サティヤ・サイ・ババ
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生涯
サイ・ババは、1926年11月23日に南インド、アーンドラ・プラデーシュ州アナンタプラム県のプッタパルティという小村の貧しいラトナーカラム家に生まれ、サティヤ・ナーラーヤナ・ラージュ (Sathya Narayana Raju) と名づけられた。
1940年5月23日、14歳の時、自分はシルディ・サイ・ババ(シルディ・サーイー・バーバー)の生まれ変わりで、シヴァとシャクティのアヴァター(化身)であり、人々の悩みを取り払うために降臨したと宣言し、サイ・ババ(サーイー・バーバー)を名乗ることにした。ちなみに、このサーイー・バーバー(Sāī Bābā)という名称は「聖なる父」という意味で、サーイー (Sāī) はペルシャ語で「聖なる者」、「聖者」(通常はイスラーム教の苦行者)を意味し、バーバー(Bābā) はインド語圏で「父」を意味していた。
1940年10月20日に家を出てから説法を始めると、不治の病を治すといった数々の奇跡が人々に知られるようになり、サイ・ババの名前は次第にインド全土に広がっていった。1960年代末には、インド人やインド系の民族を中心に世界各国に数百万人以上の信奉者をもつようになった。サイ・ババの講話を編纂した書籍とサイ・ババとの体験をつづった本は数百冊出版され、さまざまな国で翻訳されるようになった。
1990年代には、シャンカルダヤール・シャルマー元インド大統領や、ナラシンハ・ラーオ元インド首相らがサイ・ババを表敬訪問した。日本では青山圭秀がサイ・ババを取り上げ、『理性のゆらぎ』(1993年)、『アガスティアの葉』(1994年)、『真実のサイババ』(1994年)を出版した。サイババとアガスティアの葉は、紹介者の青山が東大の大学院を出た理学博士・医学博士という理系のエリートだったこともあり人気となり、現実社会に生きることに不安を抱え、神秘的なもの、霊的なものに興味を持つ人々の注目を集めた。青山の本を読んでサイババに興味を持った棋士の林葉直子が、内弟子として住み込んでいた棋士の米長邦雄のもとから、インドのサイババに会いに行くと言い残して失踪し(林葉は実力のある棋士だったが、最盛期を過ぎ、曲がり角の時期だった)、これがワイドショーや女性週刊誌などで盛んに報道されたことから、サイババの存在は広く日本社会に知られ、サイババ・ブームが起こった[4]。当時テレビで活躍していた霊能者の宜保愛子がサイババに会いに行く番組など、関連する番組が数多く作られた[4]。
1994年、サイ・ババは、長年深刻な水不足に悩まされ干魃と食糧飢饉に苦しんでいた南インドのアーンドラ ・プラデーシュ州、アナンタプール地区に住む300万を超える人々に対し、飲料水を供給する「恵みの水」プロジェクトを開始すると宣言した。そして総延長距離が日本列島の長さに達するほどの水道施設工事を開始から10ヶ月という驚異的な短期間に成し遂げ、1995年11月23日に完成式典が行われた。このプロジェクトは、1997年10月にアンドラ・プラデーシュ州政府に正式に引き渡された[5][6]。1999年、「恵みの水」プロジェクトに対する業績を記念して政府から切手が発行された [2]。
1990年代末から2000年にかけて、イギリス人のデヴィッド・ベイリー(ピアニスト)らがサイ・ババのバッシングを始め、マスコミやインターネット上でさまざまな噂が飛び交い、信奉者が減少した。2000年9月、ユネスコはこれらの批判報道を憂慮し、サイ・ババの教育団体とユネスコの共催で開催予定だった教育会議への共催と参加を撤回した。2004年2月5日、ユネスコは、インド政府ユネスコ常任代表に2000年の教育会議の一件に関する謝罪文を提出した(原文・訳文参照)。
2001年を迎えるとサイ・ババの活動は見直され、再び信奉者が増え始め、無料の病院や学校、水道設備の供給といったサイ・ババの社会奉仕事業が高く評価されるようになった。2001年、国連ハビタットはサイ・ババの提唱するヒューマンバリュー教育(EHV)を用いた水教育をアフリカ諸国で開始した。2004年には国連ハビタットとアジア開発銀行がサイ・ババのヒューマンバリュー教育をアジア太平洋地域の水教育に導入するプロジェクトを開始した[7]。
2001年11月23日にノーベル賞の選考機関ノルウェー・ノーベル・インスティトュート所長でありワールドスペース社(Worldspace)理事であるマイケル・ノーベルが、主要アシュラムである「プラシャーンティ・ニラヤム」を訪れ、世界中を放送対象地域とする24時間放送の衛星ラジオ局、サイ・グローバル・ハーモニーを寄贈した[8]。初回放送は、2001年11月23日。
以降、2000年代には、アブドゥル・カラムインド元大統領、マンモハン・シンインド元首相をはじめ、インド各州の要人などが、サイ・ババを表敬訪問している。アメリカではミズーリ州セントルイス市のフランシス・レイ市長が2005年9月11日を、アーカンソー州リトルロック市のジム・デイリー市長が2005年11月23日を、各市のサティヤ・サイ・ババの日に制定した[9]。
