小林一三 「われ関せず」

小林一三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 09:39 UTC 版)

「われ関せず」

親友で同じ慶應出身者の松永安左エ門によると、小林の性格は「腹が決まってからのことには、何事も動じない」というものだった。また、自分に直接関知しないことには無関心であったとも言われている。

1930年代、福澤諭吉が作った時事新報が経営危機に陥った際、慶應卒業生の有力者が挙って時事新報を救うために出資や負債の引き受けなどを行った。鐘紡元社長の武藤山治や松永もその一人であり、松永は小林に時事新報救済のための協力を要請したところ、小林は拒絶。松永は苦笑で済ませたものの、他の慶應OBから批判が殺到した。小林は時事新報の先行きがどう転んでも好転しないことを見通していたと言われ、先行きのない企業に投資は出来ないと言うことで拒絶したのだったが、理解する慶應OBは少なかった。その後、時事新報は1936年(昭和11年)に東京日日新聞(現在の毎日新聞)と合同した。

在日朝鮮人に関する主張

1948年、自治体に通達された朝鮮学校閉鎖令への反抗として阪神教育事件(神戸事件)が起こると、小林は「日本にいるすべての朝鮮人の退去強制」を強く提唱して「追放された者が祖国でどう扱われるかについて、我々は予想できない。だが、我々がそうした義務に縛られる必要はない。ただちにこれらの不穏分子を一掃し、公共の安寧に対する不安を感じないで済ませられるよう、国家体制を安定させなければならない」と主張した[50]。これら五十数万人の朝鮮人は台湾人とともに、かつて帝国臣民として、また戦後もサンフランシスコ講和条約発効直前の1952年4月まで法的に日本国籍を有していた。小林の主張には昵懇の仲であった白洲次郎吉田茂が賛同し、GHQに向けて「アメリカの厚意によって、われわれは大量の食料を輸入していますが、その一部は在日朝鮮人を食べさせるために用いられています。(中略)彼らは我が国の経済法規を破る常習犯です。」などと訴えた[51]が、国際法への抵触や人権侵害の懸念、朝鮮戦争の勃発などを理由に却下された[52]

栄典


注釈

  1. ^ ただし決して関係がなかったとは言えず、小林と根津はを通じて親密な関係にあった。小林が第二次世界大戦後に設立したアルナ工機(現・アルナ車両)で製造された鉄道車両が、根津が社長を務めていた東武鉄道(根津は1940年(昭和15年)に没しており、息子である藤太郎改め2代目嘉一郎が承継していた)へ数多く納入されていたことからも、両者の間には深い関係があったことが窺える。
  2. ^ 加賀美平八郎は南八代村の素封家で、山梨県の自由民権運動を主導した人物のひとり。成器舎は加賀美が居村において経営した私塾で、一三の同期には堀内良平河西豊太郎など山梨県の政財界で活躍した人物が多い。
  3. ^ この理由として難工事と説明されているが、地形については難工事に該当する区間が特に存在しないため、有馬温泉の住民による反対で断念したとの説が有力である。
  4. ^ 五島はこれら小林の手法に加え、大学も沿線に誘致し同社の価値をより高めた[21]
  5. ^ 同時期に日本初のプロ野球機構となる「日本職業野球連盟」が創立。
  6. ^ ブレーブスは1988年(昭和63年)、孫娘の夫である小林公平が「使命を終えた」として、オリエント・リース)に売却したが、2006年阪急・阪神経営統合により阪神タイガースが阪急阪神東宝グループ入りし、今日に至る。
  7. ^ 小林没後の1987年(昭和62年)に分割民営化により国鉄の鉄道事業は北海道東日本東海西日本四国九州貨物の7社に再編された。

