サファリラリー 地元勢の活躍 

サファリラリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 07:56 UTC 版)

地元勢の活躍 

1965年、ボルボ・PV544で優勝したジョギンダ・シン

サファリで活躍する地元勢としてジョギンダ・シン、シェカー・メッタらがおり、世界の強豪メーカーへ対向するもまだ熟成の進んでいないスポット参戦の日本メーカー勢は起用しつづけ、地の利を活かす様になる。 また、メッタは5回優勝(1973年1979年-1982年)と言う金字塔を打ち立てている。

1965年、ジョギンダ・シンがボルボ・PV544を駆り初優勝するが、この時にシンが駆っていたPV544は前年、ボルボ・ワークスが駆って大破させたマシンをケニアに残して行ったものであり、シンによって修復されたマシンを駆っての優勝であった[10]

ヨーロッパ勢、スペシャリストの活躍 

1978年ポルシェ911SC3.0(ビヨン・ワルデガルド車)

1953年の第一回大会には「総合優勝」が設定されていなかったが、最短時間でゴールしたのは最下位クラスのフォルクスワーゲン・タイプ1であった。翌年に総合優勝が設定されてからもタイプ1は一着でゴールし、ラリーにおけるタイプ1の強さを知らしめることとなった。

70年代よりランチアポルシェ等のワークスで活躍していたスペシャリストが1990年代初めごろまでサファリで活躍しており、中でもビョルン・ワルデガルドは1974、77、84、86、90年に優勝。そこから2002年のWRC戦内では続いてコリン・マクレーユハ・カンクネンが3勝している。

チームのサポート体制は70年代を見てみると、ランチアチームのサポートカー(ベータ・クーペ等)に現地民から投石され、ウインドウを割られる事[11] もしばしばあり、ランチア・ストラトスで長丁場であるサファリを攻略する事から、他チームよりステージ内サービス(当時は路上でのサービスが許されていた)、ヘリコプター・セスナの数をチームの独断で増やしたことから他チームよりクレームがつくほどであった。

