ユーリー・ヤロスラヴィチ (ムーロム公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 04:14 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ユーリー・ヤロスラヴィチ Юрий Ярославич |
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ムーロム公 | |
在位 | 1129年 - 1143年 |
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死去 | 1143年 |
家名 | リューリク家 |
父親 | ムーロム公ヤロスラフ・スヴャトスラヴィチ |
母親 | イリーナ |
ユーリー・ヤロスラヴィチ(ロシア語: Юрий Ярославич、? - 1143年)は、キエフ大公スヴャトスラフ2世の孫、ヤロスラフ・スヴャトスラヴィチの子にあたる人物である。ムーロム公:1129年 - 1143年。
1129年に父が死んだ後、ユーリーは長男としてムーロム公の座に就いた[1]。1143年にユーリーが死ぬと、ムーロム公の位はリャザン公スヴャトスラフへ、リャザン公の位はプロンスク公ロスチスラフへと移った[2](両人ともユーリーの兄弟)。
妻子に関しては不明である。
出典
- ^ Воскресенская летопись(ヴォスクレセンスカヤ年代記)//Полное собрание русских летописей
- ^ Л.Войтович СВЯТОСЛАВИЧІ. ЧЕРНІГІВСЬКІ, МУРОМСЬКІ І РЯЗАНСЬКІ КНЯЗІ
外部リンク
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