出典

  1. ^ 『官報』第5799号、昭和21年5月17日。
  2. ^ “石田光彦、森弘太郎、天保義夫、今西錬太郎、野口二郎、日比野武、河野旭輝、バルボン&簑田浩二、松永浩美、弓岡敬二郎、石嶺和彦、山沖之彦「阪急の“元祖”勇者&“最後の”勇者」/プロ野球20世紀の男たち”. 週刊ベースボール. (2019年12月15日). https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20191215-10 2022年9月26日閲覧。 
  3. ^ 11景 大臣落第記、pp.364-416。
  4. ^ 阪急の小林一三氏、東急など東京企業も支援 その足跡”. 日本経済新聞 (2023年10月25日). 2024年4月6日閲覧。
  5. ^ 100年の歩み 1章 |東急株式会社”. www.tokyu.co.jp. 2024年4月6日閲覧。
  6. ^ 1景 甲州韮崎、p.14。
  7. ^ 1景 甲州韮崎、pp.15,25。
  8. ^ 2景 海を見た日・3景 上方へ、pp.27-60。
  9. ^ 5景 箕面電車、pp.107-125。
  10. ^ 3景 上方へ・5景 箕面電車、pp.61,115-129。
  11. ^ 5景 箕面電車、pp.128-129。
  12. ^ 6景 宝塚新温泉、pp.149-153。
  13. ^ 6景 宝塚新温泉、pp.153-175。
  14. ^ 8景 「我らの阪急」、pp.216-232,237。
  15. ^ 8景 「我らの阪急」、pp.233-236。
  16. ^ 渋沢は京阪電気鉄道の創業者でもあり、同社は阪戦時統合により阪急と合併した。戦後に京阪は再独立したものの、新京阪鉄道系統は阪急の京都本線として残存している。
  17. ^ 日本一のブランド力を誇る「田園調布」- 東京の高級住宅街、住むならどこがベスト
  18. ^ 『渋沢栄一伝記資料』第53巻 目次詳細 第13節 土木・築港・土地会社 第3款 田園都市株式会社
  19. ^ 『中野武営と商業会議所』1017頁
  20. ^ 大阪府池田市にある小林一三記念館パネル展示(2011年9月閲覧)
  21. ^ 『日本の私鉄 東京急行電鉄』毎日新聞社 2011年1月30日[要ページ番号]
  22. ^ 【九州の礎を築いた群像】岩田屋三越編(3)栄枯盛衰 より
  23. ^ 2011年(平成23年)には博多駅に「博多阪急」が開店し、天神の岩田屋とは競合関係にある。
  24. ^ 「~ 100年の計で大阪の都市基盤を築く ~「關 一」編」『SUBWAY 第210号』一般社団法人 日本地下鉄協会,2016年8月
  25. ^ 「地下鐵道の時代は既に去れり」『雅俗山荘漫筆. 第3』小林一三、1933年1月
  26. ^ 当時の阪急神戸本線の神戸方終着駅は、現在の神戸三宮駅ではなく上筒井駅(現在の王子公園駅周辺)であった。
  27. ^ 結局、大阪市営地下鉄は8路線が完成し、阪急も堺筋線と相互乗り入れを行うなど大阪の交通機関として必要不可欠な存在となった。阪急が自社線で地下工事を開始したのは、小林没後の京都線河原町駅延伸時からである。
  28. ^ 事変はどう片付くか(1939年7月著)20頁
  29. ^ 日本はどうなる?天佑!北支事変 19頁
  30. ^ 11景 大臣落第記、pp.381-415。
  31. ^ 小林一三が国務相に、戦災復興担当(昭和20年10月31日 毎日新聞(東京))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p242
  32. ^ 「一万余名を追放解除」『日本経済新聞』昭和25年10月14日1面
  33. ^ 半身棺桶 山田風太郎. 徳間文庫. (1998年2月) 
  34. ^ 1949年 初代国鉄総裁への就任を乞われるより。前述の公職追放処分が長引いたことによりこの話は頓挫し、下山定則が就任したが僅か1ヶ月後に下山事件で急逝。
  35. ^ 伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』ミネルヴァ書房、2017年7月10日、179,180頁。ISBN 978-4-623-07998-8 
  36. ^ 伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』ミネルヴァ書房、2017年7月10日、180,182頁。ISBN 978-4-623-07998-8 
  37. ^ 伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』ミネルヴァ書房、2017年7月10日、210頁。ISBN 978-4-623-07998-8 
  38. ^ 伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』ミネルヴァ書房、2017年7月10日、211頁。ISBN 978-4-623-07998-8 
  39. ^ 伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』ミネルヴァ書房、2017年7月10日、214頁。ISBN 978-4-623-07998-8 
  40. ^ 伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』ミネルヴァ書房、2017年7月10日、216頁。ISBN 978-4-623-07998-8 
  41. ^ 伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』ミネルヴァ書房、2017年7月10日、215頁。ISBN 978-4-623-07998-8 
  42. ^ 伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』ミネルヴァ書房、2017年7月10日、223,224頁。ISBN 978-4-623-07998-8 
  43. ^ 伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』ミネルヴァ書房、2017年7月10日、217頁。ISBN 978-4-623-07998-8 
  44. ^ 伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』ミネルヴァ書房、2017年7月10日、247頁。ISBN 978-4-623-07998-8 
  45. ^ 伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』ミネルヴァ書房、2017年7月10日、244,245頁。ISBN 978-4-623-07998-8 
  46. ^ 伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』ミネルヴァ書房、2017年7月10日、240頁。ISBN 978-4-623-07998-8 
  47. ^ 伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』ミネルヴァ書房、2017年7月10日、250頁。ISBN 978-4-623-07998-8 
  48. ^ 伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』ミネルヴァ書房、2017年7月10日、233,250,257頁。ISBN 978-4-623-07998-8 
  49. ^ 伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』ミネルヴァ書房、2017年7月10日、260頁。ISBN 978-4-623-07998-8 
  50. ^ Special Investigation, Attorney General's Office, "Reactions of Koreans Residing in Japan and Other Circles to the Compulsory Deportation of Koreans", 1951年1月15日
  51. ^ 在日朝鮮人の全員送還を望む”. Wikisource.org. 2023年1月29日閲覧。
  52. ^ テッサ・モーリス-スズキ (2005年). “冷戦と戦後入管体制の形成”. 季刊前夜 第1期3号: pp.61-76. 
  53. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  54. ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ. https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140111-1242409.html 2022年6月23日閲覧。 
  55. ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0 
  56. ^ a b c 小林一三『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  57. ^ イニシエーションスピーチ海保邦男会員大宮西ロータリークラブ週報、2016年12月23日






小林一三と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小林一三」の関連用語

小林一三のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小林一三のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小林一三 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS