プロイセン王国 軍事

プロイセン王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 05:57 UTC 版)

軍事

1868年当時の制服とサーベルフリードリヒ・ニーチェが除隊する際に撮影

上述のようにプロイセン王国は強力な軍事国家であった。フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は宮廷費削減から出た余剰金の大半を軍隊強化に使った。その結果、プロイセンの軍事力は大幅に拡大し、公国時代にスウェーデン領だったオーデル川右岸、カミン侯領を奪取、その後はフリードリヒ2世治下でオーストリア継承戦争七年戦争ポーランド分割により領土を拡張し、プロイセンは軍国化が進んだ。また、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は身長2m超の兵隊を集めて巨人連隊を編成し、宮廷の庭を壊して練兵場を作ったほど軍隊に対して積極的だった。

フリードリヒ・ヴィルヘルム大選帝侯が常備軍に設けた「兵站幕僚」は、王国時代にプロイセン参謀本部へと発展し、のちに各国の参謀本部の模範とされた。

陸軍国家の印象が大きいプロイセンであるが、1848年に成立した海軍も保有していた。1854年に海軍大将に任命された王族のハインリヒ・ヴィルヘルム・アーダルベルトは、プロイセン海軍ドイツ語版英語版の成立に貢献した。しかし、プロイセン艦隊には特に大きな戦艦はなく、プロイセン海軍は弱小だった。

戦争論』を著したカール・フォン・クラウゼヴィッツもプロイセン時代の将軍である。

当時在学中のフリードリヒ・ニーチェ一年志願兵として砲兵師団へ志願入隊したが、落馬事故による大怪我と強度の近眼のため除隊し、招聘されたバーゼル大学で哲学者への道を歩み始める。

地方行政

プロイセン王国は12の州(Provinz)から成り立っており、州は最大の地方行政単位である。長官は州総督(Oberpräsident)で州の行政に対する全責任を負い、内務大臣に直属する。単に国家行政のみならず、州内の地方自治体をも管理し、プロイセンの大臣を除いて最も政治的に重要な地位にある。各州はシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州を除いて2つ以上の県(Regierungsbezirk) に分かれ、全プロイセンに34県(1906年以降35県)が存在する。県知事(Regierungspräsident)は純粋に中央政府の行政官であり、地方自治体とは無関係である。県の全般にわたる重大な行政は県知事と県の上級参事官(Oberregierungsrat)、参事官(Regierungsrat)によって構成される委員会(Kollegium)で討論され、独裁されずに議論により集団的に決定される。県知事は県の一般行政を担当し、県の官吏に対して賞罰権をはじめとする個人的な権威をもち、県およびその部局の決定に対して拒否権をもち、とくに郡長(Landrat)を監督した。郡長は郡議会の推薦者を王が任命し、国家行政の上では直接には県知事の、最後は州総督の監視下におかれる。彼は地方自治に関する問題では地方住民と密接な関係があり、その代表者でもある。しかしまた内相によって派遣された中央政府の役人としては、郡の自治体を監視し、警察、軍隊関係の事務処理、国家の直接税徴収などにあたる[30]

日本語名 ドイツ語名 州都 備考
ブランデンブルク州 Provinz Brandenburg ポツダム
東プロイセン州 Provinz Ostpreußen ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード
西プロイセン州 Provinz Westpreußen ダンツィヒ(現ポーランド領グダニスク
ポンメルン州英語版ドイツ語版 Provinz Pommern シュテッティン(現ポーランド領シュチェチン
シュレージエン州 Provinz Schlesien ブレスラウ(現ポーランド領ヴロツワフ
ポーゼン州 Provinz Posen ポーゼン(現ポーランド領ポズナン ポーランド人の自治領であったポズナン大公国を廃止して1848年に設置。
ユーリヒ=クレーフェ=ベルク州 Provinz Jülich-Kleve-Berg ケルン 1822年廃止
ニーダーライン州 Provinz Großherzogtum Niederrhein コブレンツ 1822年廃止
ヴェストファーレン州 Provinz Westfalen ミュンスター
ザクセン州 Provinz Sachsen マクデブルク 1815年にザクセン王国から割譲。割譲後のザクセン王国の領土からなる現在のザクセン州とは完全に領域が異なる。

更に1822年、ユーリヒ=クレーフェ=ベルク州とニーダーライン州は合併し、コブレンツを州都とするライン州(Rheinprovinz)が設置された。1829年には東プロイセン州と西プロイセン州を合併してケーニヒスベルクを州都とするプロイセン州Provinz Preußen)が設置されたが、これは1878年に元へ戻された。1849年にはホーエンツォレルン家の遠戚が統治していたホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯国とホーエンツォレルン=ヘヒンゲン侯国を併合、両侯国を併せて州都をジグマリンゲンとするホーエンツォレルン州(Hohenzollernsche Lande)が設置された。

