在日朝鮮人の帰還事業 背景

在日朝鮮人の帰還事業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 05:54 UTC 版)

背景

在日朝鮮人

在日朝鮮人が集団帰国の際に記念として寄贈した像。旧米原小学校(滋賀県)にて。

在日朝鮮人は、朝鮮半島の日本統治時代1910-1945年)に様々な事情で日本本土へ移った者、韓国政府による虐殺(済州島4・3事件)から逃れるための者も一部には居たが、大多数は第二次世界大戦後に出稼ぎや朝鮮戦争の勃発などにより自ら密入国し、そのまま日本に居留した者が多かった。そうした人々の中には、日本人と同様に朝鮮特需などによる恩恵を享受した者もいたが、依然として生活に困窮していた者も多かった。特に1956年(昭和31年)の生活保護費の削減と1957年(昭和32年)から翌1958年(昭和33年)にかけてのなべ底不況は貧困層の生計を直撃していた[20]

在日朝鮮人の間では、朝鮮戦争による荒廃からの復興が進まず、また政情不安を理由に、韓国への帰国を不安視する一方で、「社会主義体制のもとで千里馬運動により急速な復興を実現した」とされていた北朝鮮への憧れもあった。

当時、社会主義国の北朝鮮と資本主義国韓国の体制間競争では北朝鮮が優位に立っていた[注釈 3]朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」「衣食住の心配がない」と宣伝し、それに呼応した日本の進歩的文化人革新政党・革新団体が繰り返し北朝鮮の経済発展の様子を伝え、在日朝鮮人に帰国の決意を促した[20]。特に北朝鮮を訪問して礼賛した寺尾五郎の『38度線の北』は、帰国希望者に大きな影響を与えたといわれる[21]

当時の日本における民族差別も、特に子供の教育や将来を見据えたときに、北朝鮮への帰国・移住を選択させる一因となった。これらの社会的な背景が、爆発的な運動の拡大をもたらしたとみられる[20]

日本共産党

コミンテルンの一国一党の原則から、戦後すぐの日本共産党の党員の三分の一が在日朝鮮人で占められていた。その後、朝鮮総連の組織に枝分かれした点からは、朝鮮総連は「元」日本共産党員の集合体と言える。「帰国三団体」と呼ばれた朝鮮総連、日朝協会、帰国協力会のうち、日朝協会、帰国協力会の事務局は、殆どが日本共産党員で占められた。『38度線の北』は当時日本共産党員の著者によるもので日本共産党の下部出版社である新日本出版社が出版した。北朝鮮の発展を大々的に描く礼賛的なもので、帰国希望者に大きな影響を与えた[22]

北朝鮮

帰国を呼びかけた北朝鮮の金日成首相

北朝鮮政府は日本政府との対話チャンネルを確保し、日朝国交正常化のきっかけとしたいという思惑があった。同時に進行されていた日本と韓国との国交正常化(日韓基本条約締結)を牽制する目的もあった。在日朝鮮人の「北送」を理由として、日韓会談は一度ならず中断している[23][24]

冷戦時代、資本主義国から共産主義国への集団的移住には、体制の優位性を宣伝する効果があった。北朝鮮は帰国事業を推進する過程で朝鮮総連を指導下に置く一方、事業を推進した日本側支援者を通して北朝鮮の「実績」を宣伝することで、北朝鮮支持の運動を日本に広めることができた[23]

また、朝鮮戦争で荒廃した国土を再建するための労働力補充も目的だったとする見方もあるが[1]、北朝鮮側の政策資料に日本から帰還した朝鮮人の影響が現れないことや、北朝鮮への帰還者には労働力としては期待できない被扶養世代が多く含まれていることから、このような大規模な移住を推進する直接の原因と考えにくいとして疑問視する声もある[23][24]