また、5つの普遍的人間的価値(真実・正しい行い・平安・愛・非暴力)を主体とするサイ・ババの教育法は、カナダでブリティッシュコロンビア州[10]、オンタリオ州ブランプトン市[11]、アルバータ州ストラスコーナ・カウンティー市[12]、オンタリオ州オーロラ町[13]などの地方自治体がヒューマン・バリューの日を制定して、サイ・ババの教育法を推奨している。サイ・ババによって1969年に始められた子供の開花という意味をもつバルヴィカス教室は、インド国内だけでなく100ヶ国以上で行われている。英国のリシ・スナク首相も、バルヴィカス教室に参加していた[14][15]。
2002年、サイ・ババは長年きれいな飲料水が得られず苦しんでいたタミル・ナードゥ州のチェンナイ市民のため、クリシュナ川から飲用可能な水を引いてくるガンガー・プロジェクトを始めた。2004年にこのプロジェクトは完成した。
2003年2月8日、シュリ サティヤ サイ国際センターにおいて、アブドゥル・カラーム大統領が講演した(原文・訳文参照)。2006年11月22日、シュリ サティヤ サイ大学第25回卒業式には、アブドゥル・カラーム大統領による記念講演が行われた(原文・訳文参照)。2007年1月21日、チェンナイ市のネルー・インドアスタジアムで、サイ・ババに感謝の念を表す市民大会が開かれ、インド内務大臣シヴァラージ・パテール、鉄道大臣ラール・プラサド、通信情報技術大臣ダヤニディ・マラン、タミル・ナードゥ州首相カルナニディ、マハーラーシュトラ州知事S.M.クリシュナ、マハーラーシュトラ州首相ヴィラースラーオ・デーシュムク、カルナータカ州首相H.D.クマーラスワーミらが列席し、それぞれサイ・ババへの感謝の念を表明した("The Hindu" January 22, 2007 より)。
一般企業によりサイ・ババ関連の商品が作られるようになり、多くはサティヤ・サイ・ババの生地プッタパルティや、シルディ・サイ・ババの生地ムンバイを中心に販売されている。その中の一つ、日本では「サイババ香」あるいは「ナグチャンパ」と呼ばれるサティヤ・サイ・ババ・ナグ・チャンパというシュリニヴァース・スガンダラヤ社(SRINIVAS SUGANDHALAYA)製のお香はインド国外にも輸出されている。また、ワーラーナシーの自称サイ・ババの兄弟と名乗るニラ・ババという占い師をはじめ、サイ・ババの名前を用いた商法はインド各地で後を絶たない。しかしサイ・ババは、自分の名を利用した商売を認めていない。彼は「中には、サイの名前を使って商売をしている人々がいます。彼らは、サイの帰依者を装って他者を騙しています。私は、そのような行動には賛成しません。彼らは帰依者などではありません。彼らは、国の内外を問わず、様々な場所に行ってサイの名前を使って金集めをしています。それは重大な犯罪です。私はただの1パイサも人に求めません。私は、決してそのような商売を承認することはありません。」と言っている(2002年7月22日)。
2007年中国の旧正月に、カルマパ17世がサイ・ババのアシュラムに来訪し、カルマパ派の僧侶たちとともにサイ・ババにマントラを捧げた。このマントラは、「サティヤ・サイ・ババのダルシャンを末永く受け続けられますように」という祈りを込めて、カルマパ17世によって作られた [16]。
2008年11月15日から17日の三日間、人類の幸福と世界平和のための大護摩供犠「サハッスラ・プールナ・チャンドラ・ダルシャナ・シャーンティ・マホーッツァヴァム」を約3万人収容の野外スタジアム(ヒルビュー・スタジアム)にて開催、全インドから集まった180人の僧侶がサンスクリット語のヴェーダの吟唱と共に護摩供犠を行い、アーンドラ・プラデーシュ州大臣J・G・レッディなどの要人も儀式に参列した[17]。
2011年3月下旬に呼吸器などの不調のため入院、4月4日には一時危篤に陥るなど容体が悪化し、容態が完全に回復することはなく、その後再び危篤に陥り、4月24日に入院先の病院で心肺不全により85歳で死亡した[18]。葬儀は、国葬(State funeral)として執り行われ[19] 埋葬(土葬)された。葬儀には、マンモハン・シン首相、ソニア・ガンディーらが参列し[20]、プラティバ・デーヴィーシン・パティルインド大統領やマンモハン・シン首相、ダライ・ラマ14世らが追悼の意を示した[21][22][23]。
生前のサイ・ババはインド古来の伝統文化を重んじ、自らもそれを実践し普及を促していた。サイ・ババの団体であるサティア・サイ・オーガニゼーションによるとサイ・ババは自ら予言した通りの歳(インド暦・太陰暦で95歳)で亡くなったとも考えられている[24]。
2013年11月23日、サイ・ババの社会貢献を称え、インド通信情報技術省郵政総局がサイ・ババの記念切手を発行した[25][26]。
- ^ a b サイ・オーガニゼーションのサイトより 「Sai Organization sites」ページ下方に記載あり
- ^ “https://www.youtube.com/watch?v=7vGVNEDEfSg”. 20221211閲覧。
- ^ “UNICEF and Sri Sathya Sai Central Trust to Collaborate”. 20221211閲覧。
- ^ a b 島田 2008, pp. 78–79.
