MECB策定以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/15 15:11 UTC 版)
「ブラジルの宇宙開発」の記事における「MECB策定以降」の解説
ロケットの開発ではソンダロケットに改良が加えられていった。開発されたロケットはバライラ・ド・インフェルノ射場から打ち上げられた。軍はこの後も着々と観測ロケットの改良を進め、ソンダロケットはII、IIIと改良が加えられていき、改良ごとに高度を上げていった。ソンダIVロケットは1989年の4月28日に試験成功を収めた。 1980年代には大統領であったジョゼ・サルネイの地元であるマラニョン州のアルカンタラにアルカンタラ射場(Centro de Lançamento de Alcântara、CLA)が作られ、ここから打ち上げが行われるようになった。アルカンタラ射場は1990年2月21日から使用が始まった。開発には4億7千万米ドルが使われたとされている。この射場は世界で最も赤道に近く、赤道からわずか2.3度南でしかない。この特徴は静止衛星の打ち上げにとって非常に恵まれている。例えば、赤道から近いという特徴によってケネディ宇宙センターと比較して25%の燃料を節約することを可能にしている。 一方民生分野ではまず通信衛星システムの構築を目指した。フランスのアリアンスペース社によって、最初のブラジルサット衛星2機が1985年2月と1986年3月に打ち上げられた。一連の静止軌道衛星はブラジル衛星通信システム(Sistema Brasileiro de Comunicação por Satélites、SBTS)を担当したエンブラテルが所有し、管理することになった。 1988年7月6日に、INPEは中国国家航天局との宇宙開発協力の合意に調印した。これは中国・ブラジル地球資源衛星(Satélite Sino-Brasileiro de Recursos Terrestres、CBERS)計画として知られており、山西省の太原衛星発射センターから長征ロケットによって2つの地球観測衛星の打ち上げを行うという内容であった。ブラジルは高い解像度のCBERSのデータを地球の全体図を収集し、農業、地質学、水文学、環境などの分野に利用する予定であった。しかし、この合意はブラジル側の資金不足から1988年から1991年にかけて名目上のものであった。1991年10月と1994年11月にはブラジルと中国は1億5千万米ドルでの衛星の建造で追加的合意に達した。CBERS-1が実際に打ち上げられるのは1997年5月のことである。 1993年2月9日には、最初の完全国産衛星が打ち上げられた。これはデータ収集衛星(Satélite de Coleta de Dados、SCD-1)として知られている。SCD-1は時にグリーン衛星として言及される。SCD-1はINPEが利用した。2号機となるSCD-2は1998年10月22日に打ち上げられた。いずれもアメリカのペガサスロケットで打ち上げられている。SCD-1、SCD-2共に環境に関する情報をデータとして収集した。 軍がロケットと射場、民間が衛星と科学研究いう区分けにもかかわらず、MECBにおいては最低でも1993年まで軍が主役であった。MECBに関するポストの多くを将校が占めていた。1988年からはINPEは液体燃料ロケットの開発に取り組んだが、非常に難航した。INPEは1993年にVS-40を実験している。
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