金日成は、在日朝鮮人を北朝鮮に帰国させることができれば、それを人質として60万におよぶ在日朝鮮人を北朝鮮の政治的影響下におくことができることを見通していたという[1]。そして、それはすべてではないにせよ、かなりの部分で成功し、一方では在日朝鮮人から金品を収奪する道を開くことができた[1]。朝鮮総連は、北朝鮮への帰国に際して持ち出し可能な金額を1人4万円までと制限し、余った金を朝鮮総連に寄付させた[1]。総連中央本部や朝鮮学校は帰国者の寄付によって作られたものであり、この金で日本の政界工作も活発に行ったのである[1]

日本

記事「北鮮が日本法律家協会へ書簡」(RPニュース、1958年)。強制送還に関する日本政府と韓国政府とのあいだの合意は国際法違反であるとの旨の抗議が行われた (PDF)。

日本政府は1955年(昭和30年)末から在日朝鮮人の大量帰国を検討し始めた[25]。背景として、在日朝鮮人への生活保護費の負担が財政を圧迫していたほか[注釈 4]、在日朝鮮人の高い犯罪率(日本人の6倍)[25][27]、在日朝鮮人と日本の左翼運動の連携への懸念[25][27]があげられる。

「在日朝鮮人帰国協力会」結成の際は日本側の呼びかけ人になったのは日朝協会で主導的な役割を担っていた社会党議員、共産党議員だけでなく、小泉純也鳩山一郎など自民党議員も加わっており党派の枠を超えて推進された。日本社会党系・日本共産党系の関係者が帰国事業に取り組んだ背景には、北朝鮮の社会主義を宣伝することで、日本における政治的影響力の拡大を狙った所が大きい[28]。日本共産党は「アカハタ」で、社会主義社会の優位性を示す見出しを使い、1959年には一面で40回以上にわたり帰国事業を熱心に報道した[29]

1958年(昭和33年)1月の『朝鮮の声』によれば、日本政府と韓国政府は1957年(昭和32年)12月31日に抑留北朝鮮人約1700名のうち500名を日本国内で解放し、残り1200名を韓国へ強制送還することで合意したが、北朝鮮民主法律家協会はこれを居住移転の自由の侵害であり国際法違反であるとして、翌月に日本国際法律家連絡協会の会長長野国助あてに抗議の書簡を送った[30]

韓国

韓国は朝鮮戦争による荒廃からの復興が立ち遅れており、かつ農村部を中心に過剰な人口を抱えていたために在日朝鮮人の受け入れには消極的だった。また帰国事業については「北送」と呼び、在日朝鮮人に対する自国の管轄権を侵すものとして、在日本大韓民国民団(民団)とともに強硬に反対した[31]1959年(昭和34年)、日朝両赤十字社による交渉の進展が明らかになると、韓国政府は日韓会談(第4次)の中止や李承晩ラインに伴う日本人漁夫抑留の継続、貿易断交などを宣言し、日韓国交正常化交渉は一時中断状態に陥った[32]。同時に、大量のテロ工作員を日本に送り込み爆破テロを企てた(新潟日赤センター爆破未遂事件)。

韓国政府のこのような反発は、居住地選択の自由という人道主義を尊重する国際社会からの支持を得られなかった。その後、韓国政府は北朝鮮に対抗して、韓国への帰国事業を進めようとしたが、帰国や定住に関わる費用を日本に負担するよう求めたため、実現しなかった[33]


