リャザン公国
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- Великое княжество Рязанское
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← 1097年 - 1516年 →
(国章) -
1237年時点でのルーシ諸国 -
公用語 古東スラヴ語 首都 ムーロム、リャザン - 公爵
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1097年 - 1129年 ヤロスラフ1世スヴャトスラヴィチ 1500年 - 1521年 イヴァン5世イヴァノヴィチ - 変遷
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建国 1097年 滅亡 1521年
リャザン公国(ロシア語: Рязанское княжество)は分領制時代のルーシの公国の一つ。首都はリャザン。1078年にチェルニゴフ公国から別れ、1521年にモスクワ大公国に併合された。
概要
リャザンの最初の君主は、おそらくチェルニゴフ公で、後にムーロム公及びリャザン公となったヤロスラフ・スヴャトスラヴィチだと思われる。1097年に公国は独立した。モンゴルのルーシ侵攻初期の1237年12月、リャザンはモンゴル帝国の皇子バトゥの攻撃で荒廃し、旧都リャザン(現在のスターラヤ・リャザーニ、スパッスク=リャザンスキーの近郊)は完全に破壊されたため、ペレスラヴリ・リャザンスキー(現在のリャザン)に遷都した。モスクワ公ダニールは大貴族の裏切りを処罰するためリャザンに攻め入り、リャザンの君主コンスタンチン公を逮捕・投獄した。ダニールの死後、息子のユーリー3世はジョチ・ウルスのハンにコンスタンチンを殺すよう命じられた。またコンスタンチンの二人の後継者もジョチ・ウルスに召喚され殺されている。1380年、オレーグ・イヴァノヴィチ公はママイの同盟者としてクリコヴォの戦いに参加している。
リャザン公国はその歴史の後期にプロンスク公国と戦い、1483年のアンナ・ヴァシリエヴナの摂政時代に同公国を併合している。1520年、モスクワ大公ヴァシーリー3世は最後のリャザン大公を、クリミア・ハン国のメフメト・ギレイと内通しているとして逮捕・投獄した。大公イヴァン5世は翌1521年リトアニアに亡命し、リャザン公国はモスクワ大公国領に編入された。
歴代君主
・はリャザン公(クニャージ)、○はリャザン大公(ヴェリーキー・クニャージ)を称する
- 1127年 - 1129年 ヤロスラフ1世スヴャトスラヴィチ
- ヤロスラフはムーロム公としてリャザン公国領も統治。ヤロスラフの死後、ユーリー、スヴャトスラフ、ロスチスラフの3人によってムーロム公国の共同統治が行われた後、ムーロム公国からリャザン公国、プロンスク公国(またリャザン公位、プロンスク公位)が分離する。
- 1129年 - 1143年 ・スヴャトスラフ・ヤロスラヴィチ(1145年没)
- 1143年 - 1145年 ・ロスチスラフ・ヤロスラヴィチ(1155年没)
- 1145年 - 1147年 ・グレプ・ロスティスラヴィチ(1178年没)
- 1147年 - 1147年 ・ダヴィド・スヴャトスラヴィチ(1147年没)
- 1148年 - 1148年 ・イーゴリ・スヴャトスラヴィチ(1147年以降没)
- 1151年 - 1153年 ・グレプ・ロスティスラヴィチ(1178年没):復位
- 1153年 - 1161年 ○ウラジーミル・スヴャトスラヴィチ(1161年没)
- 1161年 - 1178年 ○グレプ・ロスティスラヴィチ(1178年没):復位
- 1178年 - 1207年 ロマン1世グレボヴィチ(ru)(1210年頃没)
- 1208年 - 1208年 ヤロスラフ・ウラジミロヴィチ
- 1212年まで、ヤロスラフを含むウラジーミル大公国から派遣されたナメストニク(公代理)が統治
- 1212年 - 1217年/1218年 ・グレプ・ウラジミロヴィチ(1219年没)
- 1213年 - 1217年 ?ロマン2世イーゴレヴィチ(1217年没):大公もしくは分領公
- 1217年 - 1235年 ・イングヴァル1世イーゴレヴィチ(ru)(1235年没)
- 1235年 - 1237年 ○ユーリー・イーゴレヴィチ(1237年没)
- 1237年 - 1252年 ・イングヴァル2世イングヴァレヴィチ(ru)(1252年没)
- (この頃、モンゴルのルーシ侵攻によりリャザン(旧リャザン。現スターラヤ・リャザン)は破壊され、都市機能・公座は現リャザン(当時ペレヤスラヴリ・リャザンスキー)に移る)
- 1252年 - 1258年 ○オレーグ1世イングヴァレヴィチ(1230年‐1258年 / 「赤公」)
- 1258年 - 1270年 ○ロマン3世オレゴヴィチ(ru)(1270年没 / 聖人)
- 1270年 - 1294年 ○フョードル1世ロマノヴィチ(1294年没)
- 1294年 - 1299年 ○ヤロスラフ2世ロマノヴィチ(ru)(1299年没)
- 1299年 - 1301年 ・コンスタンチン・ロマノヴィチ(ru)(1305年没)
- 1301年 - 1308年 ・ヴァシーリー1世コンスタンチノヴィチ(1308年没)
- 1308年 - 1327年 ○イヴァン1世ヤロスラヴィチ(ru)(1327年没)
- 1327年 - 1342年 ・イヴァン2世イヴァノヴィチ・コロトポル(ru)(1343年)
- 1342年 - 1343年 ○ヤロスラフ3世アレクサンドロヴィチ(ru)(1344年)
- 1343年 - ?年 ○イヴァン・アレクサンドロヴィチ
- ?年 - 1349年 ○ヴァシーリー2世アレクサンドロヴィチ(ru)(1350年)
- 1350年 - 1371年 ○オレーグ2世イヴァノヴィチ(ru)(1402年)
- 1371年 - 1372年 ○ウラジーミル・ドミトリエヴィチ(ru)
- 1372年 - 1402年 ○オレーグ2世イヴァノヴィチ(1402年):復位
- 1402年 - 1408年 ○フョードル2世オレゴヴィチ(ru)(1427年没)
- 1408年 - 1409年以降 ○イヴァン・ウラジミロヴィチ(ru)
- 1409年以降 - 1408年 ○フョードル2世オレゴヴィチ(1427年没):復位
- 1427年 - 1456年 ○イヴァン3世フョードロヴィチ(ru)(1456年)
- 1456年 - 1462年 ヴァシーリー・ヴァシリエヴィチ(モスクワ大公)
- 1462年 - 1464年 イヴァン4世ヴァシリエヴィチ(モスクワ大公)
この間、上記のモスクワ大公のナメストニクが統治
- 1464年 - 1483年 ○ヴァシーリー・イヴァノヴィチ・トレトノイ(ru)(1483年没)
- 1483年 - 1500年 ○イヴァン・ヴァシリエヴィチ(ru)
- 1500年 - 1521年 ○イヴァン5世イヴァノヴィチ(1496年‐1534年)
(伝承では、1500年-1501年間にアンナ・ヴァシリエヴナ、1500年 - 1510年間にアグラフェナ・ヴァシリエヴナ(ru)。)
外部リンク
「Principality of Ryazan」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
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