SDKÚ-DS結成以降
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「スロバキア民主キリスト教連合・民主党」の記事における「SDKÚ-DS結成以降」の解説
首相でSDK党首のズリンダが、SDKを構成する中道右派諸政党の議員と一部閣僚によって2000年1月に結成した(政党登録は2000年2月18日)。政治的立場はキリスト教民主主義に立脚しているが、キリスト教的保守主義の色彩が強いKDHよりも世俗的で、経済政策では自由競争を重視する立場である。 2002年国民議会選挙では、選挙参加を撤回したDSの協力も受け、SDKÚは得票15.09%で28議席を獲得してHZDSに次ぐ第二党となり、他の中道右派政党と連立して第2次ミクラーシュ政権を発足させた。2006年1月にはDSが正式にSDKÚへ合流し、現在のSDKÚ-DSとなった(政党登録は2006年2月13日)。 2006年国民議会選挙では、前回選挙を上回る18.35%の得票を得て31議席を獲得したが、第一党となった中道左派政党のスメル(方向)・社会民主(SMER-SD : SMER-sociálna demokracia)が民族主義政党のスロバキア国民党(SNS : Slovenská národná strana)および人民党・民主スロバキア運動(ĽS-HZDS : Ľudová strana - Hnutie za demokratické Slovensko)の連立で政権を発足させたため、野党に転じた。 2010年国民議会選挙では、政治資金疑惑の責任を取ってズリンダが選挙への立候補を見送り、副党首で2009年大統領選候補のイヴェタ・ラジチョヴァーが選挙対策本部長として事実上の党首代行を務めた。得票率は15.42%で改選前より3議席少ない28議席にとどまったものの第二党の座を維持し、SNSとĽS-HZDSの惨敗でフィツォ連立政権が過半数割れしたことにともない、同じ中道右派の自由と連帯(SaS : Sloboda a Solidarita)、キリスト教民主運動(KDH : Kresťanskodemokratické hnutie)およびハンガリー人政党のモスト(橋、MOST-HÍD)による連立政権を組閣。ラジチョヴァーがスロバキア初の女性首相となり、ズリンダが外相に就任した。 2012年3月、国民議会の任期を前倒しして行われた国民議会選挙では、前年10月の政変(ラジチョヴァー政権崩壊)や政治スキャンダル報道が影響した結果、得票と議席を大幅に減らして惨敗した。政権下野後の5月20日、党首選挙が行われ、ブラチスラバ県知事で国会議員も兼ねているパヴォル・フレッショを新党首に選出した。 2013年11月に行われた統一地方選挙(9日と23日投票)では、県議会選挙で32議席(前回2009年選挙は58議席)を獲得、ブラチスラバ県でフレッショ党首が再選を果たして知事の座を維持する結果となった。 2016年3月の国民議会選挙では、得票率が5%を下回ったため、国民議会における議席をすべて失う結果となった。
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