新潟赤十字センターでの出国手続き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:36 UTC 版)
「在日朝鮮人の帰還事業」の記事における「新潟赤十字センターでの出国手続き」の解説
帰還者たちは日本各地の3,655箇所に設けられた日本赤十字社の窓口(多くは、地方自治体が窓口となった)で帰国申請の手続きをおこなった後、特別列車に乗って新潟に設けられた赤十字センターへ向かった。 元米軍キャンプを転用した新潟赤十字センターは、広さが約9.2ヘクタールあり、宿舎や事務棟のほか、診療所・売店・銀行などが用意され、帰還者たちが出国までの4日間を過ごした。帰還者たちは広い講堂のような宿舎で元居住していた都道府県単位に集められ、在日朝鮮人の料理人によって調理された朝鮮風の料理が供された。初代センター長を務めた小沢辰男は、反対派の妨害工作にもっとも神経を使ったという。 また、赤十字センターでは、国際赤十字の立会いのもと、帰国が自由意志によるものかを確認する面接が行われ、その後に出国の手続きが行われた。
※この「新潟赤十字センターでの出国手続き」の解説は、「在日朝鮮人の帰還事業」の解説の一部です。
「新潟赤十字センターでの出国手続き」を含む「在日朝鮮人の帰還事業」の記事については、「在日朝鮮人の帰還事業」の概要を参照ください。
- 新潟赤十字センターでの出国手続きのページへのリンク