神学者
神学者
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神学者(しんがくしゃ、羅: theologus、希: θεολόγος)は、古代には教父の尊称として用いられて、中世以降は神学の研究者を指す用語。
語法
日本語の「神学者」
日本語において、単に神学(神学者・神学部)といえば、キリスト教のそれを指す。近代以前において「神学」という場合には、神道の用語として今日でいう神道思想家・神道学者を指すこともあった。しかし、神学という用語が theologie(や英語のtheologyなど) の訳語として定着する過程で、神道のそれを指すことはほぼ見られなくなり、公的には1920年(大正9年)の学位令改正によって神学博士[1]の学位が新設された。仏教においてはそもそも「教学」などと呼ばれたため、この種の問題は存在しなかった。
ただし、神学者という表現がキリスト教以外の研究者を指すこともある。主な例はイスラームにみられ、イスラーム神学(カラーム)を学ぶ研究者は「イスラーム神学者」などと呼ばれる。
theologus のもつ重みの変遷
教父時代には、「神学者」は単なる学者ではなく、神の神秘を深く証しした特別な人物に対する尊称であった。正教会(東方教会)では特に聖イオアン、大ワシリイ、グレゴリイ、聖シメオンの四の聖人が「神学者(ὁ Θεολόγος)」の称号を持つ(後述)。この称号は学歴や職業を指すものではなく、三位一体やキリストについて正統的に証言した人物への栄誉称号である。
西方では、中世に大学制度が成立すると、神学(theologia)が学問分野として制度化された。12世紀頃から大学には神学部が設置され、神学者(theologus)は神学を教授・研究する大学教師を意味するようになる。特にパリ大学では、神学博士(doctor in sacra theologia)が最高学位とされた。
主な神学者
古代
古代教父時代においては必ずしも職業としての「神学者」が存在したわけではないが、それでも神学の研究は行われた。アングリカン出身のエキュメニカル神学者であるアリスター・マクグラスは、特に主要な教父として、以下の七名を挙げている。
- ユスティノス
- エイレナイオス(c.130–c.202) – 初期教父で、グノーシス主義への反対を通じて正統神学の骨格を築いた。代表作は『異端反駁』など。
- オリゲネス(前185年 - 253年頃) – アレクサンドリアの神学者。聖書解釈における象徴主義と三重の意味(文字的・道徳的・霊的)を提示した。
- テルトゥリアヌス
- アタナシオス(c.296–373) – アリウス派に対抗し、三位一体を擁護した。『聖霊論』『受肉について』などで正統派キリスト論を確立した。
- アウグスティヌス(354–430) – 西方教会最大の教父。プラトン及び新プラトン主義の影響を受け、原罪、恩寵、時間、三位一体などに関する神学体系を確立した。『告白』『神の国』などを著した。
中世
大学制度の発展は、今日的意味での「神学者」を制度的に確立した。中世の神学部は、大学のなかで最も重要な部門とされ、多くの優秀な神学者を輩出した。その成果はスコラ学と呼ばれる一連の神学に結実した。
- アルクィン(735年頃 - 804年) - カロリング・ルネサンスの中心人物。
- アンセルムス(1033年 - 1109年):スコラ学の父。「理解を求める信仰」、キリストの贖罪論、神の存在論的論証。
- クレルヴォーのベルナルドゥス(1090年 - 1153年):中世最大の霊性神学者。修道院制に絶大な影響を与えた。
- ペトルス・ロンバルドゥス(1100年頃 - 1160年):『命題集』の著者として中世の大学神学の標準を確立。
- ボナヴェントゥラ(1221年? - 1274年):トマスに並ぶ中世の「二大神学者」。トマスがアリストテレス主義であったのに対し、プラトン主義・アウグスティヌスの系統に属するフランシスコ会学派の代表者。
- トマス・アクィナス(1225年 - 1274年):中世最大の神学者。アリストテレス主義の影響のもと、スコラ学を完成。主著は『神学大全』。
- ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス(1266年頃 - 1308年):トマスに並ぶ後期スコラ学の巨匠。
- オッカムのウィリアム(1285年 - 1347年):唯名論の代表的人物。「オッカムの剃刀」でしられる。
近世(宗教改革期)
各教派(改革派・ルター派・英国国教会・カトリック)の主要な神学者としては、以下が挙げられる。
| 神学者 | 教派 | 主要な業績 |
|---|---|---|
| フルドリッヒ・ツヴィングリ | 改革派・スイス宗教改革 | スイス宗教改革(スイス改革派教会)の創始者。「最初の宗教改革者」。 |
