岩崎良美
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岩崎 良美 | |
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出生名 | 岩崎 良美 |
生誕 | 1961年6月15日(62歳) |
出身地 | 日本、東京都江東区 |
学歴 | 堀越高等学校 |
ジャンル | J-POP、歌謡曲 |
職業 | 歌手、女優 |
事務所 | コンリアルアート |
公式サイト | Yoshimi Iwasaki Official Site |
東京都江東区出身[1]。身長159センチメートル、血液型O型[1]。堀越高等学校卒業[1]。歌手・女優の岩崎宏美は実姉。1980年2月21日に「赤と黒」で歌手デビュー。愛称は“ヨシリン”。
代表曲は「涼風」「I THINK SO」の他、「タッチ」「愛がひとりぼっち」「チェッ!チェッ!チェッ!」「青春」などアニメ「タッチ」の主題歌・エンディング曲が多い。
所属事務所は株式会社コンリアルアート(2022年現在)。2021年4月、桜美林大学大学院修士課程に入学、経営学を学ぶ[2]。
略歴
生い立ち
1961年6月15日、木材機械輸入販売会社の経営者の三女として誕生[3][4][5]。成城学園入学後、歌のレッスンを受け、次姉の岩崎宏美とともに声楽家の松田敏江に師事する。歌のほかに剣道、テニス、乗馬を習い、父親の方針通りスポーツにも励んだ[4]。
1975年に次姉の宏美が歌手としてデビューを果たし、いきいきと仕事をする姿に憧れた。それまで以上に歌への関心が高まり、また自身も芸能界入りを強く望むようになった[6]。 ある時、姉と一緒にいたところ、テレビ局のプロデューサーの目に留まる。そして自身も芸能界入りを希望していると伝えた[7]。しかし、宏美の時と同様に父親を筆頭に、母親からも大反対を受ける[6][8]。良美の性格が内向的であること、また、人気歌手となった宏美と同じフィールドに立つことは邪魔に成り兼ねない、という理由であった(父は宏美の歌手デビューを反対していたが、1978年に宏美の個人事務所を設立してマネジメントを行う経営者でありプロデューサーでもあった)[5]。ある日、夜遅くに帰宅した宏美に「(両親から)芸能界に岩崎宏美は2人も要らないから絶対ダメだと言われた」と泣きながら訴えたことがある。すると宏美は、すぐさま両親の元へ行き「妹の夢を壊す権利があなた達の何処に有るの!」と激怒したという[9][6][10]。その後も宏美や恩師・松田の後ろ盾もあり、両親を説得することに成功する。但し、宏美の人気に影響しない歌手活動以外であればという条件付きであったが、良美は芸能界入りを認められた。
芸能界デビュー
1978年、テレビ朝日系の時代劇『江戸の鷹 御用部屋犯科帖』第20話にゲスト出演[11]、女優として芸能界デビュー[8]。
1980年2月21日、「赤と黒」でキャニオンレコードより歌手デビュー。2ndシングル「涼風」で7月3日放映のTBS系『ザ・ベストテン』の「スポットライト」コーナーで初出演。「同期デビューの仲良しコンビ」として松田聖子と一緒の出演であった。その後10位(2週連続)にランクインを果たし、同年の第6回日本テレビ音楽祭で最優秀新人賞を受賞。「あなた色のマノン」では日本レコード大賞などで新人賞を獲得。同年12月31日に放送の『第31回NHK紅白歌合戦』に初出場。姉・宏美との姉妹同時ソロ出場は紅白史上初であった。
子どもの頃からおとなしい性格であるが[6][12]、デビュー後は楽曲制作に関してしっかりと意見を述べ、意志の強い一面も見せた。当時の担当プロデューサーである渡辺有三は、良美の意見を取り入れたことが作品づくりに良い影響を与えたと回顧している[13]。
1984年ごろから俳優としての活動も増え、同年は山田太一ドラマ『真夜中の匂い』、『スクール☆ウォーズ』にレギュラー出演した[8]。
1985年、20枚目のシングル「タッチ」が自身最大のヒット曲となり、年末に開催された『第27回日本レコード大賞』で金賞を受賞。21枚目のシングル「愛がひとりぼっち」では1985 FNS歌謡祭で優秀歌謡音楽賞を受賞、翌年1986年にはB面の「青春」が 第58回選抜高校野球大会の入場行進曲に起用された[8]。
俳優活動へ
歌手としてヒットにも恵まれたが、次姉・宏美との比較に悩み、大好きだった歌が次第に楽しくなくなっていったという[6]。1989年8月に「硝子のカーニバル」、翌9月にアルバム『月夜にGOOD LUCK』をリリースしてからは、芸能活動の主体を舞台やドラマ出演に移し、多数の作品に出演した[14]。
主演ドラマでは、1990年に出演した朝の連続ドラマ『花真珠』が海外でも放送されヒットする。本作品は「清楚さと現代的なセンスを兼ね備えているため、真珠のイメージに合う」ということでの起用だった[15]。
