SDKÚ-DS結成以降とは? わかりやすく解説

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SDKÚ-DS結成以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 18:31 UTC 版)

スロバキア民主キリスト教連合・民主党」の記事における「SDKÚ-DS結成以降」の解説

首相SDK党首のズリンダが、SDK構成する中道右派諸政党の議員一部閣僚によって2000年1月結成した政党登録は2000年2月18日)。政治的立場キリスト教民主主義立脚しているが、キリスト教保守主義色彩が強いKDHよりも世俗的で、経済政策では自由競争重視する立場である。 2002年国民議会選挙では、選挙参加撤回したDS協力も受け、SDKÚは得票15.09%で28議席獲得してHZDSに次ぐ第二党となり、他の中道右派政党連立し第2次ミクラーシュ政権発足させた。2006年1月にはDS正式にSDKÚへ合流し現在のSDKÚ-DSとなった政党登録は2006年2月13日)。 2006年国民議会選挙では、前回選挙上回る18.35%の得票得て31議席獲得したが、第一党となった中道左派政党スメル方向)・社会民主(SMER-SD : SMER-sociálna demokracia)が民族主義政党スロバキア国民党SNS : Slovenská národná strana)および人民党・民主スロバキア運動(ĽS-HZDS : Ľudová strana - Hnutie za demokratické Slovensko)の連立政権発足させたため、野党転じた2010年国民議会選挙では、政治資金疑惑責任取ってズリンダが選挙への立候補見送り、副党首2009年大統領選候補イヴェタ・ラジチョヴァー選挙対策本部長として事実上党首代行務めた得票率は15.42%で改選前より3議席少な28議席とどまったものの第二党の座を維持しSNSとĽS-HZDSの惨敗でフィツォ連立政権過半数割れしたことにともない、同じ中道右派の自由と連帯SaS : Sloboda a Solidarita)、キリスト教民主運動KDH : Kresťanskodemokratické hnutie)およびハンガリー人政党モスト、MOST-HÍD)による連立政権組閣。ラジチョヴァーがスロバキア初の女性首相となり、ズリンダが外相就任した2012年3月国民議会任期前倒しして行われた国民議会選挙では、前年10月政変(ラジチョヴァー政権崩壊)や政治スキャンダル報道影響した結果得票議席大幅に減らして惨敗した政権下野後の5月20日党首選挙が行われ、ブラチスラバ県知事国会議員兼ねているパヴォル・フレッショを新党首に選出した2013年11月行われた統一地方選挙9日23日投票)では、県議会選挙32議席前回2009年選挙58議席)を獲得ブラチスラバ県でフレッショ党首再選果たし知事の座を維持する結果となった2016年3月国民議会選挙では、得票率が5%を下回ったため、国民議会における議席をすべて失う結果となった

※この「SDKÚ-DS結成以降」の解説は、「スロバキア民主キリスト教連合・民主党」の解説の一部です。
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