| ジャン・カルヴァン | 改革派・スイス宗教改革 | 改革派神学の確立者。予定説、主権的神観。主著『キリスト教綱要』。 |
| マルティン・ルター | ルター派・ドイツ宗教改革 | 宗教改革の中心人物。信仰義認説、聖書主義。主著『九十五箇条の論題』。 |
| フィリップ・メランヒトン | ルター派・ドイツ宗教改革 | ルター派神学の確立者。主著『アウクスブルク信仰告白』。 |
| トマス・クランマー | 英国国教会・イングランド宗教改革 | 『祈祷書』(コモン・プレイヤー)の編纂者。 |
| ロベルト・ベラルミーノ | カトリック | 対抗宗教改革の代表的人物。論争神学(護教論)。 |
| フランシスコ・スアレス | カトリック | 後期スコラ学最大の神学者。近代のカトリック教義、新トマス主義の実質的な確立者。 |
近代(19世紀〜20世紀前半)
| 神学者 | 教派 | 主要な業績 |
|---|---|---|
| ヘルマン・バーフィンク | 改革派 | 「カルヴァン主義三大神学者」の一人。 |
| カール・バルト | 改革派 | 弁証法神学、危機神学、新正統主義。 |
| フリードリヒ・シュライアマハー | ルター派 | 自由主義神学。 |
| ディートリヒ・ボンヘッファー | ルター派 | ナチズムへの抵抗運動。 |
| パウル・ティリッヒ | ルター派(自由主義神学) | 宗教社会主義。 |
| ジョン・ヘンリー・ニューマン | 英国国教会→カトリック | オックスフォード運動。後にカトリックに改宗。 |
| ジョン・ネルソン・ダービー | 英国国教会 | ディスペンセーション主義。 |
| セルゲイ・ブルガーコフ | 正教会(ロシア正教会) | 定理神学の体系化。共産主義への抵抗運動。 |
現代(20世紀後半〜21世紀前半)
Ford (2005)[2]は、20世紀・21世紀の英米系神学に影響を与えた人物を中心に、上述のバルト、ボンフェッファー、ティリッヒに加えて、カトリックではド・リュバック、ラーナー、フォン・バルタザール、正教会ではジジウラス、プロテスタントではモルトマン、トーランス、パネンベルク、ハワーワスに個別の章を与えている。
Kerr (2007)[3]は、カトリック教会の神学者の中から、ガリグー=ラグランジュを新トマス主義者の模範・典型とした上で、シュニュ、コンガール、スヒレベークス、ド・リュバック、ラーナー、フォン・バルタザール、ロナーガン、キュング、ヴォイティワ (ヨハネ・パウロ2世)、ラッツィンガー(ベネディクト16世)の10名に個別記事を与えている。
現代の(新約)聖書観に影響を与えた神学者としては、ブルトマンとライトがしばしば挙げられる。
| 神学者 | 教派 | 主要な業績 |
|---|---|---|
| レジナル・ガリグー=ラグランジュ | カトリック | 新トマス主義。 |
| カール・ラーナー | カトリック | リベラル神学。 |
| アンリ・ド・リュバック | カトリック | 新神学(Nouvelle Théologie)。「コミュニオ」創刊者。 |
| ハンス・ウルス・フォン・バルタザール | カトリック | 三部作(Herrlichkeit, Theodrama, Theologik)の著述。「コミュニオ」創刊者。 |
| ヨーゼフ・ラッツィンガー(ベネディクト16世) | カトリック | 現代カトリック教義学、ローマ典礼特別形式の擁護。「コミュニオ」創刊者。 |
| ジョン・ジジウラス | 正教会(コンスタンティノープル系) | 現代ギリシア正教の代表的神学者。 |
| ユルゲン・モルトマン | プロテスタント(改革派) | 希望の神学。 |
| トーマス・トーランス | プロテスタント(改革派) | バルト『教会教義学』の英訳。 |
| ジョン・フレーム | プロテスタント(改革派) | ウェストミンスター神学校系。triperspectivalismの提唱。 |
| スタンリー・ハワーワス | プロテスタント(メソジスト) | 倫理学。 |
| ヴォルフハルト・パネンベルク | プロテスタント(ルター派) | 組織神学。 |
| ルドルフ・カール・ブルトマン | プロテスタント(改革派) | 20世紀を代表する新約聖書学者。 |
| N・T・ライト | 英国国教会 | 21世紀を代表する新約聖書学者。パウロ神学。 |
正教会において「神学者」の称号を持つ聖人
正教会においては神学者としての務めも果たした聖師父と呼ばれる者は多数存在するが、「神学者」(ギリシア語: Θεολόγος, ロシア語: Богослов)の称号を特に付されて崇敬される聖人は以下に挙げる4名のみに限定される(「新神学者」を別に数えて3人とする数え方もある)。表記は日本正教会のものに則るが、括弧内に他教派などで使われる片仮名転写・ギリシャ語表記・生没年等を併記する。