1994年、舞台『ヴェニスの商人』に出演し、本作品の英国人演出家との出会いがきっかけとなって、以前のように「うまく歌わなくてはいけない」とばかり考えずに、「今の私だから歌える歌があるかもしれない」と思うようになったという[6][8]。
歌手復帰
再び歌にも気持ちが向かうようになり、1998年11月に歌手復帰第一作となるシングル「Message」を発表[8]。2001年のシングル「鳥になって」からはフレンチポップスがレパートリーに加わった。当時は「フランス語をまだ形にできていない」としながらも、テレビでは歌番組のほか語学番組でも歌唱を披露した[8]。
歌手活動を再開するにあたり、昔からジェーン・バーキンの歌を聴いていたことや、精神面で強くなりたいという思いを抱いていたことから「ヨーロッパの風が吹くような、自立した女性を応援するような歌を歌いたい」と、フランス語やシャンソンを学んだと語っている[16]。
歌手休業前には一緒に歌うことがほとんどなかった姉・宏美との共演の機会も増え[8]、2008年に公式では初めてとなるジョイントコンサートを開催(岩崎宏美・岩崎良美 Precious Night プレシャスナイト)。2023年現在も姉妹によるジョイントライブが「宝くじ助成・まちの音楽会」[17]として定期的に実施されている。
近年の活躍
歌手デビュー30周年となる2010年には多数のライブを行い[18]、取材には、歌にも芝居にも前向きな時に節目を迎えられてうれしいとコメントした[19]。2011年にはプロデューサーに長岡和弘を迎え[20]、初のカバーアルバム『色彩の主人公』を発表[注 1]。
2014年2月から渋谷JZBratでの100名限定ライブをスタート。「Yoshimi's Night」シリーズ、「Un Voyage avec Yoshimi」シリーズは連続前売り完売と、今なおその歌声の人気は高い。歌手デビュー35周年の2015年12月のライブで初披露した良美自身が作詞の「My Life」(作曲・編曲は椿本匡賜)は日本ラグビーフットボール協会公認の7人制女子ラグビー大会の公式応援ソングとなった。
歌手活動の他、俳優業ではストレートプレイだけでなくミュージカルにも出演。ナレーターとしての活動も多い[6]。
私生活では、2011年10月に3歳年上の医師と結婚[21]。2019年6月、前年2018年に離婚していたことが明らかになった[22]。
2020年、デビュー40周年記念アルバム『Chanter chanter chanter』をリリースした。
音楽
初期からニューミュージックの作家を多数起用し、フランス文学路線、ヨーロピアン路線、アダルト・コンテンポラリー路線など伸びやかな歌唱力と洋楽志向である本人の音楽的センスを活かした作品を次々と発表[8][23]。音楽性の高さからニューミュージックのアーティストの中にもファンがとても多かった[24]。
しかし、80年代当時のヒットチャートを賑わす歌謡曲は、わかりやすいコード進行の楽曲が好まれていた。また、シングル曲先行でリリースされることが多く、良美のようにアルバム先行で作品制作することは稀であった。「岩崎良美は先を行き過ぎていて難しい」と評論家に言われることも少なくなかった[13]。それゆえにコンスタントに歌番組に出演していたが爆発的なヒットに恵まれていない苦悩があった。
デビュー6年目の1985年、それまでとは大きく路線を変えた「タッチ」をリリース。テレビアニメ「タッチ」の主題歌として、同アニメのヒットとともに“岩崎良美”の名と歌声が知れ渡る。オリコンランキングでは週間最高第12位、年間ランキングで39位にチャートイン。これを機に同作品の主題歌・エンディングの殆どを担当する。「タッチ」は良美の代表曲のひとつとなり、世代を超えて愛される定番曲になった[25]。 その一方で、これ以外の路線にこそ良美の本質的な魅力があり、もっと評価されるべきだという声もある[26]。
注釈
出典
- ^ a b c “岩崎良美(歌手・女優)オフィシャルサイト(プロフィール)”. 岩崎良美オフィシャルサイト. 2021年6月6日閲覧。
- ^ a b 岩崎良美「修士号を目指して広がる世界」日本経済新聞(朝刊)・2022年1月5日・第29面「私見卓見」。桜美林大大学院は非大卒者も出願可。
- ^ a b c d e f 近代映画社『あなただけ日曜日』[要ページ番号]
- ^ a b 近代映画社『別冊近代映画』昭和51年夏号[要ページ番号]
- ^ a b “岩崎宏美と父の骨肉裁判 背景に娘の結婚や歌手活動への反対も”. NEWSポストセブン. 小学館 (2012年1月23日). 2023年7月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『STORY』2010年9月号、光文社、232頁
- ^ 『忘れ扇』パンフレット[要ページ番号]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『岩崎良美 CD-BOX 80-87 ぼくらのベスト』
