S-49の完成とは? わかりやすく解説

S-49の完成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 00:29 UTC 版)

S-49 (航空機)」の記事における「S-49の完成」の解説

ソ連から十分な支援得られるようになったにも拘らずユーゴスラビア国内航空産業強化発展させる努力継続したすべての航空部品が国内供給可能となることが目指された。航空設備の拡充のための新たな製造施設建設された。1949年より、プルヴァ・ペトレトカ市で航空機脚部水素装置組み立て始められた。ラコヴィツァの工場大幅に拡充され航空機用エンジン製造行ったバニャ・ルカ技師たちは、無線器と電子機器製造行った1951年には、ボスニア・ヘルツェゴヴィナモスタルソコ(Soko)航空機工場での作業開始された。ソコ航空機工場は、その後航空機分野においてのみならずユーゴスラビア主要な組立企業のひとつとなったいくつかの工場からなるこの大規模な組立企業においては冷房自動車伝達装置(トランスミッション)、トラクターなど数多く製品生産された。ソコ対す航空機発注は、1952年より始められた。それは、新型戦闘機S-49C(С-49Ц)の主翼尾翼組み立てであったS-49A受領から3年後改良され金属製となったS-49C完成された。この新型機は、戦闘機としてのみならず、戦闘爆撃機偵察機としても使用されることが予定された。この機体には、フランス製の小型エンジンHS 12A-17が搭載された。これ以外にも、ドイツ製のDB 605搭載したS-49B(С-49Б)が開発された。しかし、量産化当たってS-49C選ばれた。その後数年の間に、112 機のS-49C生産された。 量産第2シリーズでは、垂直尾翼前方ドーサル・フィン追加され機体安定性の向上が図られた。 使用中には、武装改良行われた。すなわち、主翼下には無誘導ロケット弾HVAR発射装置20 mm MG 151/20機関砲または12.7 mm M2機銃コンテナー据え付けられた。なお、HVARアメリカ製MG 151/20はドイツマウザー(Mauser)製、M2はコルト[要曖昧さ回避]・ブローニング(Colt Browning)製である。それ以外にも、一部部隊では2 発の50 kg爆弾搭載できるよう機体改修施したジェット戦闘機登場により、S-49C部隊から押しやられた早くも1961年には退役し、その稼動期間は10年に満たなかった。現代残されているのはわずか1 機に過ぎず、その機体(機体番号2400/400、ページ冒頭写真機体)はベオグラード航空博物館展示されている。

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