Mの結婚・妻Xへの暴力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 05:37 UTC 版)
「熊本母娘殺害事件」の記事における「Mの結婚・妻Xへの暴力」の解説
Mの元妻Xは日本統治時代の満州国で兄弟姉妹8人(男女各4人ずつ)の長女として生まれ、終戦後に両親とともに日本へ引き揚げたが、大家族で引き揚げ者でもあったために一家の生活が苦しくなり、熊本市内でミシンの販売業を営んでいた母方の伯父・甲(実母・乙の実兄 / 被害者Aの義兄〈Aの夫の実兄〉)とその妻夫婦の許へ預けられ、養父である甲の家業を手伝いながら育った。 1958年(昭和33年)ごろ、それまで刑務所へ出入りを繰り返すような生活をしていたM(当時27歳)は郷里・熊本へ落ち着くようになっていたが、このころにXとの見合い話が持ち上がった。そしてMは1959年(昭和34年)1月にXと結婚し、同年 - 翌1960年(昭和35年)には相次いで息子2人が誕生した。しかし結婚当初こそ海苔の行商をして生計を立てていたが、長男が誕生してからはほとんど就労せず遊び惚けるようになり、昼間から焼酎を多量に飲んでは妻Xに対し苛烈な暴力を振るうようになった。 夫Mから苛烈な暴行を受け続けてもXは次男を出産するまで、近所に住んでいたMの養父母(Mの叔父・叔母)に相談しながらも耐え続けていたが、Mの暴力は全く収まらず、最終的にMは真冬の夜中に妻Xと長男(当時2歳)を家の裏の小川へ放り込み、這い上がろうとした妻Xの頭を足で踏みつけるような事件を起こした。これがきっかけでXの義父は業を煮やし、「このままではXが殺される」と危惧して2人を離婚させようとした。夫Mの暴力に耐えかねたX本人も1962年(昭和37年)夏に離婚する決心を固め、子供たちを義兄(Mの実兄)夫妻に預け、自身は山口県宇部市(実父の出稼ぎ先)に身を寄せたが、MによってすぐにXの居場所を突き止められたため、やむを得ず熊本に帰って仲人の義父母夫婦に相談し、本格的に別れ話を切り出した。しかしこの別れ話がMを逆上させ、最初の殺人事件の引き金を引く結果となった。
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