ロスチスラフ・ヤロスラヴィチ_(ムーロム公)とは? わかりやすく解説

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ロスチスラフ・ヤロスラヴィチ (ムーロム公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 04:07 UTC 版)

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ロスチスラフ・ヤロスラヴィチ
Ростислав Ярославич
ムーロム公
ロスチスラヴリの町を建設するロスチスラフ
在位 1145年 - 1147年
1149年 - 1153年

出生 1129年
死去 1153/5年
子女 アンドレイ
グレプ
ユーリー
家名 リューリク家
父親 ムーロム公ヤロスラフ
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ロスチスラフ・ヤロスラヴィチロシア語: Ростислав Ярославич、1129年 - 1153年[1]あるいは1155年以前[2])はムーロム公ヤロスラフの子である。プロンスク公:1129年 - 1143年、リャザン公:1143年 - 1145年、ムーロム公:1145年 - 1147年、1149年 - 1153年。

生涯

ロスチスラフは、父の没した1129年より、兄弟のスヴャトスラフらと共にリャザン公国を共同統治した[3]。すなわち、スヴャトスラフがリャザン公国を領有し、ロスチスラフはプロンスク公国を領有した。また、ムーロム公国は別の兄であるユーリーが領有した。

1143年、ムーロム公の兄ユーリーが死亡すると、兄弟のスヴャトスラフがムーロム公となり、ロスチスラフはリャザン公となった。その2年後の1145年にはスヴャトスラフも死亡し、ロスチスラフはムーロム公となった。このときには、リャザンにはナメストニクとして息子のグレプを配したが、これはスヴャトスラフの子が有する継承権(ru)に反するものであった。

1146年から1154年の間のルーシの内戦期には、ヴォルィーニ公イジャスラフチェルニゴフ公ウラジーミルらと同盟を結び、ロストフ・スーズダリ公ユーリーノヴゴロド・セヴェルスキー公スヴャトスラフらと対立した。1146年、ユーリーの子のロスチスラフ(ru)アンドレイの軍によってリャザンは占領され、ロスチスラフは息子のグレプと共に、ポロヴェツ族の勢力圏へ逃走した。リャザン公位にはダヴィド、ついでイーゴリが就き、ムーロム公位にはウラジーミルが就いた(3名とも兄弟のスヴャトスラフの子)。ただし1149年にはムーロム公位を、1151年にはリャザン公位を再度手中に収めた。

1152年、自身の領有する小都市の破壊の報を聞きつけたロストフ・スーズダリ公ユーリーは、自領救援にリャザン公国軍を派遣しており、ムーロム・リャザンの連隊を率いたロスチスラフがその陣頭に立っている。ロスチスラフはチェルニゴフを包囲するが、この戦闘は失敗に終わった。

1153年にはオカ川河畔に都市ロスチスラヴリ(ロスチスラヴリ・リャザンスキー(ru))を建設した[4]。同年(1154年とする説もある[5])、リャザンはユーリーの子のアンドレイに占領されたが、ポロヴェツ族の支援を受けたロスチスラフはこれを追い返した。

没年には諸説あるが、この後ロスチスラフは没した。

  • アンドレイ(ru) - エレツ公
  • グレプ - リャザン公
  • ユーリー

出典

  1. ^ Л.Войтович 3.6. СВЯТОСЛАВИЧІ. ЧЕРНІГІВСЬКІ, МУРОМСЬКІ І РЯЗАНСЬКІ КНЯЗІ // КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ
  2. ^ Иловайский Д. И.
  3. ^ Воскресенская летописьヴォスクレセンスカヤ年代記
  4. ^ Никоновская летописьニコン年代記
  5. ^ Соловьёв С. М.История России с древнейших времён

参考文献

  • Славянская энциклопедия. Киевская Русь — Московия: в 2 т. / Автор-составитель В. В. Богуславский. — Т. 2.



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