このほか、1866年の普墺戦争に勝利した後、プロイセンは獲得した新領土に以下の州を置いた。

日本語名 ドイツ語名 州都 備考
ハノーファー州 Provinz Hannover ハノーファー ハノーファー王国
ヘッセン=ナッサウ州 Provinz Hessen-Nassau カッセル ヘッセン選帝侯国およびナッサウ公国
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州 Provinz Schleswig-Holstein キール
(1879年から1917年まではシュレースヴィヒ
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国

都市

下はプロイセン王国の主な都市である。現在ではロシア領やポーランド領に編入されたため、都市名が変わっている場合が多い。

ブランデンブルク州

東プロイセン州

西プロイセン州

シュレージエン州

ポンメルン州

ポーゼン州

ヴェストファーレン州

ライン州


注釈

  1. ^ エストニアリヴォニアクールラントなど、現在のバルト三国にあたる地域にもドイツ人が入植している(バルト・ドイツ人)が、国家を形成するほどの規模ではなかった。
  2. ^ 明治初期の日本の通貨「明治通宝」はドイツ帝国ヘッセン大公国フランクフルトで印刷され、1881年には獨逸学協会( Verein für deutsche Wissenschaften)も設立された。

出典

  1. ^ 邦正美『ベルリン戦争』、朝日新聞社、1993年。ISBN 9784022595737
  2. ^ German Empire: administrative subdivision and municipalities, 1900 to 1910” (German). 2007年5月2日閲覧。
  3. ^ a b Königreich Preußen (1701-1918)” (German). 2007年5月2日閲覧。
  4. ^ German Empire: administrative subdivision and municipalities, 1900 to 1910” (German). 2007年5月2日閲覧。
  5. ^ a b c 『教養としての「地政学」入門』日経BP、2021年3月1日、93-94頁。 
  6. ^ a b 『教養としての「地政学」入門』日経BP、2021年3月1日、96頁。 
  7. ^ 『戦争と外交の世界史』日経ビジネス人文庫、2022年8月1日、385頁。 
  8. ^ 『教養としての「地政学」入門』日経BP、2021年9月10日、92-93頁。 
  9. ^ (書評)『創造された「故郷」 ケーニヒスベルクからカリーニングラードへ』:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2019年4月6日). 2023年9月9日閲覧。
  10. ^ シャルル・イグネ『ドイツ植民と東欧世界の形成』宮島直機訳、彩流社、1997年。ISBN 4882024446
  11. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション『復古記綱文 150巻 一』復古記巻十」1867年(慶応3年)12月16日 (2018年9月26日閲覧。)
  12. ^ 毛利敏彦『江藤新平―急進的改革者の悲劇』<中公新書>中央公論社、1987年。ISBN 978-4121008404
  13. ^ 第2版,世界大百科事典言及. “フリードリヒ・ウィルヘルムとは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年9月9日閲覧。
  14. ^ 『教養としての「地政学」入門』日経BP、2021年3月1日、97頁。 
  15. ^ a b Bundesdruckerei「ドイツ連邦印刷局の歴史」(英語版)。
  16. ^ a b 高橋秀行 工業化始動期におけるベルリーン経済圏の変容 : 18世紀末-19世紀30年代 国民経済雑誌 173(3), 15-34, 1996-03
  17. ^ 成瀬治, 山田欣吾 & 木村靖二 1996, p. 280/283-289.
  18. ^ エンゲルベルク 1996, p. 238-239.
  19. ^ 成瀬治, 山田欣吾 & 木村靖二 1996, p. 294-298.
  20. ^ エンゲルベルク 1996, p. 299-301.
  21. ^ 前田光夫 1980, p. 40/51-52.
  22. ^ エンゲルベルク 1996, p. 321-339.
  23. ^ クロスアジア『プロイセンの日本遠征』。2022年7月17日閲覧。
  24. ^ 内閣官報局『日普修好通商条約』《法令全書 慶應3年》。1887年。
  25. ^ 外務省『外交史料館』第一部 明治前期の外交
  26. ^ 藤村幸雄 1967.
  27. ^ 『戦争と外交の世界史』日経ビジネス人文庫、2022年8月1日、360頁。 
  28. ^ 『戦争と外交の世界史』日経ビジネス人文庫、2022年8月1日、361頁。 
  29. ^ 精選版 日本国語大辞典. “プロイセン王国(ぷろいせんおうこく)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年9月10日閲覧。
  30. ^ 村瀬興雄『ドイツ現代史』東京大学出版会、1980年、38-95頁。






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