イスラーム
主な神学者
- アル=キンディー(801–873) – 「アラブの哲学者(Faylasūf al-ʿArab)」と称される、最初のイスラーム哲学者。ギリシャ哲学、特にプラトンとアリストテレスの翻訳と解釈を通じて、イスラーム思想に哲学を導入した。神の唯一性(タウヒード)と形而上学を調和させようとした。理性と啓示の調和を唱えつつも、啓示に従属する形で理性を位置づけた。
- アル=ファーラービー(c. 872–950) – イスラームにおける「第二の師(アリストテレスが第一)」と称される哲学者。プラトンとアリストテレスを総合し、理想国家(al-Madīna al-Fāḍila)の概念を提示した。神は第一原因であり、全存在は神からの流出(emanation)によって説明されるとした。啓示と理性の両立を強調し、預言者を「完全な哲学者」と見る傾向もあった。
- イブン・スィーナー(アヴィセンナ)(980–1037) – 中世イスラーム最大の哲学者・医学者の一人。アリストテレス哲学を発展させ、存在論(本質と存在の区別)と流出説を深めた。神は「必然的存在(wājib al-wujūd)」であり、全存在の根源であるとする。啓示を哲学的理性の象徴として捉え、預言と知性を関連させた。彼の思想はユダヤ教・キリスト教世界にも強い影響を与え、トマス・アクィナスにも引用された。
- アル=ガザーリー(1058–1111) – 神秘主義(スーフィズム)と正統神学を統合した思想家。哲学(ファーラービーやアヴィセンナ)を批判した『哲学者の矛盾』が有名である。『宗教諸学の再興』では、内面の浄化と神への接近の重要性を説いた。
- イブン・ルシュド(アヴェロエス)(1126–1198) – アリストテレス哲学の解釈者で、合理主義神学の擁護者。哲学と啓示は両立可能とし、理性の自由を強く主張した。著作はラテン語に翻訳され、ヨーロッパの中世スコラ哲学にも影響を与えた。
- アル=アシュアリー(c.874–936) – スンナ派神学(アシュアリー学派)の創始者。哲学的合理主義(ムゥタズィラ学派)から転向し、神の意志と啓示の優位を主張した。神の言葉は永遠であり、理性ではなく啓示が最終権威であるとする。
- アル=マートゥリーディー(d. c. 944) – スンナ派のもう一つの正統学派であるマートゥリーディー学派の創始者。アシュアリー派よりも理性をやや積極的に評価しつつ、啓示と調和させようとした。
- イブン・タイミーヤ(1263–1328) – スンナ派保守主義の代表的神学者で、サラフィー主義の先駆者的存在。「初期イスラムに戻れ(サラフ主義)」を提唱した。哲学・神秘主義・シーア派に批判的で、啓示と実践の厳格な遵守を重視した。
参考文献
関連項目
外部リンク
「神学者」の例文・使い方・用例・文例
- 神学者
- 神学者に神の意志に反すると見なされる行為
- 神学者たちは七つの大罪を挙げる
- 死は神学者からの関心をより一層分かち合う
- (厳格なカルヴァン主義の予定説の教義に反対した)オランダ人神学者ヤコブス・アルミニウスの教えを信じるバプテスト派信徒のグループ
- 厳格な予定説を信じたフランスの神学者ジャン・カルヴァンの教えを信じるバプテスト信徒の集団
- 規律か主義の問題を規制するために召集される異なった教会、または教区の神学者、司教、および他の代表のアセンブリ
- 2日から書くことが公式の教会主義を確立して、裏付けた7世紀までの期間の約70人の神学者のいずれも
- 終末論を専門とする神学者
- 黙示録(ヨハネの黙示録)の聖書予言が将来実現すると信じている神学者
- イジュティハードに従事しているイスラム神学者、イスラム教の神聖な原書から神聖法の規則を導くために取り組む
- ヨハネの黙示録(黙示録)の聖書予言が今のところ成し遂げられていると考えている神学者
- 黙示録(ヨハネの黙示録)の聖書予言がすでに実現したと信じている神学者
- スコラ学の哲学者または神学者
- フランス人の哲学者で神学者
- イタリア人の神学者、教会博士で、総合的な神学における信念と理性を一致させる試みで知られる
- ギリシア人で、アレキサンドリアでの活発なキリスト教徒の神学者であり、神に関する彼の主義のため異端者であると宣言された(アリウス主義として知られるようになった)(256?年−336年)
- オランダ人のプロテスタントの神学者で、ジョン・カルバンの絶対的な予定説に反対したアルミニウス説を創立した(1559年−1609年)
- 修道士の世間の財産と司教の現世の権力を非難し、2回目のラテラノ聖堂会議により独断的な誤りを責められたイタリアの神学者(12世紀前半)
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