TS用としての開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/02 07:50 UTC 版)
「マツダ・12A型エンジン」の記事における「TS用としての開発」の解説
1970年のJAF-GPで、10AのREを搭載したファミリアは、スカイラインGT-R相手に大接戦を演じた。その結果として、REに対するツーリングカー規定がより厳しくなった。具体的には、量産車からのポート形式の変更が禁止となり、ペリフェラルポートが使用禁止となった。この内容を受けて、マツダは、ペリフェラルポートで300PSを目標に進めていた開発計画の大幅な変更が必要となった。レース用エンジンとして重要なことは、より大量の混合気を燃焼室に入れ込むことである。そのためには、吸気ポートの面積の拡大が必須となる。 サイドポート オリジナルのサイドポートの形状をベースにローターの回転方向に拡大させることによって、インレットポートクローズのタイミングを遅くしてより高回転まで回せるようになる。 ブリッジポート サイドポートの面積をローター外周方向に拡大すると、ローター側面のコーナーシールが吸気ポートに落ち込むという課題がある。 コーナーシールの通り代を確保しその外側にオギジュアリポートを設置し、吸気ポート面積を外周方向に拡大したのがブリッジポートである。 この加工によりオーバーラップを大きくとることができ、またポート面積が増えることによりサイドポート加工よりさらに高回転まで回せるようになる。 セミインナーコンビネーションポート ブリッジポートで開けたオギジュアリポートを更に拡大させ、ローターハウジングのウォータージャケットを埋めたうえで削り込みポートを拡大させる。これによりペリフェラルポートに近いポート形状となる。 マツダは、1971年のシーズンまでは、ブリッジポートの12AでTSレースに参加していたが、出力的に低く、スカイラインGT-Rに対してリードを取ることができなかった。1972年5月の日本GPにマツダは、セミインナーコンビネーションポートを搭載した12AをサバンナRX-3に搭載してスカイラインGT-Rに勝利する。ただし、このセミインナーコンビネーションポートの使用に関しては、スカイラインGT-Rサイドからツーリングカーのエンジン規定違反というクレームが出るが却下された。1973年のシーズンにTS規定が「50台のホモロゲーションを取得すればエンジンヘッドや吸気ポート形式の変更が自由にできる」という内容に改定になった。マツダは、スポーツキットという形で、ペリフェラルポートの12Aの供給を行うようになった。なお マツダとしてのワークス活動は、1973年末の石油ショックを受けて停止する。以降のTSに関しては、マツダはスポーツキットの市場提供を行い、レース活動は、スポーツキットのメンテを行うディーラーに設置されたマツダスポーツコーナーが行うようになった。
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