- ^ 【話の肖像画】歌手・岩崎宏美(2)「思秋期」を聴いて変わった父産経新聞・エンタメ(2015年4月21日掲載
- ^ 2009年1月23日『たけしの誰でもピカソ』(テレビ東京)
- ^ “江戸の鷹 御用部屋犯科帖”. ドラマ詳細データ. テレビドラマデータベース. 2023年7月9日閲覧。
- ^ 『'10 春夏かんたんソーイング ミセス版』[要ページ番号]
- ^ a b 『岩崎良美 CD-BOX 80-87 ぼくらのベスト』渡辺有三インタビュー
- ^ 『雪国』パンフレット[要ページ番号]
- ^ 『週刊テレビ番組』1990年5月12日号、東京ポスト、66頁
- ^ 7月12日(土) 第169回ゲスト: 岩崎良美×いとうあさこ - 極上空間 BS朝日
- ^ 令和6年度宝くじ文化公演事業実施要綱
- ^ 『Merci Beaucoup』第3号[要ページ番号]
- ^ “岩崎良美30周年コンサートで熱唱。恋の話題には苦笑い”. 日テレNEWS24 (日本テレビ). (2010年3月4日) 2012年7月30日閲覧。
- ^ 『色彩の主人公』歌詞カード(規格品番BZCS-1084)
- ^ “岩崎良美、出会いから結婚まで約5ヶ月 お相手は3歳年上医師”. ORICON STYLE (2011年11月1日). 2016年10月25日閲覧。
- ^ a b “歌手・岩崎良美(58)が産婦人科名医と離婚していた”. 文春オンライン (2019年6月19日). 2019年6月19日閲覧。
- ^ 「岩崎良美大百科」『CDジャーナル』2010年3月号、音楽出版社、92頁-93頁
- ^ 『岩崎良美 CD-BOX 80-87 ぼくらのベスト』 尾崎亜美インタビュー
- ^ “岩崎良美の歌唱力がヤバすぎる!「THE MUSIC DAY」での「タッチ」に視聴者テンションMAX”. 日刊ゲンダイ. 日刊現代 (2023年7月4日). 2023年7月9日閲覧。
- ^ 『Myこれ!チョイス 04 Weather Report+シングルコレクション』 ライナーノーツ
- ^ 『明星』1982年5月号、集英社、133頁
- ^ 『ゆほびか』2011年11月号「ペットと私」[要ページ番号]
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- ^ 2012年4月3日『徹子の部屋』(テレビ朝日系列)
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- ^ 『明星』1981年5月号[要ページ番号]
- ^ 『映画ファン』1981年8月号[要ページ番号]
- ^ 「立体構成」、『GORO』1980年6月26日号、小学館
- ^ 「熱烈友情対談2」、『平凡』、平凡社、1981年
- ^ 「岩崎良美インタビュー」、1986年、34-36頁
- ^ “4歳差の柏原芳恵とは今も“メル友”。水泳大会はデビュー前から断っていた!?”. fumufumu news (主婦と生活社) (2023年1月23日). 2023年3月5日閲覧。
- ^ 「なんでもブッチャケ!因縁対談」、『平凡』、平凡社、1980年、144-145頁
- ^ “岩崎良美50歳初婚 医師と交際5カ月”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2011年11月2日) 2012年7月30日閲覧。
- ^ 鈴木十朗 (2019年6月20日). ““離婚発覚報道”岩崎良美が5年前に見せていた「夫婦亀裂の予兆」!”. excite.co.jp (アサ芸プラス) 2019年6月21日閲覧。
- ^ 2011年2月11日『A-Studio』(TBS系列)
- ^ 「密着プライベートQ&A33」、『平凡』、平凡社、1980年、86-89頁
- ^ 『オシャレ30・30』(日本テレビ系列)ゲスト出演時に語った。
- ^ 『週刊少女コミック増刊号』1982年9月16日号、小学館[要ページ番号]
- ^ 2010年12月25日『アニメ「タッチ」驚きの初回!涙の最終回!』(NHK BS2)
- ^ [=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/07/17/kiji/20230717s00041000393000c.html “岩崎良美 コロナ禍で仕事なくなり60歳で大学院へ「絵本のビジネスで修論書きました」”]. スポーツニッポン. (2023年7月17日) 2023年7月17日閲覧。
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- ^ “あなただけ日曜日 (近代映画社): 1982 - 書誌詳細”. 国立国会図書館サーチ. 国立国会図書館. 2012年7月30日閲覧。
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