号線・1号線で、日中は頭端式の2号線のみ使用)。
駅前再開発により廃止されるまで、妙見線は川西国鉄前駅まで線路が延びていたが、この区間は1960年ごろから当駅 - 川西国鉄前駅間の1駅の間だけを単行の列車が往復する盲腸線となっていた。川西国鉄前行きの列車は1号線の西端から発着し、車両は列車が運行されない時間帯も当駅に留置されていた[8]
駅のすぐ東側の線形が北へ向かう急カーブとなっており、1966年に若干緩和されたものの、それでも半径30m(制限速度15km/h)と急で、阪急から譲渡された車両はこの急カーブを通過するために連結器を改造する必要があった。駅の移転を伴う高架化の結果このカーブ半径は大幅に緩和され、連結器も阪急との直通運転に備えて再度改造し阪急と統一した。
改札は長らく東口改札のみで、この改札の2階建ての建物は能勢電鉄の本社社屋(後に平野駅近辺に移転)も兼ねていた。既に阪急の高架化が進められていた1990年ごろに、川西国鉄前への廃線跡の敷地を活用して西口改札が設置されたが、1993年6月26日には高架橋用地確保のため、先に高架化されていた阪急の高架下に移転している。

注釈

  1. ^ 阪急は栄町20-1[1]、能勢電鉄は小花1-1-10[2]
  2. ^ 例 - 梅田発日生中央行きの特急の場合「皆様、まもなく大阪梅田方面から3号線に電車が到着します。」
  3. ^ 2018年10月1日より川西バスターミナルを「阪急川西能勢口」に、パルティ川西前を「阪急川西能勢口東口」に改称し[22]、さらに2021年10月16日からは前者を「阪急川西能勢口」に、後者を「阪急川西能勢口駅(東口)」に再改称している[23]
  4. ^ 松が丘方面(松が丘は宝塚市と川西市にまたがる地名。担当は清和台営業所)、満願寺方面(満願寺は川西市の飛び地で周辺は宝塚市。担当は石橋営業所伊丹営業所伏尾台営業所)、宝塚駅方面(担当は宝塚営業所)。現在は宝塚駅方面行きは廃止されている。
  5. ^ 桃源台線と尼崎線(両路線とも担当は伊丹営業所
  6. ^ 川西明峰高校・宝塚医療大学のいずれも休校の日は運休。
  7. ^ 日生中央についても同様に、日生の文字が比較的大きく表示される。
  8. ^ すでに引退した能勢電鉄1000系1500系3100系も同じような表記だった。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 『兵庫の鉄道全駅』 58頁
  2. ^ a b c 『兵庫の鉄道全駅』 142頁
  3. ^ a b c 伊原薫「駅・クローズアップ 第9回 川西能勢口駅」『鉄道ジャーナル』第633号、鉄道ジャーナル社、2019年7月、122頁。 
  4. ^ a b c d e f 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』14号 16頁
  5. ^ a b c d 能勢電気軌道株式会社編 『風雪60年』、1970年、139 - 141頁
  6. ^ 川西市史編集専門委員会編 『かわにし 川西市史第三巻』、1980年、560・561頁。
  7. ^ a b c d e f g h i j k 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』14号 17頁
  8. ^ a b 寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』、JTBパブリッシング、2008年、102頁。ISBN 978-4-533-07145-4
  9. ^ 能勢電鉄株式会社編 『能勢電鉄100年史』、2008年、62頁。
  10. ^ 中村ゆういち「阪急電鉄宝塚線の現況」『鉄道ジャーナル』第379号、鉄道ジャーナル社、1998年5月、36 - 41頁。 
  11. ^ 阪急電鉄株式会社編 『75年のあゆみ<記述編>』、1982年、260頁。
  12. ^ 100年のあゆみ (部門史) p374
  13. ^ 阪急・能勢電鉄 川西能勢口駅の発車メロディを「きんたくんテーマソング」に変更します 〜川西市と能勢電鉄株式会社で「きんたくん発車メロディ」の出発式を開催〜』(PDF)(プレスリリース)川西市/能勢電鉄、2010年7月13日。 オリジナルの2020年12月26日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20201226122517/https://www.hankyu-hanshin.co.jp/legacy_data/ir/data/GR201007131N2.pdf2020年12月26日閲覧 
  14. ^ 草町, 義和. “阪急阪神、駅ナンバリングを導入へ…三宮駅は「神戸三宮」に改称”. レスポンス(Response.jp). 2013年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月12日閲覧。
  15. ^ 〜すべてのお客様に、よりわかりやすく〜「西山天王山」駅開業にあわせて、「三宮」「服部」「中山」「松尾」4駅の駅名を変更し、全駅で駅ナンバリングを導入します (PDF) - 阪急阪神ホールディングス、2013年4月30日
  16. ^ a b 川西能勢口駅 宝塚線|時刻表 構内図 おでかけ情報”. 阪急電鉄. 2021年7月17日閲覧。
  17. ^ a b c 川西能勢口駅構内図” (PDF). 阪急電鉄. 2021年7月17日閲覧。
  18. ^ 阪急阪神ホールディングス株式会社編『100年のあゆみ 部門史』、2008年、62頁
  19. ^ 電気車研究会編『鉄道ピクトリアル』2010年8月臨時増刊号、2010年、209頁。
  20. ^ 阪急電鉄 鉄道情報ホームページ 駅別乗降人員
  21. ^ 川西市統計要覧
  22. ^ 【2018年10月1日から】猪名川営業所管内の運行について” (PDF). 阪急バス (2018年9月20日). 2021年6月7日閲覧。※停留所改称については伊丹・宝塚管内の路線も同様
  23. ^ 【2021年10月16日より】川西市中・北部、猪名川町南部 運行内容の変更について” (PDF). 阪急バス (2021年9月27日). 2021年11月17日閲覧。※停留所改称については伊丹・宝塚管内の路線も同様。






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