優勝者

1978年優勝J-P・ニコラが駆ったプジョー504V6クーペ
1983年優勝アリ・バタネンが駆ったオペル・アスコナ400
1991年優勝ユハ・カンクネンが駆ったランチア・デルタHFインテグラーレ16v
ドライバー/コ・ドライバー 搭乗車 チーム
1970年 エドガー・ヘルマン/
ハンス・シューラー
ダットサン・510SSS ダットサン
1971年 日産・240Z
1972年 ハンヌ・ミッコラ/
グンナー・パウム
フォード・エスコートRS1600
1973年 シェカー・メッタ/
ロフティ・デレウス
日産・240Z
1974年 ジョギンダ・シン/
デビット・ドイグ
三菱・ランサー
1975年 オヴェ・アンダーソン/
アーネ・ハーツ
プジョー・504
1976年 ジョギンダ・シン/
デビット・ドイグ
三菱・ランサー
1977年 ビヨン・ワルデガルド/
ハンス・ソルセリウス
フォード・エスコートRS1800
1978年 ジャン=ピエール・ニコラ/
ジャン=クロード・レフェブル
プジョー・504 V6クーペ
1979年 シェカー・メッタ/
マイク・ドゥーティー
ダットサン・160J ダットサン
1980年
1981年 ダットサン・バイオレットGT
1982年 日産・バイオレットGT 日産
1983年 アリ・バタネン/
テリー・ハリマン
オペル・アスコナ400 ロスマンズ・オペル ラリーチーム
1984年 ビヨン・ワルデガルド/
ハンス・ソルセリウス
トヨタ・セリカTCT ウエストランド・モータース
1985年 ユハ・カンクネン/
フレッド・ギャラガー
ウエストランド・モータース
1986年 ビヨン・ワルデガルド/
フレッド・ギャラガー
トヨタ・チーム・ヨーロッパ
1987年 ハンヌ・ミッコラ/
アーネ・ハーツ
アウディ・200クワトロ アウディ・スポーツ
1988年 ミキ・ビアシオン/
ティツィアーノ・シビエロ
ランチア・デルタHFインテグラーレ マルティーニ・ランチア
1989年
1990年 ビヨン・ワルデガルド/
フレッド・ギャラガー
トヨタ・セリカGT-FOUR トヨタ・チームケニア
1991年 ユハ・カンクネン/
ユハ・ピロネン
ランチア・デルタHFインテグラーレ16v マルティーニ・ランチア
1992年 カルロス・サインツ/
ルイス・モヤ
トヨタ・セリカターボ4WD トヨタ・チームケニア
1993年 ユハ・カンクネン/
ユハ・ピロネン
トヨタ・カストロールチーム
1994年 イアン・ダンカン/
デイビッド・ウイリアムソン
1995年 藤本吉郎/
アーネ・ハーツ
1996年 トミ・マキネン/
セッポ・ハルヤンヌ
三菱・ランサーエボリューションⅢ チーム三菱・ラリーアート
1997年 コリン・マクレー/
ニッキー・グリスト
スバル・インプレッサ WRC 555スバル・ワールドラリーチーム
1998年 リチャード・バーンズ/
ロバート・レイド
三菱・カリスマGT エボリューションIV チーム三菱・ラリーアート
1999年 コリン・マクレー/
ニッキー・グリスト
フォード・フォーカスWRC フォード
2000年 リチャード・バーンズ/
ロバート・レイド
スバル・インプレッサWRC スバル・ワールド・ラリーチーム
2001年 トミ・マキネン/
リスト・マニセンマキ
三菱・ランサーエボリューション6.5 マールボロ・三菱・ラリーアート
2002年 コリン・マクレー/
ニッキー・グリスト
フォード・フォーカスWRC フォード
2020年 中止
2021年 セバスチャン・オジェ
ジュリアン・イングラシア
トヨタ・ヤリスWRC トヨタ・ガズー・レーシング・ワールド・ラリー・チーム
2022年 カッレ・ロバンペラ
ヨンネ・ハルットゥネン
トヨタ・GRヤリス ラリー1
2023年 セバスチャン・オジェ
ヴァンサン・ロンデ

※1973年以降WRCイベントとして開催。1995年はFIA 2リッターワールドカップのみ[12]


  1. ^ "2002年世界ラリー選手権第8戦 2002年プロダクションカー世界ラリー選手権第5戦 【7月5日(金) 事前レポート】". 三菱自動車.(2002年7月5日)2014年1月22日閲覧。
  2. ^ 年によってはスーパースペシャルステージ (SSS) 的に設定されたことがある。
  3. ^ "1997世界ラリー選手権(WRC)第3戦 555サファリラリー ". 三菱自動車.(1998年)2013年1月22日閲覧。
  4. ^ ラジエーターは通常車両前部に置かれ、壊れることは水冷エンジンにとってはリタイアを意味する。
  5. ^ 三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「ピエロ・ソダーノ」より抜粋参考。
  6. ^ これは、過酷な道路事情より通常のグループN相当のレッキ車では、レッキの完了が危うい為でもある。
  7. ^ 三菱自動車 モータースポーツヒストリー ランサー 1600GSR
  8. ^ トヨタ自動車75年史 モータースポーツ活動の変遷
  9. ^ 『WRC PLUS 2008 Vol.6』P84-91
  10. ^ 三栄書房「ラリー&クラシックス Vol.4 ラリーモンテカルロ 100年の記憶」内「ラリーモンテカルロ・ヒストリック マシン総覧」より抜粋、参考。
  11. ^ ラリー・モンテカルロの「雪塊」のような贔屓。
  12. ^ 全体的に rallybase.nl Safari Rally Roll of Honour 参考。2012年9月1日参照。


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