グレプ・ウラジミロヴィチ_(リャザン公)とは? わかりやすく解説

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グレプ・ウラジミロヴィチ (リャザン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/04 13:52 UTC 版)

グレプ・ウラジミロヴィチ
Глеб Владимирович
リャザン公
イサドィ諸公会議における諸侯の殺害
在位 1212年 - 1217年?

死去 1219年
配偶者 スモレンスク公ダヴィドの娘
家名 リューリク家
父親 プロンスク公ウラジーミル・グレボヴィチ
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グレプ・ウラジミロヴィチロシア語: Глеб Владимирович、生年不詳 - 1219年)は、プロンスク公ウラジーミル・グレボヴィチの子である。リャザン公:1212年 - 1217年?。

生涯

グレプは1195年コンスタンチンの結婚式に参加したという記述がある[1]1196年には妻の父である、スモレンスク公ダヴィドの側に立ってチェルニゴフ公国との戦いに参加し、劣勢となったため逃れている(ルーシ内戦 (1195年 - 1196年))。

リャザン公国をめぐる権力闘争に関しては、1207年に、兄弟のオレグと共に、おじのロマン(ru)、スヴャトスラフ(ru)を弾劾し、この2人のおじと、いとこのイングヴァリ(ru)ユーリーを投獄した。その後、グレプと共同統治という形で、リャザン公国はウラジーミル大公国の公子ヤロスラフに、プロンスク公国はグレプの兄弟のオレグに与えられた。しかしこれらの地でのグレプの権力は小さなものであった。グレプは1209年にはリャザンを自分の所有地に併合しようと画策したが失敗に終わっている。

1217年、グレプは兄弟のコンスタンチン(上記のコンスタンチンとは別人)と共にイサドィ諸公会議を開催した。V.タチーシチェフ(ru)の説では[2]、捕虜の身にあったおじのロマンの死(1216年)後の分領公国の分配を目的とした会議であったとされている。グレプとコンスタンチンはこの会議で、ポロヴェツ族の手を借りて、実の兄弟のイジャスラフと、ロマンら5人のいとこを殺害した。しかし、その後のリャザン公位は公会議で承認を受けていないイングヴァリ(上記のイングヴァリ)が手に入れた。グレプ・コンスタンチンとポロヴェツの軍は、ウラジーミル・スズダリ公国軍の援助を受けた[3]イングヴァリの軍に粉砕された。その後まもなく、グレプは発狂してステップで死亡した[4]

妻はスモレンスク公ダヴィドの娘。子については不明である。

出典

  1. ^ Ипатьевская летопись
  2. ^ Татищев В. Н. История Российская
  3. ^ По версии ЭСБЕ.
  4. ^ Славянская энциклопедия. Киевская Русь — Московия: в 2 т. / Автор-составитель В. В. Богуславский. — Т. 1. — С. 280. со ссылкой на Воскресенскую летопись.

参考文献

  • Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона: В 86 томах (82 т. и 4 доп.). — СПб.: 1890—1907.
  • Славянская энциклопедия. Киевская Русь — Московия: в 2 т. / Автор-составитель В. В. Богуславский. — Т. 1.
先代
ナメストニクによる統治)
リャザン公
1212年 - 1217年?
次代
イングヴァリ・イーゴレヴィチ(ru)



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