注釈

  1. ^ 1959年時点での「韓国」籍は約13万人であった[1]
  2. ^ 日本のハンセン氏病施設に当時750人余りの朝鮮人がいて、その内150人余りが帰還を希望していたが、北朝鮮は受け入れを拒否した[12]
  3. ^ 1950年代から1960年代初頭、北朝鮮はソ連よりの豊富な経済援助により重工業ダム建設などのインフラ整備において経済的に韓国を圧倒していた。
  4. ^ 1955年における在日朝鮮人の平均保護率は24.06%で、日本人(2.15%)の11倍以上だった[25]。1956年から57年にかけて法務省が実施した生活保護削減[25]後の1958年10月時点でも在日朝鮮人の平均保護率は13.3%で、日本人(1.8%)の7倍以上だった[26]
  5. ^ 青山健煕は、朝鮮赤十字会が世界各国の赤十字社のような人道主義にもとづいた民間団体ではなく、朝鮮労働党統一戦線部に帰属する工作機関であることを明らかにしている[72]。青山は、この事実を2002年(平成14年)6月20日に日本外務省にレポートとして提出した[73]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『北朝鮮という悪魔』(2002)巻頭解説(佐藤勝巳)pp.14-17
  2. ^ 石高(1997)p.69
  3. ^ 「北送・人道名目の追放だった」(2004.5.26 「民団新聞」)
  4. ^ a b 鄭大均(2006)p.12
  5. ^ 朴正鎮「北朝鮮にとって『帰国事業』は何だったのか」(2005)p.185
  6. ^ テッサ.M.スズキ(2007)p.188
  7. ^ 衆院外務委員会1958-3-18
  8. ^ 『中野重治全集 14巻』 pp.453-457
  9. ^ 朝日新聞朝刊(1959.12.25)[1]
  10. ^ 金賛汀(2007)
  11. ^ 『片岡薫シナリオ文学選集2巻』(1985、竜渓書舎)
  12. ^ 関貴星(2003)pp.223-236
  13. ^ 「かるめぎ85号」
  14. ^ 高崎「帰国問題の経過と背景」(2005)p.39
  15. ^ 高崎「帰国問題の経過と背景」(2005)p.50
  16. ^ 북송 재일교포 10만명 - KBS NEWS(韓国放送公社(韓国語)(KBS9時ニュース、1991年9月3日)
  17. ^ 小此木(1997)p.411
  18. ^ 高崎「帰国問題の経過と背景」(2005)p.49
  19. ^ 朴正鎮「北朝鮮にとって『帰国事業』は何だったのか」(2005)p.206
  20. ^ a b c 高崎「帰国問題の経過と背景」(2005)pp.31-34
  21. ^ 高崎「寺尾五郎の北朝鮮論」(2005)p.272
  22. ^ 柳沢滋雄「ガラパゴス政党 日本共産党の100年」(2020)p.120-125
  23. ^ a b c 高崎「帰国問題の経過と背景」(2005)pp.29-31
  24. ^ a b 朴正鎮「北朝鮮にとって『帰国事業』は何だったのか」(2005)pp.194-196
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  33. ^ 高崎『検証 日韓会談』(1996)p.97
  34. ^ 北朝鮮帰還三ヵ月の表情 =きょう第十船が出る= 希望者ふえる一方 民団側は“韓国視察”で対抗」『朝日新聞』1960年2月26日付朝刊
  35. ^ 朝日を批判する産経や読売も所詮は同じ穴の狢北朝鮮への「帰国」を煽ったメディアの無責任 メディア批評 :ロジスティクス・ビジネス LOGI-BIZ バックナンバー
  36. ^ かるめぎ NO.22 1998.07.01 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
  37. ^ 黒田・市川(2006)p.160
  38. ^ テッサ.M.スズキ(2007)p.295
  39. ^ 「[「北」へ渡った妻たち]証言・帰還事業(中)小部屋で最後の意思確認(連載)」(『読売新聞』1997年11月6日、東京夕刊、22面)
  40. ^ 「帰国事業で北に渡った在日朝鮮人、最下層に分類」 (朝鮮日報 2006.8.5)
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  43. ^ 青山『北朝鮮という悪魔』(2002)pp.42-47
  44. ^ 鄭箕海 (1995)pp.52-53
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  72. ^ 青山『北朝鮮 悪魔の正体』(2002)pp.297-307
  73. ^ 青山『北朝鮮 悪魔の正体』(2002)pp.308-311





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