- ^ “The Sri Sathya Sai Central Trust Drinking Water Projects”. United Nations. 20230117閲覧。
- ^ “Anantapur Drinking Water Supply Project”. 20230117閲覧。
- ^ “Mekong Region Water and Sanitation Initiative Assessment Report for the Roll Out Phase 1”. UN-Habitat. p. Annex 1. 6. 20231203閲覧。
- ^ “Radio Sai Global Harmony”. 20221203閲覧。
- ^ “LITTLE ROCK MAYOR PROCLAIMS SRI SATHYA SAI BABA DAY”. 20221203閲覧。 “St. Louis, 11 September 2005 Sathya Sai Baba Day”. 20221203閲覧。
- ^ “Human Values Day Proclamation 2018”. Province of British Columbia. 20221211閲覧。
- ^ ““Human Values Day” in the City of Brampton.”. City of Brampton. 20221211閲覧。
- ^ “Human Values Day in Strathcona County”. Strathcona County. 20221211閲覧。
- ^ “HUMAN VALUES DAY April 24, 2020”. Town of Aurora. 20221211閲覧。
- ^ “Meet the Sunaks of 10 Downing Street Read more at: http://timesofindia.indiatimes.com/articleshow/95090277.cms?utm_source=contentofinterest&utm_medium=text&utm_campaign=cppst”. THE TIMES OF INDIA. 20230118閲覧。
- ^ “Rishi Sunak’s Hindu temple hails Britain’s ‘Obama moment’”. THE TIMES UK. 20230118閲覧。
- ^ “Bhagavan Sri Sathya Sai Baba's Eternal Mantra”. YouTube. 20230116閲覧。
- ^ サイ・ババが大護摩供犠を開催、インドThe Hindu、2008年11月16日
- ^ サイ・ババが危篤から回復、インド The Hindu、2011年4月8日 “インドの霊的指導者、サイ・ババ死去 85歳”. AFPBB News. (2011年4月24日) 2020年1月10日閲覧。 “インドの霊能者、サイババ氏、予言より早く85歳で死去 総資産は8000億円以上”. 産経新聞. (2011年4月24日) 2011年4月24日閲覧。 インドでは数え年および太陰暦で年齢を計算する習慣があり、没年月日時点の数え年は85歳(公式に発表されている死亡年齢)、太陰暦で95歳になる。一般的な太陽暦の数え方では満84歳没となる。
- ^ “Sai Baba buried in state funeral, thousands grieve”. REUTERS. 20230131閲覧。
- ^ “Manmohan, Sonia pay homage to Sai Baba”. The Hindu. 20230131閲覧。
- ^ “PRESIDENT OF INDIA CONDOLES PASSING AWAY OF SRI SATHYA SAI BABA”. 20230131閲覧。
- ^ “PM condoles passing away of Sri Satya Saibaba”. 20230131閲覧。
- ^ “https://www.thetibetpost.com/en/news/35-tpi-short-takes/1632-his-holiness-mourns-the-demise-of-sri-sathya-sai-baba-”. The Tibet Post International. 20230131閲覧。
- ^ ゴールドスティン医学博士(アメリカ合衆国)による声明サイ・オーガニゼーションの公式ページ、2011年4月24日
- ^ “サティヤ サイババの切手”. 20230117閲覧。
- ^ “Commemorative Stamp”. 20230117閲覧。
- ^ インド大統領がサイ・ババに祝辞 The Hindu、2010年11月20日
- ^ [1] ブリッツ紙インタビュー、1976年9月11日号
- ^ 出典:"Sathya Sai Speaks", Vol.1, C19 講話、1959年2月7日
- ^ 出典:"Sathya Sai Speaks", Vol.12, C38 講話、1974年6月19日
- ^ インド首相がサイ・ババに祝辞 The Hindu、2010年11月23日
固有名詞の分類
神秘思想家 |
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